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先日、鞆の浦へ行った時に、龍馬さんが「変名」と使っていたとあったんです。
これは、「才谷梅太郎」だったかな〜〜〜?
龍馬さんの実家の本家筋が才谷屋と言う土佐一番程の豪商さんだった様です。
確か今でも跡地に「さいたにや」って言う、喫茶店かな?
あった様な・・・・・、、
龍馬さん達が最初に談判を始めたのは、私がお昼ご飯を食べた商家です。
当時は、この様な床の間はなかったと聞いています。
でも、雰囲気はこんな感じだったんでしょうね。
さらに交渉は難航して、次はれいの「対潮楼」へと場所が移動するんです。
この、「対潮楼」での談判からは、「坂本龍馬」となのっているようです。
龍馬さんの覚悟を感じますね〜〜!
で、この本名の他にいろいろ、名前ってあるでしょう?
今風にいったら、「ペンネーム」とかね。
まあ、これなんかは、「変名」に近い様な雰囲気かも知れませんね。
これが「偽名」となったら、ちょっと犯罪の匂いがしますから。
(^_^;)
私も若い頃ラジオとかいろんな事に投稿するのに、「瀬戸内 鰆」って言う名前を使っていたんです。
それを聞いた会社の先輩が、、
「ほんなら、ワシ「鞆の鯛」って言うペンネームにしよう!!」
なんて言ってたのを思い出しましたわ。
私は大学を出てユーターン就職をしたのはいいのですが、ここ福山へも単身赴任したりしました。
当時の魚チームのパートタイマーのおばさんが鞆の浦の先の「走り島」から毎日通っていたんで、ここにも一度送って来た事もありましたわ。
当時は言って見れば、この辺りも生活圏だったんですね〜〜〜!
とっても懐かしいですよね。
(*^。^*)
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今年は鞆の浦人気だよね!
同じ県内なのに、一度も行ったことないんですよー。
行ってみたいんだけどなぁ☆
ペンネームも笑えたよ♪
2010/9/13(月) 午前 11:41
座敷から見た瀬戸内海がいいですね!
昔の感じがよく出ています。
此処はなおさんにとっても想い出の地だったんですね?
2010/9/13(月) 午後 0:25
お座敷から見る景色は凄くイイですね〜
竜馬さんの時代はもっと綺麗だったでしょうね^^
ここで宴・・・やったら爽快でしょうね^^
2010/9/13(月) 午後 5:50 [ - ]
龍馬伝を見てるようです(^▽^笑)
2010/9/13(月) 午後 6:42
プリッツちゃん、こんばんは〜!(*^。^*)
私も「鞆の浦」再発見でです。
とってもいいですからね。
でも広島からじゃ、結構距離がありますね。
2010/9/13(月) 午後 10:56
先生、こんばんは〜!
ここからの景色、最高でしょう?
「朝鮮通信使」の方々もそんな事を言って、書を残してるらしいです。
なんて書いてたかな〜?
「日が出て来る国で一番の景勝地です。」ってな意味の事ですけどね。
(*^。^*)
ホント懐かしいです。
この辺りも、、
って言うか、福山近辺がですけどね。
私の会社は福山駅のちょっと南にあったんですよ。
(*^。^*)
2010/9/13(月) 午後 11:05
Kuniさん、こんばんは〜〜!(*^。^*)
でっしょ〜〜!
海が見えてて、しかも絶景となったらとっても良いでしょうね。
龍馬さんの時代でも、おそらく変わってないと思いますよ。
(*^。^*)
2010/9/13(月) 午後 11:10
しゅうさん、こんんばんは〜!(*^。^*)
しゅうさんも「龍馬伝」をご覧になってるんですか?
私達は「龍馬伝」の大ファンです。
おかげで女房殿は、坂本龍馬さんのファンにもなりましたわ。
私は、高校生の時からのファンですけどね。
この年になって、女房殿と同じ趣味が出来て、ちょっと良いですかね?
(*^。^*)
2010/9/13(月) 午後 11:15
なんか、松島に似ている・・・
2010/9/14(火) 午前 3:29
にゃーごさん、おはよ〜!(^3^)/
ああ、あの芭蕉が詠んだ所ですね。
へ〜雰囲気、似てますか。帰ったらパソコンでそこ、見てみますね。(^^ゞ
さむいよ。して車の中でも、窓を今までの様には開けられませんから。(;^_^A
まあ、おかげで、エンジンは快調になってますけど。私知らなかったんですが、雨はどうだったの?(;^_^A
2010/9/14(火) 午前 6:31
竜馬ブームが到来する前、竜馬の名残を訪ねて鞆の浦に行った事があります。そのときは仙水島のホテルに泊まりました。町にも風情があって、とてもいいところですよね。
竜馬は、この海難事故を法によってさばく事に意義を感じていたようだと、聞いた事があります。
仮に竜馬以外の人物(西郷でも桂でも後藤でも)の身にこういう事が起きたとして、藩をバックに相手の弱みを握るという交渉はしても、法によってさばくという事にも意義を感じる人物はいないのではないでしょうか。
こういう思想が船中八策をうみだしたのでしょうか。
竜馬が、他の志士と違って魅力的なのはそこです。
竜馬の頭の中には、この事件があった当時すでに法治国家としての日本が鮮明に描かれていたのかもしれませんね。
2010/9/14(火) 午後 1:17
もろっちさん、こんばんは〜!
龍馬さんのあの有名な写真ですが、(右手を懐にいれて、演壇の様な物に持たれている写真。)懐には、ピストルがあって、それに手を掛けているって言う人も居れば、万国公法を持ってるって言う人もいるんですよね。
それくらい人よりも先に先に行ってたようですね。
ただ、龍馬さん自身が考えてゼロから、編み出したかと言うと、、
色んな人と交わって行く中で、良い所だけを取りこんで自らそれを昇華させてより良い物を作り上げたようです。
その辺りが当時としては、とっても柔軟な気質の持ち主ですよね。
しかし、「いろは丸事件」、、
よくもまあ、最初の航海で、徳川御三家の一つの紀州家の軍艦と衝突したもんですね。
やっぱり神様の悪戯だったんでしょうかね?
この事件がその後の運命に大きく影響してると私は思ってるんですけどね。
(^_^;)
2010/9/14(火) 午後 7:34