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「復興」という言葉はまだまだ・・。
〜津波前の状態には、絶対に戻らないです。 今まだ、瓦礫の撤去作業は続いいます。 田野畑村役場の公式HP http://bit.ly/jSTe9T を見るといかにも5・13日現在の画像、いかにも終わったような画像が並んでいますが・。あれは、なるべく綺麗なところを撮影しています。 角度もなるべく汚いところが写らないように意図的に撮影した感じの画像です。 なんで、真実の画像の撮影しないのか・・? 体外向け・・?村民を安心させるため・・? どっちにしたって、現場を見れば分かることなんですが・・。 僕からすると、不思議で仕方がありません。 (村のえらい方が見れば怒るかもしれませんけどね・。どちらにしても、真実が勝ちますから・・。) 昨日もまだ、沢山の重機がきて、僕の家の前のマレットゴルフ場の瓦礫の撤去作業を行っていました。今日は日曜日で休みです。 来週中は確実にかかるでしょう。 ↓↓これは、自分の部屋から撮影した昨日(5.21の画像です)まだまだ、瓦礫の 撤去作業は続いています。 ↓↓まだまだ、このような防潮林の折れた黒松の整理はこれからです。膨大な量です。 ↓↓まだ、沢山の瓦礫が残っています。 歪んだメデイアの報道ー 最近、メデイアも・・。 どこその企業や漁師が、「復興に向けた、スタートを切った」などと報道しています。 あれは、極、極、稀なことです。そして、最後に、お決まりの「これに続く、人たちが増えていくのでしょう」というナレーター。 良いことを報道するのを否定すつもりは有りません。しかし、実態に合っていないのです。 あのような、報道を見れば、視聴者は「ああ、復興に向かっているんだ、スピードも早くなるな」というイメージをもちます。 被災地にいると、あの報道には、呆れてしまいます。 都合の悪い声はカットする。 この前、避難所である友人の漁師が、カメラを回しながらインタビューを受けました。 「熱弁をふるっていましたが」おお、なかなかいいことを訴えるとおもいました。 最後の質問で・・。 記者に「今、最も必要なものはなんですか・・?」と質問されました。 答えは「カネ!!」と言ったら、カットされたようです。 これだって、僕からするとおかしいとおもうのです。 義援金もまだ届いていない中、通帳も印鑑もカードも喪失。車も流されて銀行に行く足もないのです。彼にしたら、(自分もですが)今現在、将来を含めて「カネ!」というのは、切実な事だったと思うのです。 このよう例は沢山あります。メデイアの一方的な判断で報道荒れているのが実態です。 だから、どうか歪んだ報道に、騙されないでください。 「復興」という言葉はまだまだ・・。 前にみ書きましたが、まだまだ「復興」などという言葉を使うのは、ほど遠いのが実情なのです。 例えば、 田野畑村の産業は、漁業を中心に、酪農、畑作などが主な産業です。 しかし、全国の農山村と同じように高齢化が進んでる現状で後継者は、数えるほどしかいません。 3.11の地震津波で、どのくらいの漁師が継続するのか・・? 廻りの漁師の声を聞くと・・ヘタをすれば半減するような感じがします。 ↓↓壊滅的な被害の漁港。三陸全体ですから・・。復旧はいつになるのか・・? やはり、悩みは・・・。 年齢的に、多重債務をしてまでやるべきでないと考えている人が多いし、壊れた港の復旧を待っていては、いつになるのか・・? 舟もなかなか手に入らないし時間が5年以上もかかるのです。 酪農や畑作も、福島原発の影響で、岩手の内陸部の滝沢村で、牧草から放射能が検出されました。 なので、風評被害の影響がすでにで初めています。 なので、産業の復興も、絶対に元には戻りません。これは確実です。 おそらく、就業構造も大きく変化するでしょうね。 これは、なにも田野畑村に限ったことではないでしょう。 三陸全体が似たような感じだと思います。 また、鉄路の第3セクター経営の「三陸鉄道」の復帰も、うまくいって予算が付けば、2年以上先になるとうことです。住民の生活路線の復活もまだ先の話ですねー。 ↓↓完全に鉄路の橋桁もこわれています。復旧には莫大なお金と時間が・・。 良いことを書きたいのですが・・。どうもその、ネタが見つかりません。 僕は、今目前にあるやるべき仕事をするだけです。 毎日モクモクと・・。言ってみれば津波の後始末です。 でも、このままにして置くことも出来ません。 もう、使うこともない漁具かも知れません。でも、とりあえずこれを整理しないと次に進めない・・。 そんな想いです。 今日も漁具の洗浄作業を行うだけです。作業をしながら、これかのことを考えていますが・・。 復興支援策も具体的なことは、全然見えてきません。「焦らないで」という声が聞こえてきそうですが・・。 もう、70日以上も経過しています。せっかくの「やる気」もこれでは萎えてきます。 規制緩和もほんとにやるのか・・? 特区はどうなっているのか・・? インターネットで検索しても、毎日同じ文字が並んでいるだけです。 ついつい、今日も愚痴ってしまいました・・。でも、これが本音です。 ーーーーーーーーーーーーー ※オマケ タロウ♪を車に載せて、洗浄しています。タロウ♪は水がかかるかと・・。 瓦礫の撤去作業を眺めています。
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転載
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山の緑がどんどん濃くなっていきます。
ヤマツツジやヤマブキが満開に咲いています。 緑を見ると人間の心は和みます。癒されます。だから、森林浴などはとても心身に良いそうです。 この前、山菜採りに少し山に入りました。「ホーホケキョ!」とウグイスの声も聴きました。 ああ、「これからいい季節だなあ」と想いながら山菜のタラボ、ウルイ、シドケ、日当たりが良いところにはワラビもありました。とても気持ちが良かった。 そんな山に入り、山の樹を眺めていると例年と変わらぬ風景です。とても平穏です。 しかし・・・・。 山の下に目をむけると、津波の爪あとがいっぱい広がります。 ついさっきまで、山菜採りをしていた山の樹の中、平和で平穏な新緑、ウグイスの声。 まるで、キツネにも騙されたように、気持ちが一転します。 それは、異様な光景としか言いようのないもので、光景を比喩すると・・。 その二つの光景には・・。とても、ギャップがあり、その派生した光景は異様としか言いようが有りません。 そして、己の心の中に、絶望感にも似たような「不安」が心のなかで湧きたってくるのです。 この犯人は、地球の大自然です。地球に住んでいる以上、この異様な現実から我々人類は・・。逃げる事が出来ないのです。 山菜という植物の命を授けたのも地球です。人間はそこから命をつないでる事実。 地震や津波もまた、地球の大自然の中で、地球自らが起こしたものでもあり、人の生命も財産も奪い捕っていきました。 しかし、僕たち人類は地球を恨むことは出来ません。 自分たちの住処なのですから・・。 家に帰ると、倉庫の前の津波で流され、回収して来た、泥まみれの漁具を見るとすぐさま、津波の現実に引き戻されてしまいました。 その後、とりあえず、この網とロープを洗浄して、巻き直して保管して置かないと・・。 そんな、事をしているので、その後は山にはいる時間も自然になくなりました。 今日もまた、これら漁具の洗浄作業と巻き上げ、整理です。 凄く津波の泥がしつこくてはかどりません。 ※ オマケ 相棒犬タロウ♪ タロウ♪も、このギャップにビックリなのかも知れませんねーー。
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漁師継続が難しい状況の本当の意味とは。こういうことです。
これこそが、「被災地現場の漁師の叫び」です。
下の記事にもあるように、ウチの漁協でさえ再建の目処はたっていないのが現状です。
みさご丸はないです。
僕も、舟3隻、倉庫2棟(漁具、漁法で舟に付ける油圧漁労機械類)などを流失しました。
舟は、影も形も有りません。
しかも、舟のエンジンを3年ほど前に載せ替え、一昨年、家の脇に水産倉庫も建築しました。
その債務が、半分は残っています。
今、考えても意味が有りませんが・・・・。
津波なく、普通に漁が出来れば、そんなに無理なく、その借金は返済できる範囲のものでした。
↓↓津波前のみさご丸。エンジンも載せ替えたばかりだった。
↓↓一作年作った水産倉庫、作業場
舟の注文が殺到してる北海道の造船所
津波流した「第八 みさご丸」と同様の(4.9トン、500PS、60KVAの発電機、漁労用油圧器具、各種計器類、オートパイロット、)仕様で、新造船を建造しようた場合(約5千万ぐらい)・・。
どのくらいの期間が必要か聞いてみたら北海道の造船所4件ほど・・。すべての造船所で、7年以上という答えでした。
磯漁に使う、船外機舟(16フィート)の小舟でさえ、5年もかかるということです。これは、漁協をとうして、一応注文はしましたが。(船外機込みで130万円)。=しかし、この舟だけでは漁師としては、全然食っていけないのです。
最低でも、前の「第八 みさご丸」と同様程度の舟がなければ・・。経営として成り立たないのです。
もっと、致命的なのは・・・・。舟を係留する為の港です。
壊滅的な被害で、全然、港としての機能は有りません。少しのシケで舟は必ず損傷、もしくは沈没するような港です。
仮に、運良く「中古舟」を見つけたとしても、港がダメでは結局、出来ません。
港が壊れたのは、ここだけでなく青森、岩手、宮城、福島、茨木、千葉など広範囲です。
一般土木と違い、海中土木の技術が必要なので、建設業者も限られています。
そうとうの時間を要するのは確実です。
↓↓こんな壊滅状態の港では舟は係留できません。復旧に何年かかるやら・・。
それと、海の状態です。
前にも書きましたが、陸の瓦礫の何倍の量なのか・・?
例えば、ウチの村には、約530隻の舟がありました。そのうち、陸に打ち上げられた舟は、30隻もないとおもいます。無論、粉砕さてたFRP(強化プラスチック製)船体です。
加えて、住宅267戸、倉庫など311棟。その中にあった家電製品や家具、寝具、などなど。陸に残った瓦礫の中身やその量を見ても、ごく一部です。
瓦礫の多くは、海底にあるとおもわれます。
しかも、過去の津波の時の時代と違い、天然素材ではなく、腐らないものなのです。
舟もFRP,家の建材も腐らない素材が多く使われています。家電製品も同じです。
沖合まで流れた瓦礫
それが、証拠にこの前、大型沖合底びき(2捜曳き)漁を、海底200〜250mあたりを操業したら、なんとそんな沖でも、家電製品や家具、寝具などが入ってきて、網を壊したと言っていました。
海底200〜250mというと・・・。三陸沖は遠浅となっているために、陸から約13〜15マイル=20キロ以上のが漁場です。そのくらいだと陸の高い山しか見えません。
そんな、沖まで流せれているのですから・。そこから陸側に入れば、膨大な瓦礫があると思われます。
また、壊れた舟からの油類も半端な量では有りません。
そんな漁場では、僕らのような底モノを狙う漁師は、網やロープがすぐにダメになっておそらく漁はできないでしょうし、肝心の魚介類は減少するとおもわれます。
磯漁も・・。起きるでしょう。
さらに、アワビやウニ、ワカメ、コンブなどの磯漁も、瓦礫や海水の濁りで、「磯焼け」=(ある沿岸海域に生息する海藻の多くが死滅し、それに伴ってアワビなどの水棲生物が減少し、漁業に大きな打撃を与える現象のこと)が発生するとおもわれます。
一旦、磯焼けになれば、通常の海の場合でも回復に10年以上は掛かります。
今回は、津波による泥や砂、それと瓦礫。この撤去作業は簡単にできるものでは有りません。
このように、どこかに、漁師復帰のための、「いい事、いい材料」を見つけようと思っても、どこにもそれは存在しません。
これが、現実なんです。
↓↓このような、豊かな磯が戻って来る日はいつなのか・・?
机上の上の復興計画では・・。
政府も、下の記事のように「共同化」、「国有化」などなどの議論が出てきていますが・・。
僕が思うに、これまで「個人事業」としてやってきた漁師。
自分が経営者で、誰にも指図されない・・。そういうものが昔から行われて来た歴史もあり、漁師には向かないとおもわれます。
そこにこそ、沿岸漁業の漁師としての「やりがい」、「楽しさ」があったのです。
漁師は、サラリーマンのように月給では、働かないでしょう。
確かに、命をかけた重労働、僕が足の骨折のお陰で命が助かったように、重労働で命がけの商売です。まあ、好きでなければやれない商売なのです。
なので、親なら誰でも思うでしょう。「こんな苦労は、息子にはさせたくない」と・・。だから、高齢化もすすんだのです。
このようjな現状の中。
長くかかる復旧を待っている事はできないでしょうし、
舟や資材に多額の投資して、多重債務を負うのは危険過ぎます。
自分は、別の道を探すしかない。
自分はじめ港を見たときに、はじめからそう思っていました。
ならば、どうするか・・・?
もう天職と思っていた漁師はやめて、転職しなけばなりません。
現在のこの日本経済、この年令からして働き口は、皆無に等しいのです。
そうなれば、「個人事業」などなど、やらなければということになります。
何をやるか・・。現在、模索中ですが・・。そう悠長に模索ばかりもしていられません。
まあ、今の段階で考えている案はいくつかあります。
しかし、これも政府の「具体的な支援策が示されないと」・・。
下手に動かれないことです。
はやく、きめ細かく、「具体的な支援策を示して欲しい」そんなジレンマを感じてるのです。
一体、何をやってるのでしょう・・・?
下の記事の掲示板にこのような書き込みがありました。
「全体の約9割の舟が使用不可能・・?これって政府の政治家や官僚も同じなのでは・・・・?」
ってね。
思わず吹き出してしまいました。
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まあ、それまでは・・・。
津波をかぶっても残った、漁具の清水洗浄でもして倉庫にしまって置こうかと・・。
全然、いつもの切羽詰ったような感覚がなく・・。気合も入らない作業です。
まあ、しかしやっておいて見ることにしますかねーー。
でも、もしかしたら・・・。↓↓のようになるかも知れないから・・。
可能であれば最後の手段は・・・・。(償還返済できる程度になってからの話し)
老後でなくても、でもやはり漁師です。細々と長くか・・?
実は、僕は、22フィートと26フィートの舟がたまたま、家においてあったのです。
船外機舟ですが、船外機も古いやつが残っているし、巻上機もあります。
前のようにたくさんはできませんし、沖はできない舟です。
償還金額が小さくならないとできない話ですが・。でもやる気になればできます。
しかし、これも、支援策次第の面があります。
経費がかからない分。幾らかは、利益も出るでしょうから・・。
津波前に、廃船にしても壊すのに金がかかるので・・。と別の漁師から押し付けられた舟です。
これは、冬場の餌を入れて置くタンクに使っていたのです。
まあ、最後の最後の手段はこれとしても・・・・。
やはり、漁場が気になります。
自分と同じように考えてる人が多い中・・。
それにしても、政府の遅い対応には・・・。
怒りを感じます。
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3県で漁船の約9割が使用不能 漁業再生に国有化論まで出る
J-CASTニュース 5月13日(金)11時42分配信
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた漁業の再生の展望が開けない。主要被災地である岩手、宮城、福島の3県で計約2万9000隻あった漁船の約9割が津波で陸に打ち上げられたり、流されたりして使用不能になっているという。街角に今も残る巨大な船が復旧を妨げているケースも多い。
3県のうち、
宮城県は登録している漁船1万3500隻のうち無事が確認できたのは1000隻程度にとどまり、残る1万2000隻が被害を受けたと推計している。
岩手県も登録1万4300隻のうち、最終的に9割が使用不能とみている。
福島県は1073隻中873隻が被害を受けた。
3県計では全体の約9割に当たる2万6000隻程度が被害を受けたとみらる。
■海に流出したゴミやがれきも悩みのタネ
被害船舶の中には、港の係留中に津波にあい、もやいロープが切れて沖合いに流されたまま行方不明になったケースも目立つ。海上保安庁が地震発生以降、海上で実施した行方不明者の捜索の過程で、2011年4月下旬までに381隻の漂流船舶を確認した。救助優先で船名などを確認しただけで次の捜索に向かったケースが大半で、港に曳航したのは50隻余りにとどまり、多くはさまよい続けるか、そのまま沈没した模様だ。
ーーー中略ーーーー
■農水省は国有化に消極的?
補正予算では、漁港などインフラ復旧のほか、共同利用漁船等復旧支援対策事業として273億円を計上。漁協が組合員の共同利用に供するために建造する小型漁船建造費などを補助する。ただ、被災地域の造船所も大半が壊滅的な被害を受け、修理や造船が進まない
こうした取り組みを通じて、漁業の経営基盤を震災前より強くできるという。政府の「東日本大震災復興構想会議」でも提案しているが、農水省は国有化に消極的とされ、実現へのハードルは高い。
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漁業再建へ「協業化」導入 津波被害の東北
毎日jp2011年4月27日
東日本大震災の被害が大きかった岩手、宮城両県の漁協が、漁業再建に向け、組織的に漁や養殖を行う「協業化」を導入していく方針を固めたことが27日、両漁協関係者への取材で分かった。宮城県は漁業の国有化や商社化を打ち出しており、個人経営が主流だった漁業形態の抜本的改革が本格化しそうだ。
ーー中略ーーーー
岩手、宮城、福島の3県では約2万9千隻あった漁船の約9割が流失したり陸に打ち上げられるなどしたほか、養殖施設もほぼ全滅した。個人でゼロから本格的に再開するには1人当たり数千万円が必要とされる。
一方、昔ながらの個人経営による漁業形態が一変することへの懸念も根強い。漁船や漁具の被害程度が異なるケースもあり、全体の合意形成には曲折も予想される。
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今日は、「3.11東日本大震災」から
ふた月後の5.11です。
ここで、もう1度。原点にかえって見たいと思います。
岩手県・三陸地方は、これまでの歴史の中でまさに津波との闘いでありました。
↓↓の動画は、明治29年大海嘯、昭和8年大津波、昭和35年チリ沖地震津波の映像です。
このような、経験から三陸沿岸には、DL(海抜)=8.0mの防波堤を築かれていました。
そして、以前の津波災害を風土化させないように毎年、2回。津波避難訓練なども行ってきました。
沿岸市町村はどこでもおこなってきました。
また、津波体験者の体験談を聞いたり、写真パネル展示などを行など、津波の恐ろしを後世に伝えるための活動もおこなわれて来たのです。
ですから、
日本のどこよりも「津波に対する防災意識」は高かったはずです。
岩手県・三陸大津波 しかし、
2ヶ月前の「3.11東日本大地震」=(日本の観測史上最大のマグニチュード9.0を記録)による津波は、これらの防波堤、住民の意識の想定を遥かに超えるものだったと言えると思います。
これまでの、津波で大きかった明治29年の大海嘯に匹敵。あるいは、それを超えている高さです。
しかも、地震発生からたった30分位で、第一波が到達。そしてそれよりも大きな第2波と何度も津波はおそいました。 自分も、まさかこんな大きな津波が来るとは、夢にも思っていなかったのです。
全くの想定外。
多くの死者がでました。そして、なお未だにまだ多くの行方不明者がいます。
日本史上の中でも、とても大規模な災害です。
2ヶ月の今日(2011年3月11日14時46分18秒)に・・。
犠牲者、行方不明者に黙祷です。
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なんと、4月下旬なのに・・。
避難所に雪が20センチ積りました。(一昨日) 寒い日が続いています。今日はいくらはいいですが・・。 ↓↓このような雪が・・。避難所ではさむかったとおもいます。 そして今度は、今日と明日は大雨に厳重注意ですねー。 今日、明日は車で外に出ないほうが懸命です。 被災地の雨に厳重要注意!!〜余震も収まらない。=岩手・田野畑村の被災地の現場 http://yj.pn/n6wL0Z 全く気が休まることのない、また厳重注意です。ホントに自然に対して人間は無力です。 さて、昨日は、避難所に生の声を聞きたくて、ブログの為の取材に行ってきました。 行ったら、沿岸沿いにはない雪が・・。 標高110mあたりの避難所では雪が20センチ以上積もっていました。 ビックリでした。 これは、北リアス特有の海岸段丘の地形だからです。 今週に入って、寒い日ばかり・。3月中旬ころの気候です。 同じ田野畑村でも内陸に入ると、70センチのところもあったようです。 ↓↓避難所の外の様子。雪が積もっています。この他周りに3箇所の避難所があります。 避難所を見て まず思ったのは人が確実に減っています。 担当者に聞くと・。最近、減っていますねー。 現在、4箇所全部で270人位ということでした。 世帯の転出が・・。 自分の罹災証明を貰うために役場に行きました。 元同僚から聴いたら、かなりの世帯が転出してるようです。 これから、まだ増えそうな感じがあります。 首都圏にいる自分の子どものところに行く人。仕事を求めて転出す人。津波罹災区域に家も建てられないと知り、村を出る人などなど・・。 寂しいことですが、止むを得ないことでしょう。 僕も家はあっても 仕事もないので、まず当面は漁師はできません。 どこかにでなければならないと思ってる位ですから。 田野畑村の村税は、法人税、雇用者所得を除いて、7〜8割が漁業でしたらか・・。 その、漁業ができないとなれば・・。違う仕事を見つけるしかないのです。 避難所の一角には 「ハローワーク情報」の場所があり、ほとんど首都圏の求人がファイルになって並んでいました。 賃金の安さには驚きましたねーー。 いろいろ声を聞ききました やはり、「将来の不安」を訴える人が殆どで、人生の暗いトンネルに入り、動けない列車に乗ってるような感じです。 まあ、自分も同じですが・。 まだ、自分の未来のデッサンの描けない・。 そんな状況です。 具体的な、やるべきことが頭に浮かんでこないのです。まさに、「途方にくれてる」ということです。(詳細は、後でアップします) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 南国の花が そして、取材を終えて帰ろうとした時に、奄美大島の町から南国の花が届いていました。箱を見ると「あまみ農協 和泊」(鹿児島県、大島郡手々知名512-17)とありました。 ありがたことです。すごく離れた南国の島からの贈り物のようです。 少しで、「心を癒して欲しい」というメモが入っていました。 それも、たくさんの量です。 ↓↓奄美から届いた花々・。 それを、大きなバケツに入れて、避難所に飾るようです。 確かに、花は心をなごます。 避難所に、たくさん飾られると南国特有の花の香りがして、すこしはいやされるのかなあ・・? と、思いながら避難所を後にしました・・。
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