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昭和7年 夏の日の思ひ出
昭和7年8月2日消印 博子ちゃんの手紙より
昭和7年東京湾要塞司令部許可 「大貫町海岸」絵葉書
平成24年7月28日(土)の大貫海岸 千葉県富津市の富津岬から続く大貫中央海水浴場は遠浅で波が静かなので家族連れに人気です。
1枚目の写真の表には、博子ちゃんの文が書かれていました。
ひろこはね、いやや
あきらのかほを、みたくなりました。
ていちゃん、りつこちゃん、あきちゃんがみたくてたまりません。
ひろこと、のうちゃんはいつでも、まこちゃんと昭子ちゃんとうみであそんでいます。
さよなら
昭和7年の夏、毎日友達と大貫の海で遊んでいる博子ちゃんが、
東京の親族に宛てた手紙でしょうか・・・
鉛筆で一生懸命に文を書いている博子ちゃんの姿が目に浮かんでくるようです。
何かほのぼのとする文章ですね。
現代であれば、携帯電話のメールで送信って感じでしょうが・・・
味もそっけもないなぁ〜と思うのは私だけでしょうか?
大貫海岸から富津岬方面を望む
7月28日・29日は大貫地区の祭礼でした。
地元の言葉で、「おおぬきんまち」て言います〜
9月には、この海岸で、神の乗る馬の祭り「吾妻神社の馬だし祭り」が行われます。
近所には若乃花こと、花田勝さんのご自宅があったりします。
東京湾沿岸の絵葉書について
1899年(明治32年)に公布された「要塞地帯法」「軍機保護法」によって東京湾沿岸の要塞地帯は
軍事機密保持と防御造営物の保安が図られていて、指定された区域内での写真撮影や絵葉書を
発行する際は要塞司令部の許可が必要とされていました。それにより、当時の内房地区の絵葉書
には、このような東京湾要塞司令部許可などの記載があります。
絵葉書に見る、内房の海水浴場
つづく
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昭和な夏休み
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良いですね
良い時代このころの方が今よりずーっと心が豊かだったようですね
以前此処に降り立った
凧を揚げて居ました、、色々な凧を何所かで挙げるので練習を
此処のお祭りかな神輿に鯛が飾ってありましたよ、
2012/7/29(日) 午後 11:07
昭和7年…東京府東中野町…東京府なんだねぇ。
おかっぱ頭の博子ちゃんが文(ふみ)に気持ちを託して一生懸命に書いているようすが
目に浮かびます。
昭和7年…エアコンもなく アイスもなく うちわ片手に風鈴の音で暑さをしのぎ
たまには海で泳いだり 川で遊んだり
そして夜はエアコンなしでも 昼間の疲れから爆睡したのでしょうねぇ。蚊帳の中で…。
イイね!☆
2012/7/30(月) 午前 6:50 [ Tae ]
大貫海岸の景色は今も昔も変わらないのですね!バブルのころはリゾート開発の話もあったそうですが、無くなって本当に良かったです^^
東京湾観音の周りに登山道があるのですが、そこから見る景色は自分のお気に入りです!いつもでも変わらずに残っていてほしいものです☆
2012/7/30(月) 午後 8:33
昭和7年・・・・一桁ぱぉんね。すごいぱぉん〜〜
見た感じ、海岸は今と変わってない感じぱぉんね。
しかしH24.7/28の大貫海岸は空いてるぱぉんねぇ。
ぱぉんちゃんもメールより、手紙派ぱぉんよ。郵便受けにハガキや手紙が入ってると、なんだか嬉しいぱぉんね!イイね!
2012/7/31(火) 午前 1:01
でこちゃん
このような切手が張ってある使用済みの葉書をエンタイアと言います。
私は古いエンタイアの絵葉書が大好きなのです。
当時の人々の考えや気持ちが伝わってくるからです。
2012/8/1(水) 午後 9:06 [ じのもんた ]
タエちゃん
んん〜ん!まるで当時の博子ちゃんを知っている様なコメントですネ!
でも、さほど違いはないかと・・・
昭和7年は私の父が生まれた歳です、博子ちゃんはまだ健在でしょうか・・・
2012/8/1(水) 午後 9:15 [ じのもんた ]
わいるどさん
大貫の磯根崎は波の浸食により年々後退しているようです。
ここの崖からは、旧象の化石なども見つける事が出来ます。
磯根崎には、廃道となったループ橋なんてのもありますね。
2012/8/1(水) 午後 9:23 [ じのもんた ]
ぱぉんちゃん
千葉県の内房の海は、どこも空いているぱぉんね〜
それでも、ここはまだ人が居るほうぱぉんよ!
昭和な頃は人が一杯で、海の家も沢山あったぱぉんよ〜
2012/8/1(水) 午後 9:27 [ じのもんた ]