|
奥多摩最速伝説 「ホンダに追いつけない」
1980年代半ば頃。
奥多摩有料道路は熱かった。 レーサーレプリカと呼ばれる2サイクル250cc、 4サイクル4気筒400ccバイクがあふれていた。 彼らは奥多摩有料道路を何度も往復していたのでローリング族と 呼ばれる走り屋集団だった。 奥多摩有料道路(約15k)の中にある、 月夜見第一駐車場と第二駐車場は、彼らの走りを見ようと 集まってきた、あふれるほどのギャラリーで埋め尽くされていた。 いまの奥多摩周遊道路もバイクが多いが、 全盛時と比べると「のどか」なものだ。 日曜の夕方など、 奥多摩から帰るオートバイで新青梅街道は埋め尽くされた ものだ。車よりもその数は多かったくらいだ。 バイクが渋滞を起こしていたんだ。
それとは別にベテランライダーだちは、 奥多摩有料道路が「熱狂のるつぼ」と化していたとき、 奥多摩のさらに先にある「山梨側の柳沢峠」に向けてバイク を走らせていた。 週末の早朝、自分一人だけバイクと向き合う時間を 楽しんでいた。 そして奥多摩近辺がバイクで混み合う前に帰宅していた。 混雑した奥多摩有料道路を走る必要(バトル)はない。 と考えていたらからだ。 わたしも柳沢峠に出かけることが多かったかな? 私は当時スズキGSX−R400(初期型)を 走らせていた。 1985年、このバイクと仲間9人で北海道を一周するツーリング に出かけた。
当時、オートバイ乗りは次々に北の大地を目指した。 すれ違うバイク同士の挨拶はピースサイン。 一大ロングツーリングブームだったといってよい。
この時代、オートバイを取り巻くすべての環境が沸騰していた。 その頂点が鈴鹿8時間耐久レースと世界グランプリ(1987年〜)
だった。
1960年代に鈴鹿と富士SWで開催された伝説のグランプリレースが
20年以上の時を経て復活した。 その後私はグランプリ500ccマシンレプリカである、
スズキRGガンマ400に乗り換えて、 それから10年間(1996年頃)に渡り走らせていた。 いまも秘密の格納庫に置いている。 さて、 DRさんこんにちは、
今日もレーサーレプリカブーム時代のことをを 聞かせてください。 DRさん いいですよ。 ナン: ところで、 これまで何台くらいのバイクを 乗り継いできたんですか? DRさん この125ccのスクーターで40台 くらいになるかな? これは子供用に買ったものです。 最近は落ち着いたね。 やっぱり1980年代から90年代前半が 一番乗り換えていた。 その当時勤めていた会社は忙しかったので、 残業代だけで毎月25万くらい稼いでいたんだ。 そのおかげで乗りたいバイクを全部買って走らせたよ。 タイヤは一か月に1セット消化していた。 週末は朝方まで働いて、 夜が明けたらツナギに着替えて奥多摩に向かった ものだよ。 若かったので、 そんなことはへっちゃらだった。 覚えているだけでも、 RZ250、VT250、Z400GP、FZ400R、 RZ250R、RZ350R、GSX400Xインパルス、TZR250、 FZR400R、TZR250R、 そのほかにもオフロードバイクを何台も乗りついできたんだ。
どれも1万kくらい走らせると、 エンジンかへたる、元気がなくなる(または壊れる)ので乗り換え ていたよ。
すべて限界までエンジンを回していた。 それらのバイクは友人に売却してしまった。 当時バイクを走らせるとは、 そういうことだったんだよ。 ナン: 限定解除して750や1000ccには乗ろうと思わなかった? DRさんはヤマハ党でしたよね。 FZR750、FZR1000、OW01には興味はなかったの? DRさん そうは思わなかったね。 私はいつもバイクのピーク/パワーバンドの回転領域で バイクを走らせていた。 それに喜びを感じていたんだ。 FZR400Rのクロスミッション付が一番しっくりきたね。 しかし、エンジンを壊してしまったので残念だった。 排気量の大きなバイクではそんなことは できないし、第一バイクが重いのでハンドリングが良くない。 自分の走りができないよ。 排気量の大きな「パワーで速く走るバイク」 には、なんら興味もわかない。 エンジンは限界まで回さないと面白くない。 いまも軽量なモタードバイクを走らせているんだ。 ナン: たしかに、1000ccバイクは手に余りますね。 スロットルを捻るだけで簡単にスピードが出るが、 しかし、重いので簡単には止まれない。 いきなり安全マージンが消え失せてしまう。 いまバイク雑誌でライテクの特集が流行っているは、 それだけ難しいからですよ。 しかし、2スト250ccバイクも難しい。 軽量でパワフルだが、 スピードを上げるとそのコントロールが非常に難しくなる。 簡単ではありませんね。 バイクが曲がらなくなるからです。 1989年頃、 ライダースクラブ誌が2ストバイクのライテクを特集していた くらいですから。 ナン: それでは所有したバイクで負けたことはなかった? DRさん この前お話した通り、 奥多摩で一番速かったGSX−R750だけだね。 それとバイクの性能差で勝てなかったことがある。 腕の差ではない。 同じ排気量なのに直線と立ち上がりで置いていかれる。 ちょっとくらいの差ならブレーキングとコーナリングで 詰められるけどそれができない。 悔しかったね。 ナン: えっ、 それはどこのバイク? DRさん
ホンダのバイクだよ。 一度目はホンダCBX400Fに勝てなかった。
私はカワサキZ400GPだった。 1983年頃だったね。 箱根からの帰りのことだ。 小田原から厚木に向かう有料道路だった。 ご存じの通り、 あそこは見通しの良い直線路が延々続いている。 あまり大きな声ではいえないが、 バイクのパフォーマンスを試すには絶好の場所だった。 カワサキZ400GPは、
Z400FXからパワーアップ(+5ps:48ps)した 空冷4気筒DOHC2バルブエンジンを搭載。 従来の2本リアサスからユニトラックと呼ばれていた モノショックを装着していた。 ワインディングでもなかなかの走りを見せてくれたよ。 そのZ400GPの空冷4気筒エンジンだが、 トップエンドのスピードの伸びが悪かったんだ。 とくに5速から6速にシフトアップしても伸びない。 レッドゾーン近辺まで、スロットルをストッパーまで開け続けて、 なんとか+5kアップが限界だった。 そのとき複雑な思いが頭の中で交錯していた。
なんで、?????? そのときだ! 友人のCBX400Fが 俺の隣をあっというまに先行してゆく。 なんなんだあの速さは、...... トップスピードでゆうに20k以上速かったと思う。 CBXが前の車に追いついたところで、 スピードが落ちるので距離がつまるけど、 車をパスするとまた先行される。 その繰り返し。 カタログのパワー表記は同じ48psなのに、 なぜ、こんなに差がつくんだ。 悔しかったよ。 やはりDOHC4バルブエンジンの威力なのかと 思い知らされたものだよ。 あんな想いは二度とごめんだ。 と思っていたんだが、....... ナン; なるほど。 CBX400Fはそこまで速かったんですね。 しかし、Z400GPの マフラーを交換していたらどうでしょう? *当時CBX400Fを走らせていた友人から聞いた話しだが、
CBXは2段階加速といって、
10000rpmからレッドゾーンまでの加速
が凄まじかったそうだ。
ぞくにいう「カムに乗る」という2次曲線的な吹けあがり
なのだろうか?
DRさん:
それは私も考えたので、 ヨシムラサイクロンマフラーと交換したが、 ノーマルと大差なかったね。 それ以来カワサキとはご縁がないんだ。 ナン: カワサキはその後水冷DOHC4バルブ4気筒エンジンを 搭載したGPZ400Rを発売したので、 トップスピードで遅れをとることはなかったと思います。 また、私は1989年発売のZXR400を所有していたが、 あれは尖がっていたね。 まるでレーサーのようなスタイリングだった。 速いバイクだったが、 けして乗りやすいバイクではなかった。 Z400GPからわずか5年しか経過していないのに、 まったく違うオートバイに変貌してしまった。 そのとき普通のネーキッドスタイルのゼファー400が デビューしたので、こっちのほうがZ400GPの 後継バイクといえるでしょう。 ナン: 二度目は? DRさん:
これまたホンダ。 NSR250R(MC16)だったよ。 私はアルミデルタボックスの初期型TZR250を走らせていた。 ナン:
TZR250 RZ250R(YPVS付き)の2サイクルパラレルツインエンジン を再開発してパワーアップをはかり、 グランプリレーサーYZR500譲りのアルミデルタボックス フレームを採用した。 1985年11月に登場した当初は向かうところ敵なしの人気と パフォーマンスだった。
1986年度だけで約26000台も販売されている。
1988年度に販売されたNSR250R(MC18)が
約22000台だった。
この2台が250ccバイクのワン・ツーのセールスだった。
ところがそこに割った入っきたのがNSR250R(MC16:1986年11月発売)でしたね。
DRさん:
そうなんだよ、 多摩有料道路のストレートで追いつけないんだ。 やっぱりパワー差があったと思う。 加速が違うんだ。 何度も言うけど、 ちょっとくらいの差ならブレーキングとコーナリングで 詰められるけどそれができない。 悔しかったね。 まっ、いまだから言うけど、
当時NSR250に負けないTZR250が走っていたんだ。
SSイシイのチャンバーと交換されていた。
そして初期型RGガンマ250。
この2台は強烈に速かった。
ナン:
えっ、初期型RGガンマ250がそんなに速かった????
DRさん
話を聞いたところ、
ツクバでレースをしているやつだった。
峠で走るレベルを越えていたね。
やはり腕の差だよ。
ナン:
フロント16インチタイヤのガンマを
そこまで乗りこなすライダーがいたんなんて
驚きですね。
それまで18インチタイヤに慣れていたベテランには、
きわめて不評でした。
こんなの乗れない。
すぐ売り飛ばしたよ。
などなど
DRさん
そこで1987年、
クロスミッション付のFZR400Rを手に入れたんだ。 14000rpm以上まで回せるのでパワーに不足はない。 ヨコハマ・ゲッター003を履いていたので、 素晴らしく速く走れたんだ。 クロスミッションはギアをアップダウンしても回転が落ちないの がよかった。
いつもパワーバンドを維持できた。 しかし、ローはハイギアードだよ。 このFZR400R時代が一番乗れていたかもしれないね。 ターゲットは奥多摩で一番速いGSX−R750に
なったわけだ。 いずれにしても大昔のことだよ。 いまはサーキット走行が手軽にできるので、 バイクの限界を追及したいのなら、 サーキットに行くべきだと思うよ。 やっぱり公道は危険だ。 ナン: いやはや凄い話の数々ですね。 RZ250からはじまるレーサーレプリカ時代を 全速で駆け抜けたんですから。 例のビデオカムで撮影したオンボードカメラ映像。 今度じっくり観せてください。 また、FZR400Rの後、V型2気筒エンジンを 搭載したTZR250Rを走らせていましたよね。 その話はまた今度お聞かせください。 DRさん、 ありがとうございました。 これからもバイクライフを満喫してください。 さて、次回はドゥカティへの想いが強くなったときに
遭遇した「Ducati 750F1モンジュイ」 のことを書いてみたいと思う。 こんなレーシングバイクを公道を走らせてもいいのか? 素人が絶対に走らせることができないバイクだった。 DOHC4バルブでもない、
空冷Lツイン750ccバイクが、 なぜ、95psも絞り出すことができるのか? 謎のバイクだった。 それは、....... Ps、 NSRとFZRのこと: NSR250R(MC16)に搭載された2サイクル90度V型2気筒 クランクケースリードバルブエンジン(+RCバルブ)は、 その後、細部の改良を加えながら、 1998年の最終モデルまで作リ続けられた。 1986年に登場したときから、 すでに完成されたエンジンパッケージだったといえるだろう。 次々に進化していたのは電子制御とフレームワークのほうだった。 残念ながら、レーサーRS250と同じ偏角Vツインエンジン、 とインジェクション搭載モデルはついに登場しなかった。 また、NSRの2サイクル90度Vツインエンジンは ネーキッドバイクに転用されることもなかった。 2ストのジェイドやホーネットがあったらよかったと思う。 この前仲間内での話で、 それまで紫煙を大量に吐き出すホンダの2サイクルバイクは、 NSR250の登場で大きく変わった。 そこに何があったんだろう? というものだだった。 それまで2サイクルエンジンで遅れをとっていたホンダ。 2サイクルエンジンは、その経験が長いヤマハが一番 と言われていた。
それが覆るのは、 やはりグランプリレースで開発されたテクノロジー(NSR500) がダイレクトに投入されたからだろう。 フレディ・スペンサーがレースいつもオーバーレブまで回し続け ていたこと。それでも焼付かないエンジンを開発できた。
それはメッキシリンダーの採用が1つの解決策だった。 そして電子制御キャブレターのPGMが開発されて NSR250R(MC16)に搭載された。 1985年当時、ホンダV6ターボエンジンはF1で最強だった。 それを支えるキーテクノイロジーがPGM−FIに よる電子制御だった。 ホンダはその分野で一番進んでいた。 PGM それはホンダの先進テクノロジーを表す金看板だった。 そのコンピュータ制御のPGMをNSR250に移植/搭載することで、
2サイクルエンジンの遅れを挽回して 一気に突き放したことは間違いない。 当時、新車試乗会が開催された鈴鹿サーキットで
NSR250R(MC16)を走らせたワイン・ガードナーは、 その走りを絶賛した。 その進歩の度合いは88年型NSR(MC18)で さらに加速する。 ところで、ヤマハは なぜ、1気筒5バルブの400cc4気筒 エンジンを作らなかったのだろう? 当時からそのことが不思議だった。 個人的には FZR400がモデルチェンジしたときに 5バルブ化されるのではないか? と密かに期待していんんだけどね。 16000rpmまで回せるエンジンを夢見て いたんだ。 しかし、ついに現れなかった。 しかし、いま考えると、
1気筒100cc×4気筒では、 5バルブを押し込んでもメリットが少なかった のかもしれない。 もともとのボアが小さいので吸気効率もあまり上がらない。 また4バルブでもバルブ自体が小さく軽いので、 高回転まで回してもバルブジャンプを起こさない。 4バルブでも14000rpm以上まで回すことができた。 また、FZR600、YZF−R6に搭載の600cc4気筒エンジンも 5バルブ化されることはなかった。 いまのR1も超軽量なチタンバルブを採用することで4バルブ形式 に戻った。
1980年代後半、 ヤマハFZR400のエンジンは、 レースに使えるハイパフォーマンスなエンジンに 仕上がっていたと思う。 そこがFZR750やFZR1000と違う点だと思う。 この2台はハイスピードツアラーだったわけだ。 また、耐久レースやスーパーバイクレースに出場するバイクは、 限定車のFZR750R(OW01)が用意されていた。 車両価格は200万を超えていた。 しかし、当時の大人はこんなことを言っていた。 パワーの低いFZR750R(OW01)がなぜそんなに高価なのか 理解できない。 FZR1000は145psもあるので圧倒的に速いじゃないか。 また、OW01にFZR1000のエンジンを搭載したコラボバイク
がある。
そんな噂を聞いたことがある。 まだまだバイクはパワーこそ正義だった? 1990年代前半に一番売れていたのは、 大排気量バイクはカワサキZZR1100だった。 いや、いまもそうだけどね。 しかし、200psなんて必要ないと思う。 時代は移り変わった。
いま世界で一番売れているバイク、 アドベンチャースタイルのBMW R1200GS。 もはや、スパーパースポーツバイクは売れる商品ではなくなった。 イタリア国内の二輪車販売(7月度)
バックナンバー
|
奥多摩最速伝説
-
詳細
|
奥多摩最速伝説 「CBX1000」3連星の伝説
とある土曜日の午前中のことだ。
私はいつもの喫茶店でCB1100Rの話を聞こうと待っていた。 その人はその昔、1982年型CB1100R、タイプRC を新車から走らせていた。
いまとなっては、RCがどんなバイクだったかを知る、
貴重な体験を聞けるに違いない。 その人はお昼前に現れた。 RCさん そこいいですか? ナン:
どうぞ、どうぞ、 梅雨が明けて本格的に暑くなってきましたね。 RCさん
まったくだよね ナン:ところで、 今日はCB1100R(RC)のことをお聞かせいただけませんか?
RCさん
いいよ。
なんでも聞いて。 ナン: CB1100R(RC)は、 いまもご実家のガレージにあるのですか? RCさん あの2台はね、 数年前に2台まとめてITさん売却したよ。 2台とも1万k以上走らせたので思いで深いバイクだったね。 それで充分だよ。 ナン: 2台、 というと? RCさん:
CB1100R(RC)とCBX1000のことだよ。 ナン: あっ、そうだったんですか? それは残念なことです。 ところで、 このの2台の走りはいかがでしたか? RCさん CB1100(RC)はハイスピードを出しても、 びしっと走ったよ。 毎年恒例の走りはじめ、 正月の西湘バイパスでのことだけどね。 当時すごく空いていたんだ。
また、前後に装着していたミシュランタイヤ(バイアス)が
驚くほどよくグリップした。 奥多摩を走らせるとタイヤサイドが溶けていた。 それまでそんなタイヤは見たことがなかったので驚いたよ。 たしか、ミシュランA48、M48だったと思う。
CB1100R(RC)は、
さすがにプロダクションレース(ヨーロッパとオーストラリア)に
出場するために開発されただけのことはある。
そう思ったものだ。
走る、曲がる、止まるのバランスに優れた、 いまの1000ccスーパースポーツバイクの
先駆けといえるものだと思う。 当時、200万以上のバイクは買わない。 そう思っていたけど、 CB1100R(RC)をどうしても走らせてみたい、 というの魅力に負けて購入に踏み切ったんだ。
250万だったよ。
*CB1100RのことはRIDE 86号が詳しい。
これ以上高価なバイクはbimotaだけだったね。 その後、友人の一人がbimota SB4を 購入(360万)した。 一緒に箱根方面にツーリングに出かけたことがあるよ。 いまも元気よく走るTKさんのbimota SB4。
私の友人たちの多くは、
当時最速のスーパースポーツバイクを
購入してその真価を確かめようとするライダーが多かった。
高価なバイクだからといって、
自宅のガレージに置いておくだくだけで満足するようなお金持ち
とは違う。
実際限界まで走らせていた。
その上で良い悪いを判断していたんだ。
CBX1000だけど、
ハンドリングが良かった。 そして6気筒エンジンのフィーリングが最高だった。 その後、CB1100Rを走らせたんだけど、 この6気筒エンジンと比べると4気筒エンジンは、 ちょっとね。 好きになれなかったんだ。 CBX1000/6気筒エンジンの6000rpmからの
胸のすくような加速感は当時の空冷4気筒バイクで味わうことは
できない。
そうそうスズキGSX1100カタナも
所有していたんだ。 ナン: えっ、 CBX1000のハンドリングが良かった。 その話は初耳です。 ちまたの噂では、 あのダイヤモンドフレームは剛性が低くてハンドリングを云々する バイクではなない。 と言われていますが? RCさん それは誤解だよ。 たしかに高速で飛ばすとウオーブルが出やすかったね。 しかし、アクセルの開け方ライディングポジションを調整すると、 出ないようにすることもできたよ。 それで限界まで試したんだ。
いまならステアリングダンパーを付ければ、
だいぶ緩和されるかもしれないね?
あの6気筒エンジンを見せるためには、 ダイヤモンドフレームじゃないとだめでしょ。 ホンダ・グランプリレーサーRC166(250cc/6気筒)と 同じじゃないとね。
私のCBX1000は1979年に日本に逆輸入された 最初期型のモデルだった。 練馬のバイク屋から購入して箱入りのまま自宅に持ち帰ったんだ。
*友人の分と含めて2台
最初に車検場に持ち込んだとき(ユーザー車検)、
キャストホイール(コムスターホイール) を見たことがない係員が、 このホイールでは車検を通せな言い出した。 それまではスポークホイールが当たり前だったからだ。 結局、キャストホィールに「HONDA」の刻印があったので 標準装着ホイールと認められ車検に合格したんだ。 また、北米仕様だったので、
日本国内販売のCB750用ライトと交換して光軸を合わせる
必要があったけどね。
そして、職権打刻なしに車検を通すことがでできた。
私のCBXは、ホンダの車体番号のままで通すことが
できたのでラッキーだった。
車検場によって対応が違ったようだ。
それでフレーム交換車両と間違われることもない。
そして晴れてCBX1000を走らせることができたんだ。 さっそく奥多摩&奥多摩有料道理を走らせてみた、 スムーズに回る6気筒エンジンが素晴らしかった。
いまもそのフィーリングが忘れられない。 そして右に左によく曲がるハンドリングのいいバイク だと思った。 その後友人の二人もCBX1000を購入したので、 三人でよく奥多摩有料道路を走りに行ったものだよ。 シルバーのCBX1000が3台そろったんだ。
想い出したよ、
友人の一人は、 6000rpmでクラッチミートさせて 盛大にリアタイヤをバーンアウトさせていたよ。 派手なことをするやつだったね。 私も含めた3人のオートバイ乗りとしての技量は高かった と思う。 わたしともう一人はモトクロス仲間だった。 また、CBX1000が3台走る姿は注目度満点だったよ。
たちまち噂が広がっていた。 当時良く出掛けていた、
横田基地/16号線沿いにあったバイク用品店の
スタッフから、
あんたら、CBX1000 3台で奥多摩有料を走ったでしょ?
ここまで話が伝わってきたよ。
と教えてくれた。
ナン:
それはすごい。 「CBX1000」3連星ですね。 見たかったな。 RC: 1980年代前半までのオートバイはフレーム 剛性なんて追及していなかったかったからね。 あの時代はあれが普通だった。 装着しているタイヤに見合ったものだったと思うよ。 ナン: RCさんはモトクロスに出場していたライダー なのでCBX1000のフロント19インチ、 リア18インチとダイヤモンドフレームの構成に 違和感がなかった。 フレームがねじれる(しなる)ことでコーナリング することができ、
当時のライディングテクに精通していたということですか?
RCさん そういうことだろうね。 実際いまの前後17インチ/アルミフレームバイクとは走らせ方が
違うことは間違いない。
また、コーナンリングが悪いなんて思っていたら、 1万k以上も走らせなかったと思うよ。 でもね。 前後フルブレーキングさせると、 あの細いフロントフォークが折れるんじゃないか? そう思ったものだよ。 ナン
そこで踏ん張ることができたのは、 新開発のキャストホイール(コムスターホイール)だったから じゃないでしょうか? 足回りの限界(剛性)が向上させたのでは? RCさん たしかにね。 それはあるかもしれない。 でも、当時の話だよ。
1979年当時は、それが最高だったんだよ。 その後1982年型のCB1100R(RC)を購入してからも、 CBX1000は手放さなかった。 それだけ良いバイクだったからだよ。 ナン: なるほど。 当時そこまでCBX1000でコーナーを攻め込んだ ライダーはいなかった。 少しくらいのウオーブルなんて問題にしない。
わたしのような素人ライダーとは、 感じ方が違うのでしょう。
数年前まで毎年夏に出掛けたいたそうだが、
東北のほうでオフロードを満喫するため、
そこに行き着くまで「モトクロスタイヤ」を履いたまま
高速道路をハイスピードで走るなんて芸当はできません。
*タイヤの空気圧を1.0kgまで落として100kで巡航
それ以上だとタイヤのブロックが飛んでしまうため
いまのようにタイヤのグリップとフレーム剛性に
慣れたライダーには想像すらできない世界だと思う RCさん いまでもホンダがCBX1000のような 6気筒バイクを出してくれたらと、 そう思うよ。 それだけCBXの6気筒エンジンは素晴らしかったんだ。 オートバイはモビリティであると同時に
趣味の乗り物だと思う。 夢を追及した商品があっても良いと思う。 直列6気筒エンジンを搭載したスポーツバイクの再登場を 期待したいものだね。 その後のエピソード1
ナン:
その後プロリンクサスの後期型CBX1000が出ましたが、
興味はありませんでしたか?
RCさん
友人の一人が購入したので試乗させてもらったよ。
ナン:
それていかがでしたか?
RCさん:
どうもピリっとしない。
低中速トルクが増強されて乗りやすくなっていたが、
肝心の高回転の美味しい部分が消え失せて
しまった。
フロントカウリングやサイドバックの装着で
かなりの重量増になっていた。
スポーツバイクではなく、
ツーリングバイクに変質してしまった。
これでは興味はわかない。
その友人も私の初期型CBX1000を試乗して
即座に買い換えてしまった。
これはほんとうのことだよ。
ナン:
初期型CBX1000はオーバークオリティー(エンジン)だった。
という話がありますが、
どう思われますか?
RCさん
それってどうかな?
初期型CBX1000にもウイークポイントがあるよ。
それはシリンダーヘッドからのオイル滲みだった。
私のCBXと仲間内でも現象が出ていたし、
当時他にもそういう噂があった。
でも、ボタボタ漏れるわけではないよ。
後期型では改善されているのだろうか?
ナン:
エンジンオイルはどこのブランドを 使っていましたか? RCさん: バルボリンだよ ナン: あっ、 私も使ったことがあります。 1985年夏、GSX−R400で北海道ツーリングに 出かけたとき、全走行距離が4000k近くになるので、
純正オイルよりもかなり高価なバルボリンの 鉱物油(20W−50)を入れました。 いまのように100%化学合成オイルが普及していない時代 でしたね。
このオイルで真夏の連続走行に備えましたが、 それは正解でした。 バルボリン・ペンシルバニア油田産 アメリカ産の(一般的にパラフィン系)鉱物油で 一般的な中東産の鉱物油とは違い、 最高品質の鉱物オイルということが後からわかりました。 いまはエンジンオイルの性能競争のおかげで、
当時とは比べ物にならないくらい良いオイルがたくさんあります。
ペンシルバニア産エンジンオイル - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/ペンシルバニア産エンジンオイル
ペンシルベニア産エンジンオイルとは. 内燃機関の潤滑油の主流が鉱物油や植物油であった時代、ペンシルベニア州(ペンシルバニア州)で採掘されるパラフィン系原油から精製される潤滑油が非常に高品質だとして価値が高かった。ペンシルバニア周辺で採掘 ...その後のエピソード2
タチさん
そのCBX1000のことは30年以上前に
奥多摩有料道路で見たことがあるよ。
当時私も50円払って奥多摩有料道路を友人と
よく走っていたんだ。
まだ、RZ250が登場する前で空いていたよ。
そこに何台かのCBX1000が突如として現れたので
驚いたね。 私のバイクはホンダフォークⅡだった。
一瞬で抜かれたので度肝をぬかれよ。
町のバイク屋では売ってないバイクだったし、
バイク雑誌でその存在を知っているくらいだった。 まさに神のバイクが地上に舞い降りた。
そんな感じだったね。 30数年ぶりに当時の情景が蘇ったよ。 いま履けるタイヤについて
CBX1000には、
ダンロップK300GTまたは、アローマックスGT601に用意
されたVレンジのフロント19インチとリア18インチタイヤをチョイス
できるかもしれない。
レーシングマックス アローマックスGT601www.komax.co.jp/racing08gt601.html
SPORT TOURING BIAS. 最新コンパウンドが優れたグリップ性能&ロングライフを実現。ビッグバイクからライトウエイトバイクまで幅広く対応するラインナップであるゆるラインディングに応える、ハイパフォーマンス・バイアスタイヤ。 COMPOUND. 最新技術を ..
結果[ 編集]年 ポジション ライダー メーカー モーターサイクル ラップ 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987
|
コメント(0)
|
俺のバイクを見るなり、
そのおやじは言った。 君たち中免なんだ。 なんだって?
その言いぐさにカチンときた。 そして、おやじ達が乗る2台のビックバイクは柳沢峠を下った。
それからしばらく「とき」を待った。 おやじたちにハンデを与えるためだ。 そして俺たちのRZを侮るな!
とばかりに柳沢峠を全速力で駆け下った。 バイクはヤマハRZ250の白と黒の2台。
ヤマハRZ250.
当時知る人ぞ知る、 最速の2ストクオーターだった。 兄弟車のRZ350は750キラー呼ばれていた。 従来の空冷エンジンを搭載したRD250に代り、
強力な2サイクル水冷パラレルツインエンジンを搭載していた。 さらにカンチレバー式モノショック/モノクロスサスペンション という革新的なリア・サスペンションを装着していた。 グランプリレーサーTZ250のテクノロジーが投入されたのだった。 おやじが走らせていたのはナナハン(750)。 1970年代、 それは最高峰バイクの代名詞だった。 その代表的なバイクがホンダCB750 Fourと カワサキ Z750RS(通称Z2)の2台だった。
ところで、
日本のオートバイメーカーは、
すでに750ccよりも大きな1000cc以上の排気量
を持つバイクを製造して輸出していたが、
それは遠い海の向こうの話だった。 縁のない話だった。 日本国内で正規に販売されているオートバイは750cc
までだった。
1980年代を代表するオートバイマンガに そういうシーンが描かれたいた。 主人公のZ2は750。 海外には900ccエンジンを搭載したZ1が存在していた。
あるときそのZ1と偶然出会った。
憧れの存在として描かれたいた。 750ccを超える排気量のオートバイ購入が現実味を帯びて くるのは、ホンダCBX1000、スズキGSX1100カタナ、
カワサキGPZ900R(Ninja900)、
そしてCB1100R(最初のレーサーレプリカ?)が逆輸入車 として日本のの地に里帰りして以降のことだ。 CB1100R(RB)。
1981年当時、逆輸入車として日本で販売された車両価格は
290万だったそうだ。
最初に販売されたRBは、その後のRC、RDよりも高価だった。
RCオーナーさんから、そういうエピソードを教えて
いただいた。
堂々たる体躯とスタイリング、
走らせればその圧倒的なパワーで一番速いバイク。 その「神聖にして何人たりとも侵すことことあたわず」、 ともいえるビックバイク(750)を こともあろうに わずか250ccのRZ250が脅かす存在になるとは 夢ににも思わなかった。 下剋上といっていいだろう。 1980年代前半とは従来の価値基準が音を立てて崩れさった、 おそるべき時代の到来だった。 その変革の波は次々にやってきた。 その後に登場したスズキRGガンマ250。 RZ250さえも 後塵を拝するおそるべきバイクだった。 アルミフレームにより超軽量を実現、 2サイクルパラレルツインからライバルを圧倒する 45psのパワーを絞り出す。 フロントカウリングの装着。 フロント16インチホイールを採用。
まるでグランプリレーサーが公道に舞い降りかのようだった。 それ以降、ワインディング最速スポーツバイクは完全に250cc、
400ccバイクとなった。 レーサーレプリカブームのはじまりだった。 当時は大型自動二輪免許を教習所で取得できないため、 オートバイメーカーは中型自動二輪免許で乗れる 250cc、400cc バイクに力を入れたという背景があった。 これは日本だけの現象だった。 日本国内だけで充分な販売台数を見込めたからだ。 日本のレーサーレプリカブームの頂点は、 ホンダNSR250Rだといっていいだろう。 鈴鹿8時間耐久レース、1987年からグランプリレースが 日本で開催されるようになったこともあり、
その人気はうなぎのぼりだった。
日本国内だけで1年間に2万台も販売するほどの
人気を誇った。 しかし、そいうった現象は長く続かなかった。 その後は普通のネーキットバイクである、 カワサキ・ゼファー400が人気の中心となっていった。
オートバイに求める価値観が元に戻ったというべきか?
乗りやすくあきのこないスタイリング。
二人乗りできる。ツーリングでの使い勝手が良い。
またかつてほどオートバイが売れなくなった。 レーサーレプリカブームは静かに終焉のときを 迎えるのだった。 話をもとに戻す
当時ツイスティロード最速のRZ250は奥多摩湖畔にたどり付く前に
ビックバイクに追いつき、追い抜いた。
見たか、俺たちのRZの速さを! 侮るなよな。 そして奥多摩有料道路に入る手前の三頭橋たもとの 定食屋の前で休んでいたら、 その2台が手を振りながら通り過ぎていった。 いま考えると、 良い人たちだったね。 あれから30年。 俺は若かった。 ナン: いまでもやりますか? RZさん とんでもない、 若気のいたりですよ。 いまなら仲良くしていただき、
お客さんになって貰うことを考えちゃいますよ。 ナン: それは賢明なご判断です。 いま振り返ると1980年代は物凄い時代でしたね。 オートバイの世界は怒涛のごとく突き進んだ。 メーカーもライダーも常に新しいものを求めた。 1980年代前半、 RZ250は時代を変革する旗手だったと思います。 ナン:
さて、
奥多摩最速と言われたGSX−R750(87年型)。 いくら乾燥重量181kg(ガソリンなし装備重量で198.5kg)とはいっても、前後18インチタイヤのバイクが そんなに速かったのですか? 400Rさん: 登りはパワーの差があるので、 どんなにがんばっても抜かれてしまう。 それから下りならと力んだんだ。 しかしぴったりと付いて行けるけど抜けないんだ。
その当時、FZR400Rには最高峰ハイグリップタイヤと 自他ともに認める、
「ヨコハマハ・ゲッター003」を履いていたんだよ。 あのGSX−R750(87年型)は、 前後18インチタイヤだったんだね。 やはり腕の差だった。
いまはそう思うよ。 しかし、その男はバイクから降りてしまった。
ナン: その頃の走り屋はいまもご健在ですか? 400Rさん: あれから30年近く経ったけど、 ほとんどの連中がバイクから降りてしまった。 結婚して子供ができたら、 なかなかバイクに戻る選択はない。 バイクを走らせる=峠で膝すりだったからね。 青春のすべてをバイクに注ぎ込んで燃え尽きて しまった。 そういうことでしょう。 ナン: 400Rさんはいまも乗り続けて いますよね。 400R: 私の場合は、オンとオフの両方を走らせていた。 バイクは通勤の足だったこと。 峠一辺倒ではなかったので、 いまも続いています。 峠ではタイヤの左右を使い通勤では真ん中だけを使う。
そういう走りで1ヶ月に1セットきれいに使いきっていた。
しかし、カウリング付のセパハン・バイクはもういいです。 いまはこの軽量でパワフルなモタードバイクで充分です。 ナン: なるほど。 ところで当時高尾山の向こう側の峠も有名でしたが、 どう思っていましたか? R400: あそこは国道なので、 トラックやトレーラーがたくさん走る。 奥多摩とは違う意味で危険な峠だったと思っていたよ。 事故の事を人づてに聞くと耳をふさぎたくなるような 話ばかりでしたね。
胸が痛みました。 その点、奥多摩有料道路は夕方になると走行する バイクや車少なく走りやすかったね。 しかもゲートの係員が帰った後は無料だった。 思う存分走りを楽しむことができた。 いい時代だったね。 しかし、事故が無かったわけではありません。
400R: ナンちゃんはいまもNSRを走らせているよね。 その理由は? ナン: えっ、私ですか? オートバイ=カウリング付きセパハンだからです。 若いときからこればっかりです。 基本的にネーキッドバイクには興味はありません。 私の場合は実際の走りではなく、 「速く走っている俺」 というイメージだけです。
次回はカワサキZ400GP Vs ホンダCBX400
についてストーリーを展開してみたいと思う。
はたしどちらが速かったのか?
続く
1980年代後半、
レーサーレプリカ全盛の時代。 奥多摩有料道路の走り屋たちは、 どんなライダーだったのだろう。 その実像を探ってみたい。 ...............................
|
|
以前、奥多摩で出会ったヤマハFZR400R
奥多摩最速伝説
1980年代後半、
レーサーレプリカ全盛の時代。 奥多摩有料道路の走り屋たちは、 どんなライダーだったのだろう。 その実像を探ってみたい。 その当時奥多摩で1、2位を争う速いライダーだった 400Rさんに話をお伺いしてみた。 携帯動画で当時の走りを観せていただいた。 どうやって撮影したかは秘密。 バイクは、ヤマハFZR400R。 Exup(排気デバイス)、フローティングディスク/4ポットキャリパー、 リザーバタンク付きリアサス、ラジアルタイヤ。
そしてサーキット走行を想定したクロスミッションを搭載していた。
1987年当時、一歩進んだパーツを装着していた。 価格は89万(車両価格)と高価だった。 ビデオ映像では常に10000rpm以上をキープしてシフトップ、 ダウンを繰り返していた。 クロスミッションなので回転をキープするには、 非常に具合が良い。 あのヘリポートのあるロングストレートの下りでメーター は真下を指していた。
そこで一瞬のうちにハードブレーキングしてスピードを落とす。 即座にバイクをバンクさせてハングオン。 これ以上寝かせるとクラッシュするところまでバンクさせる。 皮ツナギのバンクセンサーを路面にこすり付けてバンク角を 維持する。
そのときブレーキングポイントを誤るとオーバーランする可能性が
高い。ぎりぎりのせめぎ合いだった。
あるとき、後ろから追いかけてきたやつがいた。
ちょっと危ないぞと感じた。 そこでスピードを緩めて先に行かせた。 案の定、止まりきれないでオーバーランしていた。 そういいった光景を何度も見ている。 あのまま走っていたら、
後ろから追突されていただろう。 いまのスーパースポーツバイクでも、 そんなことはできないだろうね。
当時、それほど尖んがった走りをしていたんだ。 毎度お馴染みの男たちとバトルを繰り返していた。 奥多摩有料道路の常連はレベルが高かった
ということだろう。 そう思うよ。 下りなら、あの奥多摩最速と言われてGSX−R750に ついて行けた。 いまでもマシンの差はあったとしても腕は互角だと自負している。 しかし、登りではパワーの差があり勝てない。 なので下りで勝負していた。 その男は、聞くところよると公務員だったが、 いまはバイクから降りている。 腕の立つライダーだったので残念だ。 ナン: R400さんに聞いてみた。
奥多摩有料道路で速いバイクは? 奥多摩はタイトコーナーが多いので、 基本的に重いバイクでは勝負にならない。 ブレーキが効かないし即座に切り換えしもできない。 当時、奥多摩有料道路で速く走れる排気量の大きななバイクは、
乾燥重量179kgのGSX−R750だけだったと思う。 アルミフレームに油冷エンジンを搭載した、
脅威の750ccバイクだった。
ライバルバイクよりも圧倒的に軽量だった。
*初期型GSX-R750はアンダーカウルがFRPだった。
そういったところにも軽量化へのこだわりがあった。
1987年の2型から乾燥重量が181kgまで増えた。
しかし、フローティングデイスク、ステアリングダンパー
エンジンのリファインなどで完成度が上がった。
GSX-R750(1985)乾燥重量/装備重量
179 kg / 198.5 kg(ガソリンなし) 1987 FZR400R
162kg/175kg? FZR750 213 kg / 235 kg RC30
185 kg / 198.5 kg(ガソリンなし)/ 212 kg(ガソリン満タン)
奥多摩有料道路では、 やっぱり軽量な4スト4気筒400cccまたは、 2スト250ccバイクが速かったよ。 それは軽量なので振り回すことができた。 後は腕の差が大きい。
いかに恐怖心を克服できるかだと思う。 エンジンを限界まで使い切り、 ブレーキングを我慢できるか? それはバトルと走り込みでしか身につかないと思う。 私は一か月に1セットのタイヤ(ヨコハマ・ゲッター003?) を消化していた。
4回出掛けたら交換。 その1回が朝から晩まで走り続けた。 その繰り返しでどんどんレベルが上がっていった。 いまはサーキット走行が手軽にできるので、
そこで腕を磨いたほうがいいでしょう。 ところでいまは、 このモタードバイクで充分。 セパハンで前傾がきついバイクには乗りたくない。 腰が持たないよ。 若いときのように無理が効かないんだ。
ナん:
えっ、
この前のツーリングで
BMW S1000RRとつばぜり合いをやったのでは?
えっ、
なんのこと?
続く、.......
|



