日本の古代に興味があって、関連の本を読み漁ったが、手元にある本を数年後に読み返すと、殆ど内容に記憶がない。確か通して読んだはずなのだが、全く覚えていないことが多い。 2度目を読んでも、頭の中に入っていないので、方法を講じて、最近は2度目を読んだ後、ポイントだけを要約したレジメを作ることにした。そしてそのレジメを集め、統合させれば、あまたの筆者たちの考えが一つのストーリー性を持って、古代史の大河になってくれるのではないかと、勝手に期待している。 古代史ではないのだが、30年も前に買った本が手元にある。書庫から書籍が溢れてしまうので、都度処分するのだが、後からでも役に立ちそうなものは残すようにしている。 さてその中の一冊。 別冊宝島−57 道具としての英語 表現編 JICC出版局:発行 1988年第6刷発行 この本は 別冊宝島−142 道具としての英語 記憶しないで使える英熟語 JICC出版局:発行 1991年発行 とペアで残してある 入浴の際、湯船につかりながら読み返した。142は読み終わり、57の46Pまで来た時、ちょっと待て −−−−−−−−−−[別冊宝島−57より転載]−−−−−−−−−− 英語の勉強とは別に、自分の価値基準は、中央の[良い]から上の、[論理判断]に傾いてはいなかっただろうか。と気付いた。 [論理判断]の行の 善、正義、正しい どうもその辺りが、自分の価値判断の基軸だったような気がしてならない。 それに比べて
当然、[価値判断]をして来なかったわけではないが、偏っていたきらいがある。 セミリタイアした後は、漠然とそうなろうと心掛けてはいたが、明確には認識していなかった。 そうなんだ。[いい]人生とは、[豊か]で、[すばらしい]生き方をすることなんだ。 これからは、他人からの評価は全く意識せず、
お金がなくたって、人生を[すばらしい]ものにするには、心の持ち方次第だと思いを強くした。
|
無題
[ リスト ]


