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国賊「閔妃」を崇め奉る愚かな韓国人たち
閔 妃 とは閔妃とは朝鮮王朝第26代王、高宗(コジョン)王の妃である。閔妃は嫉妬心が強かった。高宗が寵愛する宮女に子供が生まれると、これを喜ぶ大院君(高宗の父)に対する不満と、高宗に対する嫉妬は限界に達した。高宗の子を産んだ宮女は閔妃から残酷な拷問を受け宮中を追われる。このように閔妃は王妃に与えられた生殺与奪権を利用して、高宗を取り巻く女官たちを次々に宮中から追放していったのである。 また一方で権力欲に燃えた閔妃は、反大院君の勢力を糾合して、自分の一族である閔氏の多くを政府の要職につけるなど、着実に自分の勢力基盤を固めていった。大院君の失政が続くとそれを好機と見て大院君を失脚させ、閔氏による外戚政権を樹立する。1873年以降、朝鮮は閔妃一族による勢道政治により国民は塗炭の苦しみに陥り、国庫は枯渇するという惨憺たる時期を迎えた。無能で腐敗した閔氏一族は、全国の土地と財物を独占し、庶民たちの膏血を奪っていったのである。 閔妃はまたしてもその暴政をほしいままにした。大院君派への復讐はもちろん、自分の信仰から国庫を使い果たす(一説には国庫の6倍)愚行まで犯した。1884年、閔氏一族の腐敗が極限に達すると、金玉均キム・オッキュン)ら朝鮮の革命勢力はクーデターを起こし、閔氏一族を殺して政権を掌握(甲申政変) その後、日清戦争の渦中に日本軍によるクーデターが成功し、革命内閣が樹立された。「日清戦争」は日本人のほとんどすべてが’義戦’と考えていた。長年にわたり弱い朝鮮をいじめてきた横暴な清国を懲らし、朝鮮の独立を助けるため力を貸そうというものであった。その後、本格的な体制改革が始まったが、閔妃は今度はロシアに接近し、自分の政権を維持しようとしたのである。清国から戻っていた大院君は1894年、日本の助けを借り閔妃を暗殺することにより、30年にも及ぶ閔妃の悪政にようやく終止符を打つのである。 韓国人にとって、閔妃が「国母」なのか、金玉均が「国父」なのか、少し冷静に考えてみれば分かることである。しかし、多くの韓国人は、暗黒時代の李氏朝鮮時代に憧憬を寄せ、国賊である閔妃を敬い崇め奉る。 ミュージカル『明成皇后』は今世界中で公演されているという。胸を張って民族の恥を世界中にばらまいているようなものである。何が「善」で何が「悪」なのか。韓国人というのは、本当に理解に苦しむ人たちである。 参考文献 『閔妃暗殺』角田房子(新潮社)
『親日派のための弁明②』金完燮(扶桑社) |
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