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今回は旅行ネタの割に少し厳粛な話になるかと思います。
私がふるさと銀河線の廃止に併せて北海道の旅に出かけたのは既に鉄道カテゴリーの方をお読みいただければお分かりになるかと思います。ちなみにふるさと銀河線は今月20日をもって運行は終わっています。
訓子府、置戸、陸別、足寄と下りていき最後に銀河線内で残った有人駅が本別という駅でした。本別駅は本別町にありまして人口9000人の小さな町です。私はこの本別で少し列車の待ち時間があったので時間待ちの間で行ける所ということで本別駅近くにある歴史民俗資料館に行きました。
入場は無料、ただ開館時間が9時からだったので行った時にはまだ閉まっていました。ただ、8時45分くらいでしたから館員の方が私が待っている姿を見ていたのか気を利かせて少し早めに見学させてくれました。
内部は世間一般的な歴史民俗資料館と造作なく本別町の歴史が分かるような内容になっていました。
そしてそこで印象に残ったのが軍馬の話でした。
軍馬というのはこの場合太平洋戦争で動員された馬のことです。
ここでは海外へと戦争の道具として連れて行かれた結果、二度と日本本土の土を踏むことのなかった軍馬の悲しい現実が俳句調でよって語られていました。俳句には馬が鉄砲の銃弾を受けて傷だらけになって死んでいく軍馬たちの生々しい姿、それでも主人を信じて戦おうという姿、そして自分だけ帰還して軍馬たちは現地に残していかなければならないという兵士の苦しい胸のうちなどが赤裸々に語られていました。
この俳句を読んでいた時に不覚にも思わず目頭が熱くなりました。それと同時に戦争というものがいかにひどいものであるかを軍馬達は私達後世の人間に教えてくれているような気がしました。
そして戦争で被害を受けるのは何も人間だけではなくこのような動物達も犠牲になるのだということを私達人間はもっと知っておくべきだと思いました。
うちも猫のカテゴリーがありますが猫を飼っていますから馬と猫の違いこそあれ動物であることには代わりありませんからそういう面では他人事と思えませんでしたね。
こうした二度と帰ってこなかった軍馬のエピソード、実は国語の教科書にも使われたという風に資料館では書いてありました。そのお話の舞台は軍馬を乗せていった駅だったのですがそのモデルとなった駅がこの本別駅の隣にある仙美里(せんびり)駅だったそうです。当時は駅長さんもおられたそうですが今はバリバリの無人駅です。
いずれにしてもふるさと銀河線、当時は国鉄池北線ですがこのような悲しい歴史もまた持っていた路線なんですね。銀河線の旅の最後にこうした施設に立ち寄れたことは僥倖だったと思います。
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仙美里駅にそんな悲しい話があったとは知りませんでした。 太平洋戦争で、韓国・朝鮮の方、中国の方への強制労働で鉄道やダムなどを作らせたということも忘れてはいけませんね。 特に北海道はその方たちの力が大きいですから。 後生に伝え、懺悔し、不戦、平和を誓わないといけませんね。 戦争は二度と起こしてはいけないし、 世界中からなくなる事を祈らずにおれません。
2006/6/16(金) 午後 10:02
北海道は鉄道敷設の際にも悲しい事実がありますよね。有名どころでは心霊スポットでも有名になってしまっていますが石北本線の金華〜生田原間にある常紋トンネル。タコ部屋労働で過酷な環境の中、労働者を従事させ怪我をした作業員を生きたまま埋めるなど到底信じられない事が行われたと聞きます。
2006/6/16(金) 午後 10:20
そうなんですね。蒸気機関車の写真を撮ったら、写っていました。 常紋信号所、私も通りました。
2006/12/26(火) 午前 1:42 [ ピー太郎 ]
pi200549さん>コメントありがとうございました。北海道の鉄道の歴史ではどうしても暗い部分を取り上げないわけにはいかない面がありますからね。中でも常紋トンネルは悲しい逸話の残る歴史があります。そしてこの軍馬たちの悲劇もまた戦争が残した悲しい逸話の一つだと思いますね。
2006/12/27(水) 午前 5:14
軍馬といえば軍馬補充部ですね。
有名な五輪メダリストのバロン西もこの本別にいたそうですよ。
悲しい逸話もありますが、もっと悲しいのは余りそれが地元で広まっていないことですね。
2012/8/15(水) 午後 11:42