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最後の入選作 の 完成形 一昨年 美術展に出展する絵の取材で 未完の状態で新聞記事の写真に納まった 絵 と 100歳の ばぁば 記事の中で 「どこでもない架空の場所です」と言った絵の風景 その場所に 今 ばぁばは、居るのでしょうか 2013年3月24日 早朝 102歳まで あと1ヶ月と少しというこの日 静かに眠りについたそうです 前日の牛深での取材を済ませ 五和を経由し島原へ向かう予定で 車を走らせている途中 桜の花が 美しく咲き乱れるその亀川ダムあたりで ザワザワとした気持ちがあふれ トンネルの手前の公園に車を入れた そのあとすぐに 涙声の電話がかかってきました 人間 あまりに驚くと 涙も出ない 本当なんだな・・・ ひとごとのように考えながら とにかく 帰らなければ その一心で車を走らせるのですが 通いなれた天草路なのに 道は間違える クラクションは鳴らされる 正気に戻ったのは 501号線と新港線の交差点で 何処に居るのかわからなくなり動けない 大型トラックに怒鳴られる その瞬間 涙が嗚咽と共にあふれてきました 100歳を過ぎてから 入退院を繰り返していたばぁば 病院へは何度かお見舞いに行きましたが 私と父親との関係が芳しくない為 自宅へは会いにいけない状態で 1年以上、顔を見せていなかったのです 春に 泰季が 高校の制服を着た姿を見せようと 4月8日の入学式が終わったその足で 二人で会いに行く予定でしたが 叶わぬこととなりました 美しい彫りの施された桐の箱に 横たわるばぁばは 顔色も良く まるで眠っているようでした その傍らで 悔し泣きする泰季 いじっぱりで馬鹿なやつだと後悔する孫娘の自分 葬儀社の方が お迎えにみえた際 「何か思い出になるものを会場に飾りましょう」 とおっしゃって たくさんの 絵 に目をとめられました ですが 100号の大きなものがほとんど 皆 ムリだろうと思っていたのに 「是非、皆さんにご覧になっていただきましょう」 最後の出展入選作となった作品と 絵のテーマとして 常に描き続けた「登り窯」など 数点を会場に飾っていただく事ができました まるで 個展のように くしくも 葬儀の当日は 泰季の入学する学校の ガイダンスの日 通夜が終わったあと 一旦、戻ることになりました 朝、学校へ行き 12時過ぎに終了したその足で 葬儀場へと走りました 12時葬儀 大津から人吉を経て水上村まで どう考えても 出棺はすんでいる せめて お骨だけでも・・・ 「けいこが、まだこんとよ」 といつも言っていたと 通夜の席で聞きました 葬儀の時 ばぁばが 明らかに 私を待っていたのだろうという瞬間がありました 本当ならば 焼香もできず 最後の顔も拝めなかったであろう 大津から水上村までの 距離と時間 でも 今から、焼香台を片付ける というその時に たどりつくことができたのです 焼香を済ませ、最後にお花に包まれたお顔を見ることができ いたらぬ孫娘は 許された気持ちがしました 30日の土曜日 初七日にあたる日 お参りにいきました ばぁば の部屋は 見事に片付けられており 空っぽで ものが無くなってしまい ただ 絵 だけが いたるところに 飾ってありました これから、しばらく お見えになるお客様に ばぁばを偲んでいただくためのスペースとして・・・ 書を好み 華を活け 吟を詠み 絵を描く 年齢を増すほどに その意欲は旺盛になるようにみえ 馬鹿な孫娘は このような別れの日が来るなんて 考えもしなかったのです 写真は 10年以上も前のもの この日 阿蘇 馬見原を経て椎葉村から峠を超え 古屋敷 水上 へと 四駆で走ってきた夕方 道すがら 崖が崩れそうな場面も多々あったと ばぁばに話した矢先 「子どもが居る身なのだから、もう少し落ち着きなさい」 と 叱られました 一週間が過ぎ 眠りにつくものの 自分の泣き声で目が覚め お風呂に入り シャワーを流しっぱなしにして 泣くこともまだあります 幸いな事に 今 どの仕事も いろんな意味で 忙しく 早朝にでかけ 帰宅が22時ごろと 無心に 仕事をする事で 徐々に 日常の感覚は取り戻しつつあります 3月の ブログの更新が このような内容で 申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが 私の中の記録と心の整理として お許しくだされば幸いです そして 皆さんがもし 愛する人の最後を看取る瞬間が来るとしたら 後悔することなくお別れできるよう 日々の暮らしを丁寧にお過ごしください 最後まで 読んでくださり 心より感謝いたします 3月31日 なにげな
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