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南京では今朝も雪景色です。
去年の今頃も寒い日々が続いておりましたが、春節を越えると次第に寒さが緩み始めてきて、これから春になってゆくんだなと実感出来ました。
(旧暦「陰暦」の方がアジアの生活感覚には合っていると思います。)
今年ももうすぐ春節ですが、この寒さもあと少しだと嬉しいです。
さて、先週南京の知人の御夫婦に女の子の赤ちゃんが生まれました。
小生が「今年の干支のウサギの様に、元気で可愛い子に育つといいですね。」と言ったところ、お父さんは「いや、この子は寅年です。」と言うのです。
一瞬意味が解らなかったのですが、中国では干支は旧暦に属するものと聞いてなるほどと思いました。 つまり旧正月前の今現在はまだ寅年だったんですね。
ならば、その様な方がもしも干支を聞かれたら、「日本の太陽暦では卯年ですが、中国の農暦では寅年になります。」と答えてあげた方が親切なのでしょう。
少々ややっこしいですが微妙な誤解を避けるためには必要なことかも知れませんネ。
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お茶飲み話でも
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スタッフのつぶやきなど。耳寄りな情報に出会えるかも?!
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最近日本では『伊達直人』のペンネームで孤児院などに寄付を行う人が増えているそうで、なんとも心温まるお話であります。
さて、昨年の9月米国の大富豪ビル・ゲイツ氏とウォーレン・バフェット氏が北京で慈善パーティの開催を呼びかけた時、中国側の富豪で真っ先に応じたのが陳光標氏でありました。
陳氏は南京にある資源リサイクル会社「江蘇黄埔再生資源利用有限公司」を経営する民間の企業家ですが、別名『中国首善』の異名を持ち、つまり中国でトップの慈善事業家として有名なのです。
昨年までに8.1億元の寄付行為をおこなっていて、もしも自分が死んだら全財産50億元を寄付すると公言されているとか。
2008年5月の四川汶川大地震の時は60台の作業車両と120人のオペレーターを引き連れて自ら現地入りし、131名の人命を救出したそうです。
もの凄い人物がいるものだと感心して、同社のホームページを検索してみました。 ( http://www.jshp.com.cn/ )
すると、これまでの寄付や慈善事業の実績、それとどんな栄誉を受賞したとかが、大量に盛り込まれていて、チョット唖然としました。
南京の某友人の話では、陳光標氏は他の富豪たちも慈善事業をするのを喚起するため、あえて自らが広告塔となっているのだとか。
日本であれば「伊達直人」よろしく、寄付や慈善行為を行った時にはあまり公表しない方が多いのでは思いますが、中国ではどうも事情が違うようですネ。
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数年前までは、南京紫金山の麓には「南京手表廠」(南京腕時計工場)がありました。(もしかしたら、今でもあるかも知れませんが。)
ここで製造されていたのが、『鐘山』ブランドの機械式腕時計で、勿論自動巻やクオーツなどではなくレトロな手巻式です。
南京手表廠は、その前身である「江南造鐘廠」(1955年設立)から数えれば50年以上の歴史がある国営企業でした。 改革開放前のまだ時計が貴重品だった頃、ここで製造された時計は全国に向けて出荷され、「鐘山」は中国製腕時計の五大ブランドの一つに数えられておりました。
まだ人々の平均月収が50〜60元だった頃、「上海」製腕時計は120元くらいの大変高価なものでしたが、鐘山は30元で購入出来たので、庶民でもなんとか手が届いたのです。 それでも月給の半分もする高級品だったので、誰かが鐘山時計を購入すると近所の人たちがゾロゾロ見にやってきたそうです。
文革の影響で経済が大混乱していた時代、鐘山時計は『通貨』としても威力を発揮しました。 例えば、山西省あたりに石炭を買い付けに行くときなどは、鐘山を袖の下として渡すと、上手く配分してもらえたようです。
南京長江大橋の鉄骨の一部も、鐘山で購入されたものとの噂がありますね。
南京での時計産業を発展させるため、当時の中国政府も色々と努力をしました。
長江対岸の浦口区泰山新村には「鐘材廠」というバス亭がありますが、これは「南京鐘表材料廠」の意味で、以前ここには時計専門の金属材料工場が建設されておりました。
増産のためにスイス製の精密工作機械を購入し船で南京まで運んだ時には、台湾海峡での国府軍による臨検を阻止するため、宋慶齢に頼んで義弟の蒋介石に話をつけてもらったのだそうです。
こんな努力(?)のかいもあってか、1976年から1984年にかけて鐘山時計の生産は最盛期を迎えます。(1984年の生産量は220万個)
しかし、改革開放が進むと性能もデザインも洗練された西側の腕時計が大量に輸入される時代を迎えます。 更には香港系の時計部品企業が広東省に進出して腕時計のOEM生産を始めると、鐘山時計の販売は次第に先細りとなり、南京手表廠での生産も年々縮小を余儀なくされました。
国営企業の体質のせいでしょうか。 技術革新の波に乗ることが出来ず、21世紀になると遂に鐘山時計の製造を中止せざるを得なくなります。
そして2005年の南京・太平商場での在庫販売セールを最後に、中国の庶民から愛された鐘山時計は市場から姿を消すことになりました。
さて、小生は趣味としてアンティックな手巻の機械式時計を集めています。
2008年に南京に赴任した当初は市内の時計店を廻って、鐘山時計の在庫はないかを探したものでしたが、幸い何点か購入することが出来ました。
ただ、「出物」(特に程度の良いもの)は本当に少ないというのが実感です。
価格は一個当たり30〜100元程度でしょうか。(バンド無し)
市内の古い時計店や骨董市場で鐘山時計を見つけた方は、状態が良いものであれば購入されることをお勧め致します。
まだまだ安いので、数年したら骨董的価値が上がるかも知れませんヨ。
(ただ、よく不良品も混ざっているので、十分気を付けて下さいネ。)
因みに、上海手表廠で製造されていた「上海表」であれば、まだ比較的出物は多いと思います。
アンティックな時計のお好きな方は、上海にご出張の際にちょっと古めの時計店を覗いてみて下さい。 こちらの価格は一個当たり100元程度です。
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◎脱「没有」
今、中国では「魂に触れる革命」「文化大革命」が進行中のようです。 一五年前、私が中国(貴州省貴陽市)にいたころ、「没有」が外国人の一番最初に覚える言葉でした。この言葉の深遠さは、「疎外」や「物象化」どころではありませんでした。なにしろ、「ある」けど「ない」のです。お客が国営デパートに行って、「何々はありませんか」というと、売り場のお姉さんは、いかにもめんどくさそうな顔で一言、「没有」。でも、あたりをよく見ると、ちゃんと「ある」ではありませんか。ですから、この言葉の意味は「あんたとは何の義理も縁もない。そんな人間のためにわざわざケースを調べて探し出す必要はない。だから、ないんだ」ということになるわけですね。 南京市長江大橋
ところがどうでしょう。今では、お客が来ると、笑顔! で「いらっしゃいませ」。商品を渡す時、お金を受け取る時、「ありがとうございます」。そして、お客が帰るとき「お気をつけて」とくるのです。これじゃお客の方も「ありがとう」と言わざるを得ない。すると、「どういたしまして」と返事が返ってくるのです。
社員教育 (朝礼?)
さて、この「銭の力」に対抗する運動はこれほどの「革命力」があるのでしょうか。 「 はい、生ビール2杯、はいりましたぁ。」
「アソシエーション」的結合の重要な道具としてLETSや「労働証券」があるわけですが、これらと「銭」とでは今のところ「革命的力量」があまりに違います。「豊かになりたい」という人々の気持ちは現代ではピューリタニズム的に否定することはできない。したがって、この気持ちをどう取り入れていくかが「アソシエーション」的運動にとって決定的になると思われますが、いかがでしょうか。
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◎金門島にて
もっとも、金門島の住民はフリーパスでアモイにやって来れるし、台湾資本はアモイにどんどん投資をしています。また、驚いたことに金門島の若者がアモイ大学に入学しているそうです。金門島の若者にとって、台湾本島は遠いし、その地理的位置から本島の経済発展にも取り残されています。したがって、「豊かな」アモイに憧れ、アモイ大学に入学するということです。先日、アモイに行き「金門島巡り」の観光船のクルージングをしてきました。 船は平気で「国境」(こういう表現が適当かどうかは別として、ほかに言葉が見当たりません)を越えて、金門島(小金門)に近づいて行きます。岸に三〇〇メートルぐらいのところまで接近しました。「三民主義統一中国」という台湾のスローガンが掲げられています。青天白日旗も見えました。 二人の兵士を見かけました。銃は手にしていないようです。乗船客は兵士に手を振ったり、写真を撮ったり、望遠鏡を覗いたりしておおはしゃぎです。私は思わず笑ってしまいました。あまりにもあっけらかんとしていたからです。「本音と建前」という言葉が頭に浮かびました。まことに平和な風景です。 それではまた。 |



