|
http://www.youtube.com/embed/7OKbP3xfwTQ この戦闘機には、ちょっとした思い出があるのだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/naoaki63/27738497.html←の記事を参照されたし。 実際には、ペラ軸の振動が結構大きかったり、離着陸時の視界不良があったり、当然、後方の視界不良もあったりする。 しかしながら、フライト・シム故に振動も、感じなければ、Gも感じないのである。 上昇力も素晴らしく、当然急降下時の速度も、絶大で、敵機も振り切り易い。 攻撃力も、両翼の20ミリ機関砲の炸薬弾の効果は絶大で、あっという間に、敵機の翼がもぎ取れるのである。 新型の雷電も、供給されて、ますます気炎が上がっている。 敵機単機進入の報を受けて、スクランブルをかけた私が見たものは、少し煙を噴きながら、着陸地点を探しているのか、そのまま、偵察に来ているのか、低空を飛ぶスピットだった。 こいつを逃がしていては、更に大きな作戦が近いうちに行われるだろう。 気の毒だが撃墜する。 一機に旋回降下して、一連射するが初弾を外されてしまうのである。 敵機も必死で、右に左にブレイクして、何とか旋回戦に持ち込もうとしているのか? そうはさせじと、急激に旋回すると、強烈なGで貧血をおこすくらいに目の前が真っ暗になってしまうのである。 それでも、グッっとこらえて、更に追尾する。 よ〜く照準して、息を止めて、て〜〜〜!! 両翼の20ミリ機関砲を全門発射だ。 あっけなく敵機は、墜落してしまった。 搭載エンジンが大直径の割に低馬力であったため、空気抵抗を可能な限り減少させなければならなかった。そのため、当時最新の航空力学理論に基づき、機首を絞り込み全長の40%が最も太くなる紡錘形の胴体が採用されている。この胴体形状ではエンジンが機首よりかなり後方に位置することから、上記したように延長軸を追加したエンジンをわざわざ開発する必要があり、操縦席部分が機首より太くなるため、背の低い風防と相まって、機首上げ時の前下方視界が極めて悪化するという弊害も招いた。このため、速力の低下を承知の上で風防上部の嵩上げが行われ、最終的には風防前部付近の胴体側面の削り落としまで行われている。 場当たり的に見える対応だが、これは十四試局戦等の飛行試験結果から紡錘形の胴体形状がさほど効果がないことが判明した後に、強風から紫電改の様に細く絞った胴体へ再設計する案が三菱から提出されたが、量産に支障が出るという理由で却下されたため、既存の胴体形状のままで最大限可能な視界改善策が妥協策として採用された結果である。また、風防に使用された曲面ガラスが視界を歪ませることも問題視され、平面ガラスに変更されている。 主翼については、1940年代当時抵抗軽減のため高速機に有利として着目されはじめていた層流翼の翼型を内翼側に採用した半層流翼を採用している。この主翼は零戦で問題となった中・高速域の横転性能が大幅に改善されており、280ノット(約518.6km/h)付近まで良好な横転性能を発揮できたとされている。また高速力の代償として主翼面積を抑えたことから、日本機としてはかなりの高翼面荷重となったため、フラップを九六式艦戦や零戦が装備した単純なスプリット式ではなく、高揚力装置としての能力が高く、また空戦フラップとしても利用できるファウラー式を採用している。 雷電と同時期以降に開発された日本海軍機に軒並み採用された層流翼は、当時の加工精度では設計で意図したほどの抵抗軽減効果は上げていなかったのではないかと言われる。また雷電の主翼は、限界領域での飛行特性にトリッキーな面があったようで、着陸速度付近での旋回時の失速による墜落事故も複数記録されており、このため雷電への搭乗を嫌う搭乗員もいたようである。急降下制限速度については、同時期に配備されていた五二甲型以降の零戦や紫電改と同じ400ノット(740.8km/h)と規定されたが、同時期の陸軍戦闘機と比較すると100km/h以上低いものであった(降下初期加速は良好)。 実用化が遅れたことから計画は白紙に戻され(とりあえず零戦を改良しつつ増産)、雷電は開発開始はやや遅いものの実用化はほぼ同時期となった紫電改と比較されるようになった。海軍における新型機の審査を受け持つ横須賀航空隊は、両者の試作機を使用した比較テストから「紫電改は対戦闘機戦闘も可能だが、雷電は零戦と組み合わせなければ性能を活かすのは難しい」と結論し、雷電の生産を中止して紫電改の生産に集中すべきだという報告書が横空から航空本部に提出されるほど雷電の評価は低下していた。しかし、期待された紫電改も発動機の「誉」の不調に悩まされており、その解決にはしばらく時間が必要であるため、その間隙を埋める機体が必要であったこと、また雷電の太い胴体はB-29に対抗するために必須と考えられていた排気タービン過給器の搭載に有利と考えられたことから、少数ではあるが生産と改良型の開発の継続が決定され、拠点防衛部隊を中心に配備されることになった。
最初の雷電装備部隊として、パリクパパンの油田防衛部隊である第三八一航空隊が編成されたが、雷電の生産が捗らないため零戦を装備してスピンガンに進出している。後にスピンガンへ空輸された雷電を受け取った第三八一航空隊は、油田から豊富に産出される高品質燃料を使って訓練を積み、短期間ではあるが油田攻撃に飛来するB-24、P-38、P-47の迎撃で少なくない戦果を挙げている。そのほかの部隊では、本土防空専任部隊として編成された第三〇二航空隊(厚木)、第三三二航空隊(岩国/鳴尾)、第三五二航空隊(大村)に主として配備され、特に小園安名大佐率いる第三〇二航空隊の乙戦(雷電)隊は、B-29迎撃で最も戦果を挙げたと言われている。この第三〇二航空隊に所属していた赤松貞明中尉は雷電搭乗の撃墜王として最も有名である。 諸元 制式名称 雷電二一型 雷電三三型 機体略号 J2M3 J2M5 全幅 10.8m 同左 全長 9.695m 9.945m 全高 3.945m 同左 自重 2,539kg 2,510kg 正規全備重量 3,507kg 3,482kg 発動機 火星二三甲型(離昇1,800馬力) 火星二六型(離昇1,800馬力) 最高速度 596.3km/h(高度5,450m) 614.5km/h(高度6,585m) 上昇力 6,000mまで5分38秒 8,000mまで9分45秒 降下制限速度 740.8km/h 同左 航続距離 2,519km(増槽あり) 全力0.5時間 + 巡航2.4時間 武装 20mm機銃4挺(携行弾数190〜210発) 同左 爆装 30〜60kg爆弾2発 同左 日本の搭乗員には評判が悪かったが、戦中戦後に実際にテスト飛行したアメリカ軍のパイロットには好評であった。これはずんぐりした胴体によって、日本機にしてはコックピットが広く、乗り心地が良かったからと言われ、日本では問題視された振動や着陸性能の悪さも、アメリカの基準ではさして問題が無かったようだ(これは日本に比べてアメリカの飛行場・滑走路の整備状況が断然良かった事にもよると思われる)。 なお、フィリピンで米軍に接収された二一型初期生産機(製造番号3008号機)である捕獲機ナンバー”S12”を用いたテストでは、最高速度671km/h(高度5,060m)、上昇力5分10秒/高度6,100mと日本側のカタログ・データを大幅に上回る結果を残している。
当時の連合軍機のようなずんぐりむっくりした機体や、雷電(RAIDEN)の名称が発音しやすく、また英訳すればP-47やA-10の愛称と同じ「サンダーボルト」であることから、欧米諸国のミリタリーマニアの間でも意外と人気が高い。 一部出典:ウィキペディア
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用




