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日本の古代史に興味を覚えてから、20年以上になる。
読破する書籍、チェックしたネットのブログの数が増えるほど、違和感を感じるようになった。
知識の点が線になり、一部が面になっていくに連れて、教えられてきたものとの間に、素直に飲み込めない違和感がでてくるのだ。
結論から言ってしまうと、
奈良の地では、[伽耶]の王系が続いていた。その正当性のある王系(蘇我氏は正統の王系だった)を簒奪した[百済系の天智・持統王朝]が自らの王朝を正当化するために、外戚の藤原一族が創作した言葉だと思われる、[万世一系]という途方もない横着な概念が桓武天皇を祖とする藤原王朝に引き継がれ、
その後、明治政府により増強され、昭和の軍国主義により更に確固たるものにすべく、国内の[古代史]と [考古学]の学者が、その概念を補強するために動員された。
そして、それを阻害する証拠、学説は排除され、戦後、革新的な学説もでたが、核の部分は揺るぎもしないで、存続している。
今、[古田武彦]氏の全集を読み始めている。10巻ほどのものだが、3巻から始めて5巻の途中まで来た。
この方はもう2年ほど前にお亡くなりになったが有名な方で、以前から名前だけは存じ上げていた。
日本古代史の中核の学者からすれば、異端児で頭の痛い存在だったと思われる。自分たちが築き上げてきた学説を根本からひっくり返してしまうのだから、既存の学会からすれば、権威の崩壊にもつながり、歯ぎしりする存在だっただろう。
日本古代史は、その学会が[万世一系]の概念のために営々と築き上げてきた防波堤だった。考古学と共謀して、異説が侵食してこないよう懸命だが、桓武天皇を初代とする百済系王朝は1300年の長きにわたっている。
例え、桓武天皇の前に、幾つもの王系が交代したことがあったと受容しても、それが現天皇制を脅かすことにはならないと思うのだが、そうもいかないらしい。
平成天皇は、皇太子時代に[ガーディアン紙]のインタビューに「桓武天皇の生母が、百済の武寧王の子孫で、韓国とはゆかりがある」と答えていらっしゃいましたけど、その議論は深まらなかった。
明確にするのを許さないのは周りの人たちの様だ。
逆に天皇家の方が、ルーツに明確な認識があるようで隠そうとしていない。不思議な話だ。
400ページ程の本だが、自論への批判に対する再反論で、自説の正しさを再提示するという内容なので、あまり楽しい内容ではない。ストレートに理解するのが困難で、睡眠導入剤になってしまっている。
| 一冊読破するのに、1か月もかかってしまう体たらく。 |
それでも、[古田武彦]氏の説は、立場と都合を持たない古代史好きの素人が疑問に思うことを、「そうだよなあ〜」と、無理の無い論理で、実像が明確になる方向へ導いてくれる。
これだけ文明が発達した現代、ゲノムやIPS細胞、宇宙開発、ネットなどなど他の分野は画期的な進化を遂げているのに、古代日本史だけは、何の進展もない堕落した学会のようだ。
今の時代、[卑弥呼の墓]や[卑弥呼の居宮]位は、突き止められていて当然だと思うが、そうさせては困る勢力が邪魔をし、妨害をし、[うその古代史]を押し付けている。
個人的にも様々な異説を読んで、日本古代史に対するイメージが朧気ながらに固まってきている。
結論は、「嘘ばっかり教えられてきたなあ〜」が率直な感想。考えてみてください。最先端の文化が中国にあった時代。太平洋側からは何の文化も渡来しない時代。
| その時代に、奈良が日本の首都になれるわけがない。のは自明だ。 |
奈良盆地のど真ん中に、[古奈良湖]という大きな湖があった時代に、[7万戸(人口≒35万人)]の邪馬台国が奈良にあったと強弁するのは、如何にも無理がありすぎるのではないだろうか。
当時から交易こそが繁栄の礎だし最新文化の取入れ方法。中国大陸、そして朝鮮半島に近い、北九州の方が近畿より最先端文化を先に享受できていたのは、素人でもわかる。
邪馬台国が九州にあり、卑弥呼も九州にいた。のでは困る人たちが寄ってたかって、私達が教えられた[万世一系]の日本古代史を綺麗に整えたということだろう。
日本に対し「歴史を直視しろ!」という、中国や韓国の発言を聞いていると、歪曲され限定された知識だけで生きていると、真実を見失ってしまう危険性を痛感せざるを得ない。
「歴史を直視していないのは貴方達ですよ!」と、忠告してあげたいのだが………
日本の古代史にも同様なことが言えるだろう。国を統治するには、余分な猥雑な知識は民衆の耳目から遠退け、統治者を正当化し、体制に歯向かわない方向に教育する。それが統治の大前提。
話のピントがズレてしまったが、
[古田武彦]氏の全集を読破しながら、少しづつブログに書き留めていきたい。
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