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『The Diary of Rabe 南京の真実』より
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12月6日<抜粋>
黄上校との話し合いは忘れることができない。黄は安全区に大反対だ。そんなものをつくったら、軍紀が乱れるというのだ。
「日本に征服された土地は、その土のひとかけらまでわれら中国人の血を吸う定めなのだ。最後の一人が倒れるまで、防衛せねばならん。いいですか、あなたが安全区を設けさえしなかったら、いまそこに逃げこもうとしている連中をわが兵士たちの役に立てることができたのですぞ!」
これほどまでに言語道断な台詞(せりふ)があるだろうかか。二の句がつげない!しかもこいつは蔣介石委員長側近の高官ときている!ここに残った人は、家族をつれて逃げたくても金がなかったのだ。おまえら軍人が犯した過ちを、こういう一番気の毒な人民の命で償わせようというのか!なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃したんだ?首になわをつけても残せばよかったじゃないか?どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ?
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とある。
★約80万人の金持ち市民は南京から逃げ去った。
大日本帝国軍の南京攻略以前の南京の人口はだいたい、
約90万人〜100万人程度とされている資料が殆どだ。
その中で、ずば抜けて多いのが、
『The Diary of Rabe 南京の真実』の記述。
日記の編集者であるエルヴィン・ヴィッケルトによると、
P13---------------------------
一九二七年から南京は中国の首都だった。
一九三七年当時の人口は約百三十万人。
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…………。
<計算してみる(・_・)b>
南京市民約130万人−逃げた金持ち市民約80万人
=残った南京市民約20万人+30万人。。。
ぴったりだ! 〜(@_@)〜 大屠殺:約30万人となる。
♪はぁ〜、さて、さて、さては南京玉簾〜♪
世に謂う所の「世界遺産:南京算術」である。
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