鵜住居のお部屋

今日はなんだか・・(鬱)

千葉の里山を行く 久留里線の旅

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 今日は上総亀山駅の駅舎を出てみることとしましょう。
 そして、今回で久留里線の特集は終わりということになります。


 さて、上総亀山駅のホームから構内踏切を渡って駅舎のある改札口を潜ります。
 駅舎内へと入ると右手に切符の販売窓口、そして左手に待合室があります。上総亀山駅は横田駅と同じようにみどりの窓口のない社員配置の直営駅です。
 ですので窓口にはマルス端末がなくPOS端末が置かれていることとなります。


 上総亀山駅の駅舎ですが、横田駅や久留里駅と同じタイプで平屋のこじんまりした駅舎となっています。駅舎の入口には花壇が飾られていてなかなか良い感じの駅です。


 上総亀山の駅は国道から離れているせいもあって比較的静かな駅ですが、人造湖である亀山湖が近くにある為に観光地への最寄り駅という昨日も有していて駅前には何軒かの商店が実はあったりします。
 またここから安房鴨川駅行きのバスが運行されていたりします。


 そんな終点上総亀山駅の歴史もまた平山駅や上総松丘駅同様、戦時供出による営業休止があった以外は特に大きな歴史もなく今日まで続いているという感じでしょうか。


 人造湖の亀山湖があると書きましたが、駅からここまでは大体徒歩15分程度というところでしょうか。私は行っておりませんが湖畔には亀山温泉というひなびた温泉場もあります。亀山温泉の泉質は含ヨウ素臭素重曹食塩泉でPH8.2ということですからややアルカリ性の泉質というところでしょうか。ただ源泉の温度が30度を切っているので一昔前だと温泉ではなく鉱泉と読んでいたかもしれませんね。


 一方、人造湖の亀山湖・・亀山ダムの方は昭和40年から計画され昭和56年に完成した人造のダム湖です。小櫃川の洪水対策が主な理由でした。
 長さなどは千葉県下第2位の規模となっています。ちなみに1番は小湊鉄道沿線にある高滝ダムのようですが・・。


 いずれにしても今度は是非とも亀山温泉などで泊まってみたいですね。
 千葉県というとどうしても観光資源に乏しいという印象がありますので、こういう所は是非とも抑えておきたいと思います。


 さてさて、これにて久留里線特集は終わりです。
 これからがある鉄路ですから、特別感慨がある訳ではありませんが首都圏に近い路線ながらいまだに古式ゆかしき風情を感じられるこの路線が何となく好きですね。


 それでは次の特集はまた決めておりませんが、次もおそらく本州の鉄路から選ぶこととなると思います。
 今まで久留里線特集をお読み頂きありがとうございました。


(写真)
 1枚目 上総亀山駅の周辺案内板
 2枚目 上総亀山駅の改札口
 3枚目 上総亀山駅の窓口
 4枚目 上総亀山駅駅舎への入口付近
 5枚目 上総亀山駅の駅舎
 6枚目 上総亀山駅入口の駅名板
 7枚目 車止めの辺りからホームを見る

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 それでは今日はいよいよ終点の上総亀山駅の紹介です。


 上総松丘駅を出ると進路は真南から左へとカーブして南東へと向かい、国道410号線と併走して行きます。途中で旧道の方と思われる国道410号線が右から合流してきて久留里線の線路を横切っていて左手を通っている新道とぶつかります。


 やがて車窓右手に渓谷状となった小櫃川が見えてくると程なくして久留里線では最初となるトンネルが現れます。トンネルを潜ったこの辺りから国道410号線から国道465号線へと名前を変え、久留里線は今度は左手に国道465号線、右手に小櫃川という風情の中をひた走ります。
 いよいよ、山間の風情が漂い房総の山間部を行くという雰囲気になると左手の国道465号線がオーバークロスして右手へと向かい、その後少しで鉄路の方は終点の上総亀山駅へと到着することとなります。久留里線特集もいよいよ大詰めといった所ですね。


 さて、そんな久留里線のホームですが1面2線の構造となっています。その他にも留置線が一本あるような形となっています。
 ただ、この駅で交換する列車はなく久留里以降は一閉塞となっているようです。駅舎への入口はホームやや奥側にあり、そこにある構内踏切から島式ホームへと渡るようになっています。
 やはり誇線橋はありません。


 本来はこの駅が終点となることはなく、さらに延伸して今のいすみ鉄道と小湊鉄道の終点である上総中野駅までを結んで房総横断鉄道が完成するはずでしたが、それは実現することなく終わりました。
 ホームの先端に立つと車止めを眺めることが出来ましてかなうことのなかった房総横断鉄道への未練を感じます。
 ですがその願いは皮肉にも小湊鉄道によって解決されることとなりますが、旧国鉄木原線の区間であるいすみ鉄道は只今存廃問題が浮上していて果たしてこの後どれだけ生き長らえるか予断を許さない状況となっていると言えるでしょうね。


 ホームから眺める限りですとやはり山間の終点ということだけあって国道から離れた位置にあることもあってやはりひっそりとした感があります。
 本来だったら名もなき房総横断鉄道の一駅となっていたことでしょうけど、それがかなわなかったために終点駅として駅員が配置されたのではと思えるくらいです。


 それでは明日は駅の周囲の様子を紹介することとしましょう。


(写真)
 1枚目 上総亀山駅駅名板
 2枚目 上総亀山駅ホーム全景
 3枚目 上総亀山駅のホーム先端から見た末端部分
 4枚目 本来はここから先も線路が伸びるはずだった・・
 5枚目 ホームへと向かう構内踏切

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 昨日はコメントランキングでお休みしてしまった久留里線特集。
 今日は再び元気に再開です。


 今日は終点の一つ手前にある上総松丘駅の紹介です。


 平山駅を出ると鉄路は南西へと進路をとります。
 この辺りもまた山間の風情が漂いますが、この平山駅と上総松丘駅間では小櫃川を2度渡ることとなります。国道の方が小櫃川の蛇行に沿うように道が作られていますが、久留里線の方は珍しくショートカットしていくような感じですね。


 この付近では国道は付かず離れずといった感じですので鉄路が左へ大きくカーブし南東へと進路をとり始めると国道410号線も寄り添ってきまして、最後に右にカーブして真南へと進路が変わると国道を左手に見ながら上総松丘駅へと到着します。


 上総松丘駅は1面1線の棒線駅で正直言いまして、久留里線の駅の中で最もひっそりとした感のある駅となっています。とはいえ、ホームの目の前には国道が通っており秘境感があるというのとは無縁ですが・・。
 進行方向右手にホームがあり、駅の出口はホーム上総亀山寄りにありますがそこは田舎の無人駅。どこからでも入ろうと思えば入れるので、きちんと出入り口から来る人が何人いるのやらという感じです。


 そしてホームからはかつて2面3線の駅であったことが伺える島式ホームの遺構がしっかりと残されているのがわかります。正直言いまして自分は2面2線かなと思ったのですが、実際は3線もあったようです。
 終点の上総亀山駅の手前にこれほどの規模(といってもあくまで線路配置という意味で、小さい駅であることには変わりなし)のホームがかつてあったというのにも驚きですが、見ようによってはこんな所にいずれ房総横断鉄道しての役割を担おうとしていた久留里線の面影が残されているとも言えますね。
 もし、久留里線が房総横断鉄道として真の木原線になっていたとしたらきっと上総亀山駅は何もない棒線駅でひょっとすると駅員の配置もなかったかもしれませんね。


 さて、駅前の風情ですが松丘の中心部から少し離れているせいもあってか、先にも書いたとおりひっそりとしたという形容詞が正しい駅で駅前は猫の額ほどの広場があるだけであとは民家が何軒かある閑静な山間の駅という風情となっています。
 ただ、駅舎はログハウス風の立派な物が建てられていて、その駅舎には「松丘ふれあい館」という名前が付けられています。だからと言って中に集会場ができるようなスペースがあるわけでもなく、あるのは吹きさらしの待合室とトイレのみとなっています。


 また国道は駅の出入り口は反対の方を通っているので、国道に出るにはホームから線路を跨いで渡る方が早くなっていますので、そういう点でもきちんと出入り口から出ている人がいるのかな〜と思ってみたりです。


 この駅は君津市広岡にある駅ですが駅名は上総松丘駅となっています。
 そんな上総松丘駅は平山駅と全く同じ歴史を辿っていまして昭和11年に開業するも線路の戦時供出で一時営業が休止され、その後昭和22年に再開されることとなります。


 久留里線内でも最も静かな駅かと思いきや、利用者は意外にも100名を越えていたりして何とも不思議な駅でもあります。


 それでは次はいよいよ終点です。


 上総亀山駅の紹介と参りましょう。


(写真)
 1枚目 上総松丘駅の駅名板
 2枚目 上総松丘駅ホームより木更津方面を見る
 3枚目 上総松丘駅ホームより上総亀山方面を見る
 4枚目 上総松丘駅ホーム全景
 5枚目 今は使われていないかつての島式ホーム
 6枚目 上総松丘駅ホームへの入口
 7枚目 上総松丘駅の駅舎にかかる駅名板
 8枚目 上総松丘駅の駅舎

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 それでは今日は平山駅へと向かうこととします。
 ここまで来ると久留里線の紹介ももう終盤です。この駅を入れてあと3つで久留里線の駅は終わりですので・・。


 久留里城から膝の笑い出しそうな急坂を下って国道410号線に出て、久留里駅へと戻ります。実際はこの後、下郡駅へと向かっていますがここでは駅順にての紹介となっていますのでご了承ください。


 さて、久留里駅を出るといよいよ久留里線は田園風景から少し山間の風情も感じる車窓へと変わって行きます。ここから先の久留里線は戦時中の線路の戦時供出によって一時営業が停止された区間でもあり、それだけにこの区間があまり人家のない区間であることがうかがえます。
 鉄路は一度南東へと向かい、小櫃川の蛇行に沿うような形で進んで行きます。その後は右へと大きくカーブして田園風景と山間の風景が続く車窓を行きますが、肝心の小櫃川はやはり眺めることは出来ません。ですが進行方向右手の近くを流れてはいます。
 鉄路はこの後左、右と大きくカーブし、離れていた国道410号線が再び車窓左手に近付いてくると次の平山駅が近くなります。


 平山駅は1面1線の棒線駅で言うまでもなくここも無人駅です。
 周囲は見渡す限りの田んぼとポツポツと人家がある程度の長閑な所で利用者数はいいとこ50人程度だと思われます。また駅の入口のある方には小高い山があってそういう風情は久留里線沿線に共通した風景であるともいえます。
 いわゆる木更津方面から見て左手に小高い山と人家、そして右手は田園風景という・・。この風情は下郡駅の辺りからほぼ同じですかね・・。


 ホームに立って木更津方面を見るとこちらは非常によく展望が効いていて、上総亀山行きの列車が谷状の地形を越えてくるのが遠望できるようになっています。
 ですので動画撮影などでは久留里線のそういった動きを撮ることが出来てなかなか良かったですよ。


 ホームには中ほどに吹きさらしの待合室があり、それとは別に簡易な木造の駅舎もあってそこから出るようになります。この駅舎は小櫃駅の駅舎と風情がよく似ていますね。
 駅前は小さな広場となっていてすぐ先で国道410号線と接続します。この平山駅には駅前にやきそばで有名な志保沢商店があって知る人ぞ知るという店なのだそうです。
 広場を出てすぐ左手の国道沿いにありますのでまず迷いようはないと思います。自分が訪れたのは早朝でしたのでまだ閉まっていましたけどね・・。


 そんな平山駅の歴史は昭和11年に3月25日に久留里線が上総亀山まで延伸した時に始まります。
 その後は何度も書いていますが、久留里線の線路が戦時供出によって線路を取り外されたことによって昭和19年12月16日に一時営業休止に追い込まれ、その後復活するのは昭和22年4月1日のこととなります。
 その後は特に大きな事件や事故もなく、JR東日本に継承された後も普通に久留里線の駅として今に至ります。


 久留里線の閑散区間とあえて書きますが、久留里駅を境に随分とその風情が変わるこの区間は関東でも手軽に味わえる山間ローカル線の区間だと思いますね。


 それでは次の駅は・


 上総松丘駅です。


(写真)
 1枚目 平山駅を出る木更津行き列車
 2枚目 平山駅駅名板
 3枚目 平山駅ホームから木更津方面を見る
 4枚目 平山駅ホームから上総亀山方面を見る
 5枚目 平山駅の待合室
 6枚目 平山駅ホーム全景
 7枚目 平山駅の入口の駅名板
 8枚目 平山駅の駅舎

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 それでは今日は久留里城を紹介したいと思います。
 まぁ、間違いなく久留里線沿線では観光地としては亀山湖と並んで双璧であるとは思いますけど・・。


 さて、なかなか骨のある急坂を登りきるとちょっとした広場があり、右手の方にまず君津市の久留里城址資料館がありまして、ここで久留里城の歴史を紹介した設備などがあります。
 館内は2階もありまして、久留里城所縁の武将や大名などの展示品が飾られています。また久留里城周辺のマップなどもあり観光施設によくあるこのボタンを押すとどこどこが光ってどこに何があるかが分かるようになっているお馴染みのものもあります。


 資料館は入場無料。
 ですので、気軽に久留里城のみならず久留里のことを知れるようになっているのは良いと思いますね。資料館を出て右手の方にいくと言うまでもなく今まで急坂を登ってきたのですし、久留里城は山城ですから小高い山の上となっていてそこから久留里の里を眺められるようになっています。
 こちらの方は開けているので展望も利いて景色もなかなか良かったりしますし、そこから眺められる風景はかつての久留里城の近世居館部だったのだとか・・。
 今では何もなくただただ数軒の民家と田園風景が広がるのみとなっていますが。


 さて、久留里城のある所へは先ほどの広場から資料館のある所はとは反対側に行くこととなります。少し山道らしい感じの所を登るとすぐに現れますが、言うまでもなく当時からの久留里城の建物ではありません。
 これはあくまで観光用に建てられた物ですので実際の久留里城とはどうも似ても似つかないようです。


 そんな久留里城は康正2年、1456年に武田信長が上総の守護代に任じられた時に築城されたのが史実に残る始まりだそうです。
 その後、武田家内の内紛や戦乱などで弱体化している所を上総、安房の戦国大名として知られる里見氏が抑えて久留里城は里見氏の物となります。


 その後、里見義尭が天文4年(1535年)にこの久留里の地を本拠として定めて今、久留里城がある所に久留里城を建設したと言われています。
 その後の久留里城はこれまた武田や上杉と渡り合った戦国大名として知られる関東の北条氏との戦闘の最前線を担うこととなり、一度は永禄7年(1564年)の上総侵攻で久留里城は北条氏の手に落ちます。
 しかし、その後はすぐに奪還しそのまま久留里城は守られて行きます。


 ただ、1590年の豊臣秀吉の関東征伐の際は秀吉に従わなかった為、里見義康は上総における領土を失うこととなり(安房一国にされてしまう)、その後は徳川家康の領地となった際に家臣の松平忠政が入城し、城下町の整備を行った結果、今の久留里の町の基盤が作られていくこととなります。
 その後は江戸時代は久留里藩の藩庁となって、松平氏→土屋氏→黒田氏と城主は入れ替わり明治維新後の明治5年に廃城令が出るまで久留里城の歴史は続いていくこととなります。
 今の久留里城は城郭跡地に模擬天守が建造された物でかつての江戸時代にあった久留里城とは全く違う建物のようです。


 久留里城周辺は分かる人にはわかるのでしょうけど比較的多くの遺構がそのまま残っているようで江戸時代のものから里見氏時代の物までが残されているのだとか・・。
 このような風情のある久留里城公園、久留里線の旅をされるなら一度は訪れておきたい所です。


 それでは次回は久留里駅へと戻りましょう。


(写真)
 1枚目 久留里城の広場にある案内板
 2枚目 久留里城址資料館
 3枚目 久留里城周辺からの展望
 4枚目 久留里城
 5枚目 久留里城の遺構

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