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南房総 金谷 砲台山ハイランド
戦後日本は高度成長期を終え、人々の生活も豊かになりマイカーブームの時代を迎えました。
南房総の地は都心からも近いうえに観光名所も多く、マイカーで訪れる人々で賑わっておりましたが、
昭和40年代に入り、京成電鉄が金谷地域一帯を大規模に開発するため、鋸山ロープウェイの建設や
東京湾フェリーの誘致、桃太郎園、砲台山ハイランド等のレジャー施設の建設を行いました。
東京湾フェリー乗り場側から見た開園当時の砲台山ハイランド
画像右側より頂上に登るリフトと、左上には砲台山ハイランドの文字看板が見える。
画像から当時の漁船は、まだ木造船だった事が解りますね。
東京湾フェリー乗り場側から見た現在の砲台山。 かつての面影はなく、木々が深くなっています。
リフト上から見た砲台山中腹の花壇と、後方には金谷港を出航したカーフェリーが見える。
じのもんたは、幼少の頃一度だけ訪れた事があります。
その時の微かな記憶としては、リフトの座椅子が青・黄・赤とカラフルだった事
花壇の花がきれいだった事と山頂の公園で友達と追いかけっこをした事と・・・
そしてもうひとつは、大砲があった事です!
戦争中東京湾防備のため、房総の海岸周辺には随所に防備施設が構築され、東京湾要塞地帯に含
まれていた金谷にも、各所に色々な施設が施されました。 現在砲台山と呼ばれるようになったのも、
戦時中に砲台が築かれ、加農砲(キャノンホウ)4門が据えられた名残でしょう。
終戦後は取り払われ、要塞も解除になったので新たに砲台山ハイランドとして、レジャー施設が建設
されました。
と言う事で42年前の記憶を確かめるために、加農砲を求めて砲台山ハイランド跡地に向かいました。
最近林道が多いですが・・・ リフト側から登るのではなくて、裏道から登る事にしました。
当時はリフト利用料金のみで入場料は無料だったため、リフトを使わないで裏道から入れば無料でハイラ
ンド内に入る事が出来たそうです。
砲台山ハイランドに向かう林道で、右側は崖です。 ここの地質は房州砂岩と呼ばれ道は岩盤で滑りやすく
危険!左側の壁面も岩で、下方に溝が切られています。 これは壁面を流れ落ちる雨水が道に流れないよう
にするための先人の工夫です。
途中倒木の場所がありました。
いよいよハイランド敷地内に入って来ました。 そこで最初に遭遇したのは、婦人専用のお手洗いでした・・・
所謂ボットン型でした
手洗い用の洗剤容器ですね・・・ 手のひらで下から棒を押し上げて液を出す懐かしいタイプです。
お手洗いの前には、鳥小屋と思われる設備がありました。
8角形の屋根裏の状態です。
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スミマセン!今日はここまでです〜
今回のレポは長編3部作になる予定です!
この先にはビックリする光景が盛り沢山!?
そこには何が? 探し求めた加農砲はあったのか?
乞うご期待!
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ちょっとだけヨ〜
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金谷・砲台山ハイランド
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これは凄いですね。公開になったのは初めてじゃないでしょうか。
浜金谷は何度行ったか分らない程です。和歌山から渡ってきた事。
石切り場としての歴史と海水浴場が在ったとか・・・。
これには驚きました!そう言うこととは全く知りませんでした。
しかもこのような廃墟のあとまで残っているとは!
次も、その次も楽しみで成りません。本当に感激のレポートです。
勿論、ポチさせて下さい!
2011/11/26(土) 午後 10:39
本当に凄いです!
知らない人が入山したら、「千と千尋の神隠し」みたいな世界ですネ!
本当にワクワクしてきました!続き楽しみにしてま〜す!
2011/11/27(日) 午前 2:48
アキさん お早うございます。
砲台山ハイランドは、昭和45年頃には閉園となったようです。
ですから私が当時ここに行ったのはギリギリセーフでした!
昭和30年頃までは、金谷水族館も存在していたそうですが、
当然私はまだ生まれていないので知りませんでした。
続編・・・期待してください!
ポチありがとうございます。
2011/11/27(日) 午前 7:39 [ じのもんた ]
プリン社長さん お早うございます。
川口浩じゃなかった・・・じのもんた探検隊2名行ってまいりました(笑)
ここには、目的とは別に思わぬ副産物が有りました〜
昭和40年代のコーラ・ファンタ・ミッション他の瓶や缶が沢山残っていましたョ!
前人未到の地?続きをお楽しみに!
2011/11/27(日) 午前 7:47 [ じのもんた ]
じのもんたさん、こんにちわ
廃墟楽しそうですね〜副産物楽しみです。
2011/11/27(日) 午後 5:07 [ クロネコ ]
ほ〜
千葉は色んな史跡などがたくさんあり過ぎですね(笑)
良い意味で羨ましいでございますぞ☆
さ!次は何が出るかは…
コマーシャルの後で!なんてね… ぷ♪
じのもんたの☆昭和知ってとるけ?
まだまだ…続きますぞぉ
2011/11/27(日) 午後 7:22 [ ・ ]
クロネコさん
昭和40年代初頭の空瓶と空缶が大量に廃棄されていました。
このネタをアップすると先に進まないので、少しお待ちくださいネ!
2011/11/28(月) 午前 0:59 [ じのもんた ]
タロよこしまさん
普通の人が行かない所ばっかり行ってますが・・・
オレって変人かも?
横浜の次は・・・
チバ?
2011/11/28(月) 午前 1:05 [ じのもんた ]
すごいところがありますね
廃園のまま放置というのも
ある意味すごい(−−;
利用者が少ないからでしょうけど
理由は遠くて不便
見所なし
・・・どちら?
千葉は広いだけあって
放置できるんですよ
横浜なんかこ狭いから
廃園になったらマンション群できそう(爆)
2011/12/2(金) 午前 2:01
桃豹さん
廃園の理由は、特に面白くないからです・・・
1度行ったら2度目は無いと思います。
この頃は乗り物等の子供が遊ぶ施設もありませんでした。
景色は良いですし、桜も奇麗でのんびりするには良い所だったと思います。
2011/12/2(金) 午後 7:02 [ じのもんた ]
砲台山懐かしいです。
母方の祖父は退職後都内からのどかな金谷に引っ越しました。
その時の住居が砲台山への山道(裏の方のルート)の入口近くです。
これが現在からおおよそ四十年以上前のことです。
そして私は幼少時代〜中学生時分まで毎年夏休みなど東京からこの金谷の地に来て過ごしていました。
それが今から三十年程前のことですが、当時十才にみたない私は親に許可を得て単独、または従姉妹と二人で砲台山に通じる山道で遊んだり、
時に頂上(写真の場所)まで行って遊んだしていました。
その当時既に施設は廃墟と化して画像で見るのと同じようになっていましたが
しかし、あの頃を思い出すと実に懐かしいです。
小川やドブにはサワガニがいたり、砲台山に続く山でイタチが道を横切るのを目にしたり、それら鮮明に覚えています
レジャー施設が賑わっていた頃は花壇がありお花が綺麗だったと、幼少の頃に祖母や母から聴いたことがあります。
じのもんたさんが幼少の頃ご覧になった花壇のお話と合致しますね。
私は話にしか聞いたことがなかったので掲載されているモノクロ写真がとても有難いです。
2012/10/17(水) 午前 0:39 [ やはり ]
やはりさん
ご訪問とコメントありがとうございます。
そうですか、夏休みの思い出は千葉の金谷なのですね〜
当時すでに廃墟と化した砲台山への探検は実にスリリングだった事でしょう。
今では金谷に訪れる事はないのでしょうか、東京湾アクアラインと館山自動車道が開通した直後から、フェリーの利用客が激減しそれに伴い鋸山への観光客も減ったため、一時厳しい時期もありましたが地域の努力により活性化が図られ、今では週末には多くの観光客で賑わっています。
私の記事で「金谷・鋸山訪問記」の所を見て頂けたら、他にも懐かしい金谷に出会えるかもしれません。
金谷地区の記事は今後もアップする予定ですので、宜しかったらご訪問ください。
ありがとうございました。
2012/10/17(水) 午後 6:44 [ じのもんた ]