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旅本を読むのは愉しい、ましてや犬との旅とのであれば楽しみも倍加する。

スタインベックのこの本は、以前文庫本として出版されていたのを知っていたが、永く絶版となっていた

ポプラ社からハードカヴァー本として出されたのが2007年、店頭におかれていたのを知って即購入し

たのだが、わたしのボロ家の中で行方不明となって読むこともできないでいた。やっとこ見つけて、この

梅雨の時期、寝転がって読んだ。


スタインベックのお供をしたのは、プードル種のチャーリー、彼は貴重な外交官としての役目を旅の中で

勤める。散歩のときおりにでも犬を連れていると何故か、犬のことから話しが出来て初対面の人にでも

仲良くなれる、犬が他人とのつながりのきっかけにもなってくれる。それに旅ならば無聊を癒してもくれ

る。

スタインベックはピックアップトラックの荷台に改良したキャビンを載せた特注車で旅立つ。

ニューヨークから西へと向かい、西海岸からは南下してテキサスへ入る、これがスタインベックとチャー

リーとの旅の行程である。

旅は人との出会いであり、また思索への途でもある。運転中に心の中で短編を書いたり、アメリカ人の

持つ根っこのとこをも考えてみたりもする。

チャーリーの病もありで、旅はいつも何かがあるものでもあ。

テキサスでは、おりからの政治的対決の嵐の中でもあった、白人の子供と黒人の子供との共学問題をも

見る。警察に守られて学校へ行く二人の黒人の子供に、下品な声を叫んでいるチアリーダーと呼ばれてる

白人のお母さんに嫌悪をおぼえつつ、このチアリーダーたちを面白がって見てる多くの白人たち。

スタインベックの旅は、ここテキサスで終わった。60年初頭のころのアメリカ。晦渋にもみちた旅でも

あった。


犬との旅本を読むと、わたしもまた、愛犬との旅にへとあこがれる。

ビワも車に乗るのは好きである、ドアーを開けると勢いよく飛び乗る、ドライブが好きというわけでなく

、床のとこでじっとしている。わたしといっしょにいることが好いのかもしれない。

わたしも、ビワとでいろんなとこに行きたいという想いだけはある。

ガイドブックなりを見てると、余計にそう思うのだが、背中ポンがなかなかない。

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ボルヒェルトは1921年ドイツ、ハンブルク生まれの作家です。敗戦後すぐの1947年に亡くなって

います。彼の作品は戦後すぐから亡くなるまでの2年間というわずかな時間のうちに書かれています。

戦争の傷と病が彼の命をうばいました。ほとんどの作品が小品という短いものですが、胸の中のものを

勢いよくはきだすみたいに、ほとばしる力で語られています。

「たんぽぽ」は未知谷社発行の、彼の作品のアンソロジー集です。

表題作でもある「たんぽぽ」は、戦争期の体験記でもあります。召集兵として東部戦線で戦闘中に負傷

します。ただ手の傷が兵役拒否の自傷行為ではないかと嫌疑をかけられ軍法会議にて銃殺刑を求刑され

ます。だが弁護人らの奔走で三ヶ月の独房のあと無罪判決をうけます。

このときの独房での体験が「たんぽぽ」という作品をうみました。

日に一度だけ囚人は、独房から出されて円形の運動場を歩きます。ぞろぞろと囚人は円となって後を

周り歩く。その運動場には黄色な小さな花を咲かせたたんぽぽがありました。

彼は歩く円をすこしづつ大きくしてゆき、看守の目を盗んで、たんぽぽを獲ります。

ブリキの缶のなかで生けられたたんぽぽ、この独房のうちにあって、黄色なこの花だけが唯一の生を

感じることのできるもの。この小さな生きものを、あがめるように両の手で捧げ持ちます。

1921年生まれのボルヒェルトは表現主義芸術に強く影響された作品を書いています。

この本の表紙は、キルヒュナーの版画です。細い線が時代の不安を予感します。

絵具を厚く重ね塗られた絵画のように、彼の文もまた言葉をいくつかも重ねた文を書いています。

簡潔な文ではなく、言葉を重ねることで不器用だが骨太の人間を描こうとしました。どの作品を短く

かれのおもいがどこまで届いていくのかは?がつきますが。


この本にはどれも短い作品が集められています。

戦後の飢餓の時期の老夫婦の小さなウソの機敏をあつかった「パン」という作。短いけれど味あいふかい

作品でもあります。

「これが僕らのマニフェスト」や「そのときはただひとつ」は、戦後半世紀以上をすぎた、いまのこの

国の能天気さを戒めます。

今年も

きっぱりと冬が来た。

わたしの住んでる地方でも、北は雪が積もっているとニュースが伝えています。

もう、すこしでお正月です、寒くあるのはあたりまえです。

いつまでも、ぐうたらしてないで、お部屋の掃除をしてお正月を迎えなくては、そうは、毎年のことく

思ってはいるのですが、いつもいつもお部屋を丸く掃くというアリバイ作りのお掃除でごまかしています


寝転んで本を読むというクセがついてしまい、わたしの床まわりは読みかけの本が乱雑に置かれています

岡井隆の歌ではないが、「上に置く本が昨日の本を消す そんな毎日に付き合ってゐる」です。

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「盲目の女神」 20世紀欧米戯曲拾遺、訳者の小笠原豊樹氏が選んだ8編の戯曲が、イデオロギーに

潰された作家の名誉回復をと、ここに訳された作家の作品はいまではなかなか上演されることもなくなっ

ています。

表題作での「盲目の女神」、作者のエルンスト・トラーは、かのドイツ革命の烽火をあげたバイエルン

レーテ革命評議会議長でもあった、闘う作家です。

この作品は政治色の薄い戯曲ではありますが、出来上がったのはナチス政権誕生まぎわ、戦後までドイツ

での上演はなかったです。

スイスの田舎の開業医と、医師の助手、女性とが不倫関係にあり、共謀して医者の妻を殺害したという

容疑で逮捕される。判決は禁錮二十年の有罪。五年後に無実であったことがわかり釈放される。

冤罪がはれて、ハッピーエンドで幕ではなく、五年の刑務所くらしは、身もこころもずたずたになり、

もとの暮らしへともどることもできず、それぞれ別のくらしへと。


ロシアの作家 レオニード・アンドレエフの「レクイエム」

モーツアルトに「レクイエム」を注文し、その後、二度と現れなかったナゾの男に擬せられた仮面の

男が登場する芝居です。

終幕での、劇場支配人の長い独白「労ってくれ、俺を、憐れんでくれ」と叫ぶ、かつての若々しい反抗の

気配もなければ、喜ばしい生の陶酔もなく、あるのはただ悲しみ、悲しみいがいには人の生とは何よりも

絶え間なき喪失であり人間の孤独を語る。

「盲目の女神」の終幕での女性助手アンナの別れて何処へ行くというあてもない、ただわかってるのは

何をしてはいけないかということ語る科白。

どれも20世紀のはじめから半ばまでの作品ですが、重く低く底にながれる沈鬱な響きがずっとつづいて

います。

このブ厚い本、寝転がって読むには腕も眼もつかれます。

訳者の小笠原豊樹さん、岩田宏の名で詩を書いています。「動物受難」という詩を、ずいぶんと昔、何の

会だか、集まりでこの詩のことを。この詩は戦争末期、動物園の動物が檻から出る危険から薬で殺してし

まう。ただゾウだけはえさのなかに薬が入ってるのを感じて食べようとしないで餓死していく。

わたしがゾウなら、どうせ食べなかったからといって死が幾日か伸びるだけだ、それなら、わかっていて

も、食べて胃をすこしでも喜ばして、ついでに最期のひと暴れで檻にでも体当たりして死んでやるなんて

、アホなことを云った覚えが。いまなら、なんと云ったでしょうか。

わたしは正義の話は嫌いだ、とも。

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「遊星ハグルマ装置」表紙の絵にひきつけられて買いました。

でも、この絵の作者は知りませんでした。昭和をぷんぷんと匂わせる造りの装丁と紙質です。

念力歌人(?)、笹公人さんと直木賞作家朱川湊人さんとのコラボ作です。

連句のようにつながっていきます。朱川さんの作品は原稿用紙数枚といった短い作品です。これだと、腕

も眼も疲れないうちに読めます。

ウサギのぬいぐるみがロケットに乗せられて宇宙にいく「ラビ ラビ宇宙へ」それに、赤いトンガリ帽子

を頭に乗っけて、小さな旗を両手に持って手旗信号をする少女のお話し「ある黄昏」ご好かったです。

笹さんの歌では

めくるめく都電の汽笛 矢絣の着物の少女の群れにまぎれる

虚無僧の笠の中だけあたたかい 木枯らしの駅にすすり泣く女

トキワ荘の部屋の灯りがまた消えて 銀河をのぼってゆくウナギイヌ

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漫画本が二冊。「深夜食堂 8巻」これは二回読んで、散歩道にある、ブックカフェ然としたお店に

寄贈しました。「深夜食堂」シリーズは最新刊が出ると読んだあとは、ここのお店の棚に置かれています

もう一冊は近藤ようこ「ゆうやけ公園」。近藤さんの漫画は「ガロ」にて幾作かは観たことがあります。

その、思いもあって買いました。観てびっくり、公園にいるホームレスのおじさんのおはなしですが、

そのおじさんはわたしにそっくり、これだと読んだあとお店にあげるのは遠慮しました。なにこそ云われ

るかです。

「漫画のホームレスさん、ビワちゃんのおとうさんにそっくりですね」ってこれだと、こちらはたまりま

せんから。

深夜食堂の絵もそうですが、このごろの漫画の線の細さが気になります。

Gペンに墨汁たっぷりつけた太い線の漫画を見てみたいです。

「ゆうやけ公園」表紙にビワとわたしの落書きを描いておきました。

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暑さ、寒さも彼岸までといふが、ほんとうである、彼岸を境に朝夕はあの暑さがうそのようになくなった

朝など上に長袖一枚だけだと寒いくらいである。秋が急にやってきた、そう思える。

秋が来ると、何故か信州に行ってみたくなる。これも毎年のことなのだが、恥ずかしいことに、そう願う

だけで、いまだに一度も行ったことがないのである。行きたいという想いだけである。

そう想い、いつもあきになると、信州のことを書いた本を開いてみている。

瓜生卓造「何処やらに、井上井月」を先日読んだ。

井月は幕末から明治20年ころまで、信州伊那地方を漂白した俳人である。生まれは越後長岡藩の武士

ということだが、じっさい、三十をいくつか越した歳に伊那の地にあらわれたときには腰に大小を差して

いたというが、大小は木刀という話もあって、井月が武士であったかは不明である。ただ、能筆でもあり

、漢籍の素養はあったという。

井月は三十代のころから、亡くなる六十四、五の歳まで、三十幾年をもこの伊那の地の俳諧仲間の家を

寄宿しながら暮らした。乞食井月ともいわれ、虱だらけのボロを着、杖をついて、子供からは「乞食井月

」とはやされて石を投げつけられても怒りもせずに飄々と足をひきづて歩いていたという。

これが一茶であれば怒り、子供らを追い回したであろうが井月のこの諦念は、どこか不気味でさえある

妻も娘も捨てたのか、死別したのか判然としないが、過去の悲しみの深さが、漂白の旅立ちへとなった。

この著は井月の伝記ではない。伊那の素封家の家に残る井月の書、句を観る紀行文である。

井月は訪れる家で発句の会もし、自分の句を短冊なり軸に書き与えた。それが井月の一宿一飯のお礼の

金子かわりでもあった。

しかし、三十年間も長い年月、井月は伊那の地から離れることなく家〃に来ては幾日も寄宿した、それだ

け、この地方には俳諧を趣味とする人が多く居たのであろう。皆が皆、井月の来訪を歓迎したわけではな

い。居留守を使われたことも、邪険に断わられたことも、むしろ、こちらのほうが多かったのでは。

だが井月はこの地方を離れることなく生涯を終えた。



   落ち栗の 居さだむるや 栗溜まり

よほどこの地は居を定むるに好いとこであったのであろう。


   旅人の 我も数なり 花さかり


   何処やらに 鶴の声きく  霞かな

伊那の地には五十いくつもの井月の句碑があるという。膨大な井月の墓標かわりでもある。

作家の石川淳は、かれの著のなかで、井月の句は二流、乞食俳人そのものの句、書もダメと書いては

いました。

井月の生涯が句を幾分なりも増幅させて見る人を共鳴させているのは事実、そこを剥ぎとったらどんな

句の世界なりがあるのかともおもえるのですが。誰も真似出来ない生を詠った、そこだけは光っているよ

うにも。


風に揺れるすすきにからだを隠して信州の山をみたいというのが、いまのわたしの願いでもあるのですが

きょうは中秋の名月。お天気がよければまん丸いお月さんが観れそうです。

昨夜は、ほんとうにきれいな月がうかんでいました。

月に吠えるおおかみではありませんが、昨日「赤いおおかみ」という絵本をみました。ドイツのフリード

リッヒ・カール・ヴェヒターさんの絵本です。ヴェヒターさんはデザイナーさんでもあります。絵も線が

特徴な絵本となっています。

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赤いおおかみといっても、おおかみに育てられた犬のおはなしです。この犬が語る物語です。

生まれてまもなく、馬車に荷台に載せられて西に向かう旅の途中で、子犬は荷台から落ちてしまいます。

道のわだちのとこでボク{犬のことです)を見つけて助けてくれたのは、おおかみのおかあさんでした。

おおかみのおかあさんは、子犬をおおかみの子として育てます、他の兄弟おおかみのひとりとしてです。

すぐに、兄弟おおかみは身体も大きくなっていきます。兄弟たちの半分にもない体の犬ですが、機敏な

動きや、頭を使い、兄弟たちにも負けないで獲物を求めて狩りにいきます。

もう、りっぱな狩りのできる、赤いおおかみです。

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森のなかで、おかあさんおおかみが仕掛けられていた罠に足をかけられてしまいます。

罠を外すことはできません。おかあさんおおかみは足をひきづってうごきます。

足からの血を追って狩人がきます。銃砲がなります。おかあさんおおかみは、多くのおおかみの墓場でも

ある谷底をめがけて堕ちていきます。

赤いおおかみであるボクは岩のとこに銃でうたれて倒れます。

オルガという少女が、ボクを見つけて助けてくれます。

三発の銃弾を手術で取り除けます。命がたすかったのです。

ボクはオルガと暮らし始めます。

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オルガとの愉しい暮らしも、ボクに老いが目立ってきます。歩みも弱くなってきます。

ボクは、オルガに言います。もし、ボクが歩けなくなったら、ボクは多くのおおかみたちのいる谷底に

身を投げて、おとうさんおおかみのいるとこに行くからと。

オルガはわかってくれました。

足が弱くなった日、ボクは谷底の見える岩の頂に来ました。

そして谷底に堕ちていきました。

堕ちていきながら、ボクは、ボクの一生をみました。

それは幸せな一生でした。

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うるうるとくる、お話しでした。

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