|
先日、私はアメリカ海軍のF6Fヘルキャットに搭乗していた。 僚機1機と飛んでいた。 前方にかなり大きな機影を確認したのだった。 僚機が早速接近をして、敵機を判断したから、攻撃を始めたのだが・・・・・。 これが、帝国海軍最強の鴨、「二式飛行艇」だと分かったのは、僚機が撃墜をされてからであった。 =( ̄□ ̄)⇒ 「二式大艇」と言った方がよく分かるだろう。 かなり強力な敵機だったのだった。 僚機はそんな敵機にたびたび命中弾を浴びせ、火を吹かせたのだが、結局敵機の射弾もかなり受けて、右翼を飛ばされてしまった。 幸い、パイロットは脱出したようだ。 程なくして、この二式大艇も左翼の炎から、左翼の燃料タンクが大爆発を起こして、左翼がぶっ飛び、墜落して行ったのであった。 恐るべし、二式大艇。 「二式飛行艇」 二式飛行艇(にしきひこうてい)は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年(昭和16年)。機番は「H8K」。レシプロエンジン装備の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇り、現在なお凌駕する機体は出ていないともされる。
通称は二式大艇(にしきたいてい、にしきだいてい)。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。九七式飛行艇の後継機として、同じく川西航空機で生産された。 連合軍におけるコードネームは「Emily」。 また、当時の海軍から要求された性能も桁外れの物だった。 二式飛行艇の前の制式機である九七式飛行艇は当時の列強の飛行艇の水準を越えた優秀機だった。長い翼を持った4発飛行艇で、最大速度は385km/時・魚雷2発を搭載した攻撃ミッションでの航続距離は約5000kmだった。二式飛行艇は、九七式飛行艇の後継として当時の飛行艇の水準をはるかに上回る性能が要求された。海軍の要求性能の一部を列記する。
最高速度…444km/時以上 当時の主力戦闘機九六式艦上戦闘機と同等。同時期の英国4発飛行艇サンダーランドの最高速度336km/時と比べると100km/時以上速い。 航続距離…偵察時7400km以上、攻撃時6500km以上 いずれも一式陸上攻撃機やB-17爆撃機の5割増。 20mm機関砲多数を装備した強力な防御砲火、防弾装甲。 良好な操縦性 大型高速で充分な防御火器を装備した本機は連合国パイロットからフォーミダブル(恐るべき)機体と呼ばれた(英国航空評論家ウィリアム・グリーン)。開戦直後の1942年(昭和17年)3月には、大航続力を生かして3機で真珠湾を再空襲した(K作戦)。
その後も高速と航続力を生かして太平洋各地の偵察・爆撃に活躍した。既に有効な編隊を組む事すら難しくなっていた日本軍多発機の中にあって、一式陸攻などに比べると遥かに連合軍にとって危険な相手だった。B-25やB-17を積極的に追撃して撃墜したという逸話も残っている。 その攻撃力から「空の戦艦」などとも呼ばれた。しかし、戦況が悪化して制空権が奪われ敵戦闘機の攻撃が増えると重防御も耐え切れず、戦争後期には多くの二式大艇が撃墜されており、終戦時に残ったのはわずか4機であった。 また、山本五十六のあとを継いで連合艦隊司令長官となった古賀峯一が移動中に遭難し殉職した時には二式飛行艇の輸送機型晴空に乗っていた(海軍乙事件)。 諸元では。 正式名称 二式飛行艇一二型 略符号 H8K2 全幅 38.00m 全長 28.13m 全高 9.15m 翼面積 160m² 自重 18,400kg 正規全備重量 24,500kg 最大重量 32,500kg 発動機 三菱火星22型(離昇1,850馬力) 最高速度 465km/h(高度5,000m) 一一型433km/h 二二型470km 航続距離 7,153km(偵察過荷) 二二型8223km(同) 武装 20mm旋回銃5門、7.7mm旋回銃4門 爆装 爆弾最大2t(60kg×16または250kg×8または800kg×2) または航空魚雷×2 となっている。 出典:一部ウィキベディア、産経ニュース。
|
海軍二式飛行艇
-
詳細
全1ページ
[1]
コメント(4)
全1ページ
[1]




