奥様応援隊

大変です〜〜っ!とうとう、、ご飯が「配給制」になっちゃいました〜!大食い出来ないように。(T_T)

我が青春の「秀麗寮」

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半世紀以上生きて来て、、
学生時代を過ごした大阪は吹田での暮らしと切っても切れない縁の大学自治寮の「秀麗寮」の事を書きたくなったんです。
まあ、今年(2014年春。)娘が京都の大学に進学して、いろいろと準備をするにあたり、私の大学時代がとっても懐かしく思った所以です。
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-80-9c/naoaki63/folder/1459034/18/61846918/img_8?1396533210
この四角いお風呂は一日置きで沸かすんですけど、、
お風呂のない日はお金があればちょっと離れた銭湯へなかったら、11月になっても、水のシャワーを浴びてましたわ。
(^_^;)
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先日、、
同級生のポキちゃん、と言っても、S,弘美さんが大昔の青春時代の写真をアップして、、
笑わせて(失礼だなもうっ!(^_^;) )くれたから、私もちょっと探してみた。
でも、、
当時は今からだいたい30年も前なんで、デジカメとかは無く、銀塩カメラだけだったんで、そうそう写真って言う物自体をあまり撮っては無いんだよねぇ。
(^_^;)
私はとある大学の自治寮に4年間居たんで、そりゃ、人知れず苦労も多かったんだわ。
当時50人ほど居た同回生の寮生達も、卒業する頃には、半分の25人程に減っていたんです。
それくらい厳しかったんよねぇ。
学業の合間をぬって、、
(うっそばぁ〜っ!全然学校へは行かずにね。)女子学生と万博記念公園へ合ハイへ行くの図から始まって、、
およそ、学業とは無縁の4年間だったんです。
(^_^;)
暇を持て余したちょい悪先輩がともすれば、、
しょっちゅう、「騎馬戦やるでっ!」って言う号令を掛けるんです。
なんでならぁ〜っ!!ホントにもうっ!
って思いながら、、
「それ、いいアイデアですねぇ〜っ!嬉しいなあ〜っ(T_T) 」
なんて心にもない事を言う、現在の社会の縮図の様な上下関係、ステキだ。
(T_T)
当時から、「NAO」のロゴを自らあしらったTシャツを着こんだ私が良い勝負を繰り広げています。
降れば土砂降り、、
やれば本気。
イヤイヤでも、え〜っ!!やる事に意義がある。
(T_T)やっぱり泣くか。
千里が丘から俯瞰する大阪平野はネオンが目に染みたんですよ。
みんなこの風景を見ながら、遠く故郷に思いをはせて涙が頬を伝ったもんです。
「わ〜たぁしのぉ〜ひとぉ〜みぃ〜がぁ〜濡れているのはぁ〜♪」
「おもぉ〜えばぁ〜とお〜くえぇ〜きたぁ〜もんだぁ〜♪」
なんてねぇ。
(T_T)やっぱり泣く。
晴れた日には、大阪城だって見てたんですから。
みんな、、
「ワイが天下をとっちゃるわぃ。」なんて意気込んでいました。
泣くけどな。
寮の部屋は基本、4回生、3回生、2回生、1回生の四人部屋です。
2回生までは死んでました。
ゴミの扱いです。
(T_T)「わぁ〜たぁ〜しのぉ〜ひとぉ〜みぃ〜がぁ〜♪」
(もうええっちゅんよ。)
大阪にいったばっかりだと言うのに晩に、、
「箕面のミスドでドーナッツ買って来いや。」
「ストップウォッチ」でタイムを図るからな。」
とか、、
先輩の酒盛りの酒が無くなる度に、、
何回も2時、3時のド深夜に丘の下の酒店、「赤井屋」さんをたたき起こして、、
「お前ら、アホかぁ〜っ!!何時や思っとるんやっ!!(`´)」
って大怒られながら、お酒を買いに行かされたり、、
(T_T)ホンマ、泣けるよ。
履修もしてないロシア語の教室へ代返に行かされた挙句、、
当てられて、、
冷や汗流し流し、、
表紙裏の発音記号をメモって、数行のロシア語の教科書を読まされたり、、
「007」のミッションインポッシブルよ。
カタコトのロシア語より、ひどいあるよ。
先生に怒られ、クラス中(知らない先輩達ばっかり。)の笑いものになり、、
(T_T)泣けるで、、
そりゃもう、超悲惨な二年間だったですわ。
今の学生だったら、ウツ状態から、自殺もんかも知れないですね。
シカ〜シッ!!
こんなのなんちゃね〜。
(T_T)泣きながら、、
まあ、年に一度、楽しい事もありました。
「寮祭」です。
先輩方は、、
「寮祭だけは、1回生は、虫けらじゃないっ!」
っておっしゃる。
ワイらは、「キャッホ〜ッ!」ってなるのもつかの間、、
「寮祭の間、、」
「おめぇ〜らは、虫けらじゃないっ!ゴミ以下だ。」って。
(T_T)大泣き。
でも、、
お決まりの女装をさせられたり、、
(コノケはこの頃からだな。・・・・・、、ナイナイないわ。)
(*^。^*)初めて笑い。
超ショートカットだのに、オエンがん。
(*^。^*)
ゴミだと言われまでしたのに、、
中にはとっても優しい先輩がうどんをおごってくれたりもしてね、、
(*^。^*)また笑い。
学業以外は、とっても充実した4年間だったんですよ。
(*^。^*)大笑い。
(*^。^*)
勿論帰省はバイクで、、
ちょくちょく、ビッグモリーズのマサカツ君とつるんで、、
二号線バイパスをロケットの如くブッ飛ばして帰って来てましたわ。
写真は今は無き、、神戸の「ウェザーリポート」って言う、
お洒落なカフェでの一コマです。
向うに腕が写ってるのがお揃いのツナギのマサカツ君ですわ。
たのしかったよねぇ。学業以外。
(*^。^*)大笑い。
途中、何処かの売店のおばちゃんが、、
「あんたたち、週末になったら、そうやってバイクで帰省するの?」
なんて言ってたのが印象に残ってますわ。
(まさか、そんなに余裕かましてないよなぁ。)
なんて思ったりね。
(*^。^*)また大笑い。
これじゃ、娘や息子の学業云々は言えませんわ。
(もっとも、な〜んも言ってないけどね。)
(*^。^*)

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楽しかったなぁ〜っ!
でも、お金もなかったし、、
いい加減、卒業したかったんよねぇ。
(*^。^*)
秀麗寮では、新入寮生達の声も枯れて来て、それに伴って私達の行動もだんだん速やかになって来ました。
(一体、何泊したのか今となっては全く定かではないです。2泊3日だったようでもあるし、3泊4日だったようでもあります。でも、オリエンテーションの内容から言って、2泊って言うのはないとおもってるんですけどねぇ。(^_^;) )
 
オリエンテーションが段々と最高潮に達しようとしている時に、、
今度は、、
「歌唱指導」です。
私達に小さな冊子が配られました。
そこには、学歌から始まって、寮歌、応援歌、逍遥歌・・・・・などなど、、
7つのこれからの学生生活に関連した歌が載ってたんです。
 
歌、7つ、今となっては全部は思い出せないですね。
あの当時、全身全霊をもって覚えた歌なんですけどね。
これを覚えるまで歌うんです。
朝から晩まで。(T_T)
それも、寝泊まりしてる秀麗寮のホールが崩れるんじゃないかって言うほどの、これまた大声で。
(ご近所の方々は、一体何事だ?って思ってたでしょうねぇ。(^_^;) )
 
もう私達の声は完璧に潰れています。
元には戻らないんじゃないか?
って思うほどです。
この長い歌唱指導によって、全新入寮生は完璧にすべての歌が歌えるようになるんです。
 
次にまだあるんです。
やっと苦手な歌が終わったって思ってると、何と、、
「一発芸」の訓練です。
「一発芸の訓練」ですかぁ?
って思うでしょう?
 
実は、今回オリエンテーションを受けている50名の新入寮生は、最終日に、、
「部屋割り」の抽選があるんです。
どの部屋に配属されて、どんな先輩と寝食を共にするのかが決まるんです。
その時に、全秀麗寮生の前で、この「一発芸」を披露するんです。
 
当然、面白くなかったりした場合は大ブーイングです。
怖い大先輩たちが前の舞台の方へやって来て小突いたりするのもこの非日常の中の日常茶飯事です。
委員会の方々からはビビらされます。
 
「おまえらぁ〜〜!よ〜く聞いとけよ。このホールの天井を支えとる、2本の四角い柱だ。これに天井まで登って、セミのマネをした大先輩もいらっしゃるぞぉ。」
「この四角い柱に登れるかぁ?根性を見せんかいやっ!!」
ぞ〜〜〜っ!!(^_^;)
 
登り棒なんて、普通の丸い細い柱でもよう登りませんがな。
秀麗寮では、なんでも「根性」です。
接頭語は「根性」だと覚えていれば、なんら問題ないです。
それだけで、ノープロブレムですわ。
(*^。^*)
 
イメージ 1
 
全秀麗寮生、約200数十人の前で「そそう」でもしようもんなら、一生いや、学生生活4年間の不覚です。
なので、新入寮生達は気合をいれて、披露する一発芸に磨きをかけます。
その一発芸の練習もこのオリエンテーションのカリキュラムには入っているんです。
 
北海道から来てたY山君は、、、
牛を連れた農夫のマネをしてみんなの笑を誘ってました。
(仲間たちは、、あいつは良いなぁ〜〜、、北海道出身って言うだけで、芸があるがな。なんて羨ましげでしたねぇ。)
 
また愛知県からやって来てた、S田君は何故か気合を入れて芸をしてるうちに刺し歯を飛ばしたんです。
そのコロコロと乾いた転がる音にみんなまた爆笑です。
(たったそんだけなんですけどね。(*^。^*) )
本番でも、それで臨む事になったんです。
(あいつもええのぉ〜〜、、ホンマの一発芸になったで。)
ってみんなで言い合いました。
 
で、、
肝心な私はと言うと、、
戦争へ連れて行かれた、衛生兵だったらしい爺さんのマネをしてこの困難を乗り切った様な記憶がありますわ。
まあ、さしたる混乱もなく、つつがなく最終日の「部屋入り」って言う年間最大の秀麗寮のイベントが終わったんです。
 
翌日には大学の入学式があるって言うのに、、
部屋入りのあと、無制限にエンドレスの酒盛りが始まるんです。
「こいつがワシん所の新入りじゃわ。よろしゅうのぉ〜っ!」
って言いながら、先輩の友人の所へ連れて行かれては、、
「まあ飲めっ!」って言う事になるんです。
 
当日も何回か救急車がやって来ましたわ。
さらにはパトカーでお巡りさんたちもやって来ました。
そのお巡りさんたちを寮長、(秀麗寮では「委員長」って呼んでいたんです。)が論破して追い返しちゃったんです。
 
これにも、新入寮生達はビビりあげて、、
警察よりも強い委員長って、、
「もうわしらは訴えて行く所も無いで、、秀麗寮で死ぬわ。」なんて縁起でもない事を囁き合ったりもしたんです。
(^_^;)
こうして世間一般の夜は更けて行くんですけど、秀麗寮は「不夜城」だから、夜はないです。
コエ〜ワ。
 
さっき部屋入りのイベントが始まったばかりの様な気もするんですけど、、
もう朝が来て大学の入学式です。
大急ぎで、大学へ小走りにみんなで駆けつけて行くのでした。
(@_@;)
 
 

まるで野球部並み?

大阪は吹田の秀麗寮へやって来て、、
今こうやって「オリエンテーション」って言うものを受けてる様になりました。
まだまだ高校生の気分の当然抜けないままの私達でしたわ。
約50名の新入寮生達が一堂に秀麗寮の3号館ホールへ集められました。
 
新入寮生達は4つの班に分かれて、それぞれにトレーニングウェアに着替えて待機しようとしているところです。
みんな、布団袋から洗面用具とか言った身の回りの物を出す事さえなかなか出来ずにいるんです。
 
そんな折、先輩たちの怒号が響いたんです。
「おまえら〜〜っ!トロトロするなぁ〜〜〜っ!!(`´)」
「荷造りをお袋さんにやってもらったんだろぅ〜!?」


「いえっ!違いますっ!」みんなで大きな声でそうはいったものの・・・・・、、
(どうしてわかるんですかぁ〜〜?(^_^;) )っていう感じだったんです。


 
私はビビって、半分布団袋に体が入らんばかりの勢いで探しましたがな。
周りを見回しても、だいたいみんな同じような状況です。
ほどんど布団袋に体が入ってるやつも居ましたわ。
(気合入ってるなぁ〜〜。(^_^;) )
 
やっとみんな各自用意が出来たと見えて、、
整列したんです。
ここからがまた長い寮長の訓示です。(寮長は「委員長」って呼ばれてる感じです。)
 
みんなはこれまでぬくぬくと親が敷いてくれたレールの上をある意味楽に走って来た事・・・・・、、
これからはそんな自分から決別して自分の考えで自分の足で自分の手でで、未来を切り開いていく事、、
などなど結構長い訓示だった様に思います。
 
で一番大切な先ず第一の「挨拶」が完璧に出来る人間になるという事でした。
大きな声であいさつをします。
(ちょっと異常ですけどね。)
それから、秀麗寮の寮歌をはじめ、学歌、逍遥歌、応援歌、などなど、確か7つほどの歌を完璧に覚えたのでした。
 
要するに、このオリエンテーションでは、挨拶、歌、規律が重要なんだなと最初に思ったんです。
それをしこたま大声を張り上げて気合を入れて行うんです。
常に大声です。
それを先輩が了解しないと「もう一回っ!!」ってなるんです。
 
ホールに入る時には、姓名を名乗るんです。
声が小さかったり、態度が堂々としてなかったりしたら、すぐさま、、
「もう一回っ!!」ってなるんです。
 
さっき別れた4つの班でまるで競争です。
一番成績が悪かったり、時間が掛かったりすると、すぐに腕立て伏せ100回です。
なんでもすぐに100回です。
(まるで数字を50か100かしか知らない様です。)
 
当然、腕立て伏せ100回だなんてそうそうみんな出来ません。
(私は当時はへっちゃらで、腕立て伏せ600回に腹筋600回を毎日やってたから楽勝だったんですけどね。)
 
見るからに気の毒な人も居るんです。
そんな時には委員会の人からも檄が飛ぶんです。
「お前らぁ〜〜仲間だろっ!応援せんかいやっ!」
「大きな声で応援せんかいっ!」
 
私達は出来てないそいつを見るよりも、委員会の人の顔いろをみて応援してましたわ。
もう時効だし、同姓同名の人も大勢いるから言っちゃいますけど、、
なかむらせいや君って同期生がいて結構いつも腕立て伏せなんかに引っかかってたんです。
その時の応援が、、
「しっかりせいや、なかむらせいや。」ってみんなで言ってたんです。
これは30年ほど経った今でも、私達の間ではいまだに言われていますわ。
(強烈な印象だったんですね。)
 
何か失敗したりすると、、
「しっかりせいや、なかむらせいや。」っていうです。
ほんとに強烈ですね。
もう何から何まで、大声でがなり立てるんです。
歌を歌っているのか、怒鳴っているのか分かんないです。
でもそれでいいんです。
 
ある時なんて、、
「お前ら何回言ったら分かるんだ〜〜っ!」

「気合が入ってない証拠だっ!」


「はいっ!」


「これからもまだ頑張ろうと思ってるのかっ?!」


「はいっ!」


「ホントにやる気はあるのかぁ?!」


「はいっ!」


「俺たちの言う事を全然聞いて無いだろぅ?!」


「はいっ!」


「なんだとぉ〜〜〜っ!!(`´)」


ってな調子で、、
「はいっ!」って言うのをまるで無意識の反応の様に大声で口から出る様になってたんですね。
 
そんな中でも、相変わらずヘラヘラしてるツワモノもいるんです。
徳島からやって来てるH口君です。
彼はのちの大学の英語の試験でも私のななめ後ろでなにやらサラッ!ペラッ!って音がするんで、ふと見たら、、
 
膝の上に英語の辞書を机の中から引っ張り出して来て、辞書を引いているんです。
分厚い辞書でしかも、せっぱつまった時間に速やかに、よく単語が引けるなぁって感心したものでした。
 
そんなビッグな人間力抜群な彼は今では有名な銀行の監査部長です。
いつだったか、彼に会いに行って、、
「よくお金、貸すとか出来るなぁ〜?巨大な金額だろ?」
って言ったら、、
「二十年も三十年も先の事なのに、真剣に考えだしたら、そりゃ、みんな貸せんわい。」
だって。
相変わらず、ビッグなお方だコト。(^_^;)
 
ま、そんなこんなで、お昼頃から始めたこのオリエンテーション、、
一日目でみんな喉をやられて声が枯れました。
晩には逃げ出す者だって居ましたわ。
(大抵は大阪の親戚の家か、近所の駅とかに居る事がおおいですね。)
 
こんな暮らしが私の性にあってたのかどうか?
2年目からは私もこの「委員会」に入って、寮の自治の一角を担う様になっていくんです。
その時には分からなかったんですけど、こうやって逃げ出す新入寮生を探して委員会では徹夜になったりする事もたびたびだったんですね。
 
まだまだ、オリエンテーションは始まったばかりだと言うのに、、
「えらい所へ来ちゃったなぁ〜〜。」
って言うのが第一の感想だったですねぇ。
 
イメージ 1
 
秀麗寮の寮祭で、模擬店でラーメンを食べてます。
右側が当時の私ですね。
(*^。^*)
 
 
 
 
秀麗寮の「オリエンテーション」に間に合う様に、和気駅から鈍行列車に乗ってはるばる大阪を目指しました。
確か、オリエンテーションが午後からの始まりだっにもかかわらず、結構朝早くに電車に乗ったんだと思います。
 
途中、隣町の駅から、M村君親子が乗って来て、偶然にも彼も大阪へ引っ越しに行く所だったんです。
お母さんと一緒だったですね。
私は事前に布団袋1個(これに、洗面道具やら、ちょっとした辞書やらを詰めるだけ詰めて布団袋1個口の荷物を作ったんです。宅配業者の方は、メチャ重い布団だなぁ?なんて思った事でしょうね。(^_^;) )を秀麗寮へ宛てて送っていたから、手ぶらです。
 
隣町の彼は、どういう訳なのか、、
卓上の電気スタンドを丸裸でもっているんです。
私は、それがどうも不思議でならないって言う表情で、そればっかりをチラチラと見てはいたんです。
(だって、これから4年間の大学生活の本拠地へ向かうっていうのに、なぜ?卓上電気スタンドだけを丸裸で持って行ってるんでしょう?)
 
その光景がとても奇妙に思えたんです。
そんな私のいぶかる視線を感じてか、彼のお母さんは笑い転げています。
暫く笑ってばかりでしたわ。
その後、彼とはどこで別れたのかは今となっては全く記憶にはないです。
何回かは私は原付バイクで彼の下宿へ遊びに行った事はあるんです。
同じ下宿へもう一人同じ予備校で学んだT井君も居たりして、結構楽しかったですねぇ。(*^。^*)
 
さて、、
私は大阪で阪急電車に乗り換えて、やっとの事で秀麗寮に到着したんです。
秀麗寮に着いて、先ず第一声は「オリエンテーション」に来ました、なおです。
って、申し出たんです。
(後で聞いたところによると、そう言ってやって来たのは、私ただ一人だけだったんですって。じゃあ、みんなどう言ってやって来たんですかね?)
 
イメージ 1
(秀麗寮の裏庭からは大阪市内が一望出来たんです。大阪城だって向こうの方へ見えてました。)
 
簡単な出席確認をされたと思うんです。
ほどなく、3号館の1階にあるホールへと案内されました。
ここでこれから、3日間にも及ぶ「オリエンテーション」があるんだなぁ、、
なんて思って私はそれが一体なんなのか全く知らされていなかったんで、やっぱり緊張してましたね。
 
既に何人かの新入寮生達がやって来ていて、みんな緊張してる様子でした。
コトバンクドットコムによれば、、
「オリエンテーション」とは、


《「方向づけ」の意》新しい環境などに人を順応させるための教育指導。特に、学校会社などで、新しく入った者に対し、組織の仕組み・ルール学習仕事の進め方などについて説明すること。


なんですって。
 
なるほど、、
それじゃあ、あってますわ。
オリエンテーリングって言うと、方位磁針をもって目的地をヒントを探しながら進むあれでしょう?
なんだか楽しい事でもする「レクリエーション」の様に感じていたのも事実です。
 
でも何だかちょっと異様な感じもしたんです。
いつもあぐらをかいてオジサンが居るんです。
その周りに若いスタッフも居たりして、
彼れらは一体何者んだんだろう?いつも思ってました。
後から分かったんですけど、彼らは毎日放送か、朝日放送のカメラマンの人達だったんです。
ちょっと珍しい寮の「オリエンテーション」の風景を撮影に来たらしかったんです。
 
(のちに、この風景はテレビ放送されて、賛否両論が渦巻きました。更に、寮委員会が大学の了解を取り付けてなかったとかで、ちょっとした問題もあったらしいです。)
 
そうこうしているうちに、、
ほぼ新入寮生達ほぼ全員がそろったと見え、先輩が一言言ったんです。
「みんな、ホールの隣にある自習室に置いてある布団袋を出して洗面用具を取り出して、トレーニングウェアに着替えろ。」
って。
 
名前を呼ばれては、めいめいの布団袋を取に行って、ホールへ出して準備を始めます。
所が私は、まあ大きいと言えば大きいんですけど、そう大きくもない布団袋から洗面用具や、トレーニングウェアを取り出す事が出来ないんです。
周りを見ると、ほかの新入寮生達もだいたい同じ様な状況です。
(^_^;)
 
と言うのも、「荷造り」を自分ではやってないんです。
お袋にしてもらってたんです。
私はと言えば遊びほうけてね。(^_^;)
みんな同じなんでしょう。
これには我ながら笑っちゃいました。
 
そんなヘラヘラとした空気を先輩の怒号が切り裂いたんです。
(>_<)

秀麗寮とは、、(*^。^*)

イメージ 1
 
われながら、へったくそな絵だコトッ!!(^_^;)
やっぱり芸術のセンスなしだわ。
ま、それはそれとして、、
丘陵地に建つ秀麗寮のイメージとしてはだいたいこんなもんですけどねぇ。
 
1〜4号館まであって、そう言えば、4号館も2階建てだったです。
それに、2号館とホールのある3号館の間には、食堂がありました。
林の中を抜ける急な階段や細い通路で縦横に結ばれてたんです。
 
これから「オリエンテーション」がはじまるホールは図の中ほどの様子です。
仕切られた向こうの小部屋が「勉強室」になっていて、机や各種書籍、机上電気スタンドが結構多くそろってたんです。前期試験や後期試験の時だけがこの部屋がいっぱいになってましたねぇ。
 
真夜中にも光光と点く電気スタンドの明かりをすぐ前の市道を通る方々が垣間見て、、
「あれっ?こんな所に学生さんが大勢住んでいたんだなっ。」って言ってるんです。
まあ、普段は例の雄叫びやらなんやらで、、
まさか学生さんだとは思ってなかったんですかね?
(^_^;)
 
そして続くホールが総勢200人以上もの寮生でいっぱいになって、集会がおこなわれるんです。普段はね。
四角い柱2本で支えられていて、丸い柱でも登るのが困難なのに、この四角い柱に登ってセミのマネをしたって言う伝説の寮生の方はつい最近までフェイスブックで「お友達」だったです。
淡路島の方で、私よりも10期位上の方ですけどね。
(*^。^*)
 
さて、、
肝心の部屋はと言うと、6畳ほどの部屋に2段ベッドが2個備え付けられていて、1回生から4回生の4人1部屋ってのが一般的です。
それぞれは各ベッドの畳1畳だけが自分の固有のスペースですわ。
(^_^;)
「座って半畳、寝て一畳。」ってのはまさにこれですねぇ。
 
イメージ 2
 
かつての秀麗寮の玄関です。
毎日ここから学校へ通い、お昼ごはんには帰って来て、食堂で昼食をとって、午後からまた学校へ・・・・・、、
と言いたい所ですけど、部屋へ帰ったら、午後の授業は「自主休講」です。
(^_^;)それでいいのだぁ。
 
イメージ 3
 
これが林の中にある急な階段です。
このいたるところに記念碑として、ちょっと小さいまるで「墓石」の様に、「第○○期卒寮記念」とか書いてある石碑があっちこっちにあるんです。
私達が第30期ですから、少なくとも30年は当時経っていたんです。
なるほど、ボロボロの寮のはずだったんです。
 
北杜夫さんの「ドクトルマンボウ青春期」を是非読んで見て下さい。
まさに、そんな青春ですから。(*^。^*)
わたしの憧れだったんですねぇ。
 
イメージ 4
 
これが2階建てになっている4号館です。
向こうに3号館がみえます。
この建物の向こう側に市道が通っていて、学校までほんの数百メートルです。
こっち側には寮生たちがバイクを置いたりしてました。
 
イメージ 5
 
それが、、
私達が卒寮して、間もない時に新寮の建て替わったんです。
在寮中は大学の厚生課の方々と一緒にあっちこっちの学寮を見学に行ったりもしたもんでした。
そんな事が形になってこうやって新しい寮が出来るんですから、感動しましたわ。
(*^。^*)
 
イメージ 6
 
新寮の全景ですね。
なんと女子寮もあって、食堂は共用らしいです。
(^_^;)
そんな・・・・・、、
当時どうしてあんなに合コンとか苦労して行ったんですかね?
合コンなんて全く必要なくなるじゃないですか。
 
私達の時は、必要な経費は、、
毎月だいたい1万5千円あったら、すべての費用が賄われたんです。
食費から、光熱費に至るまで。
たったの15000円ですから。
その時の下宿の連れはだいたい毎月10万〜15万円を仕送りしてもらってたんです。
 
大きな差ですね。
(^_^;)
当時、私はアルバイトで、8万円以上を稼いでいましたしね。
今と貨幣価値はそんなには変わらないような気もするんです。
これだけ取って見たらねぇ。
そして↓↓↓に現在のだいたいの経費が載ってますわ。

 
秀麗寮
入寮費 寮費 管理運営費
食事代 寝具代
25,000円入寮時のみ
月額24,200円
寮室の電気代及び共用部分の光熱水費等雑費を含む
月額14,000円
朝240円
夕480円
実食分のみ
年額 9,450円全員が寝具をリース


これだと、お昼ごはんは寮ではない感じですねぇ。
食事を一日1000円程度としても、、
毎月だいたい7万円弱は居る計算ですわ。
そうすると、下宿とそんなに変わらないような気もしますね。
 
さらに、経済的な支援と言うだけじゃなくて、、
秀麗寮には当時から国際交流という役目があったんです。
おもに、アジアからの留学生を受け入れてました。
まさに、同じ釜の飯を食い、一日置きに銭湯の様なお風呂に入り、まさに、「裸の付き合い。」です。
 
これから、ほどなく「オリエンテーション」がはじまるんですけど、、
丁度いいように、その3日間にも及ぶオリエンテーションが済んですぐに入学式になる様になってたんです。
私も、これに間に合う様に和気から鈍行列車に乗ってはるばる大阪の地にやって来たんです。
(*^。^*)
これからどうなる事やら。
(^_^;)

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