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昭和なチェリオ
SINCE 1963
駄菓子屋ジュースといえばチェリオです!
チェリオの正式名称は「チェリオグレープ」や「チェリオオレンジ」「チェリオアップル」などで、
チェリオという名前の飲料は無いんです。元々は日本セブンアップ飲料他、セブンアップの
ボトラーがコカ・コーラのファンタの成功を見て、アメリカで販売されていたハウディを日本風
に改名して発売したのが始まりでした。その関係からかつてはチェリオが自動販売機や店
頭などで、セブンアップと並んで売られていました。
中学校の帰り途、駄菓子屋で飲んだのはチェリオでした・・・
マイコレクション左から、当時物のチェリオ・オレンジ・グレープ・アップルです。
従来のリターナブル瓶は、296mlで販売されていましたが、瓶の回収の問題や関東の生産
拠点の廃止の理由から320mlのワンウェイ瓶での販売となりました。しかしそれも2006年頃
には販売終了となってしまったようです。東海地方では、現在でも296mlのリターナブル瓶で
販売されています。
500mlのペットボトルは全国展開で、オレンジ・グレープ・メロン・パインサイダーを発売中!
310mlのワンウェイ瓶は、映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」のキャンペーンでセブンイレブ
ンよりオレンジ・グレープが発売されました。
実家の商店に残っていた昭和41年当時の領収書です。
営業所 館山 ルート名 鹿野山と書かれています。
でも実家の商店でチェリオを飲んだ記憶はないんですョ!?
昭和なチェリオ おしまい
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昭和なジュース
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岡山は昭和がいっぱい!?
私は昭和な物を集めるのが好きです! 商店に生まれた私の場合、昭和な物といえば食料品や
飲料、日曜雑貨などが強く印象に残っています。
昭和40年 生後10ヶ月のじのもんたです。
幼少の頃は店の商品が、おもちゃ替わりでした・・・って!それって売り物ぢゃんか!
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昭和な品物を収集していると、何故か中国・四国地方の物が多く、その中でも特に岡山県からの物
が多いんです! 昨年聞いた話によると岡山や広島方面に、多くの骨董商が買い付けに来ている
そうです。 そんな中で、今日は岡山県から昭和な飲料の紹介です。
岡山県倉敷市の商店に残っていた「ユーミー」のポスター 42cm×58cm
ユーミーのキャッチコピーは、「若い2人のドリンクス」
昭和40年代初期に流行ったアイビールックの男性とミニスカートの女性
ゴーゴーですョ!
商品名ユーミーの由来は、当時流行った和泉雅子&山内賢のヒット曲!ユー・アンド・ミーから
こちらのポスターも同じ商店に残っていました。 36cm×65cm
こんなお姉さんに見つめられたら、当時の少年はイチコロよ〜ん!
ユーミーは昭和42年、塩野香料の支援により誕生した統一ブランドの「ユーミー会」が、各地の鉱泉所など
で製造していたローカルドリンクです。 関東では馴染みがなく、主に関西地区で展開されていたようです。
数年前までは、京都市伏見区の城南鉱泉所で製造され、銭湯などで売られていましたが、現在はどうなん
でしょうか?
珍しい形のボトルに入ったコカ・コーラ? いいえコク・コーラです。上手い!
こちらも岡山県倉敷市の丸徳食品のものです。
以前紹介しました昭和な乳酸菌の瓶も、コレクションが増加しました。
カーラ60は鳥取県米子市から、ピロン・コンククロレラ・ヤクルトの各瓶は岡山県より。
すべての瓶はヤクルトに習って、表はカタカナで裏はアルファベット表記になっています。
ヤクルトの瓶は以前より多数所有していましたが、最近追加で入手しました。
岡山県のとある場所には大量に残されているみたいですョ!
現在ヤクルトの空瓶は、ネットオークションで高値で取引されているようで、ビックリです!
この手のヤクルトの瓶は千葉県でも流通していたのか?謎!
最後は明治パイゲンCです。
左の物が岡山県で流通していた瓶ですが、右の瓶とデザインが違います。
未確認ですが、初期の物でしょうか?
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久しぶりの昭和な飲料記事でした、JPさんいかがでしたか?
岡山県は、昭和な物の宝庫なんでしょうか・・・
一度訪れてみたいと思います!
ポンジュースの記事は、この寒さで瓶の洗浄がなかなか進まず・・・(汗)
もう少し時間が掛ります〜
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お問い合わせのあった「はちみつレモン」の画像をアップしました。
メッセージへのご連絡ありがとうございました。
こちらからの返信は設定拒否されているようですので、何かありましたらコメント欄から
ご連絡ください。
350g缶の方は、状態が悪いので参考まで・・・
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127年の歴史 三ツ矢サイダー
127年間にわたって日本人に愛され飲み続けられて来た三ツ矢サイダーは、歴史の荒波を生き抜いて
来た我が国を代表する清涼飲料と言っても過言ではないでしょう。 私如きが老舗三ツ矢サイダーに ついて語るなど大変おこがましいのですが、コレクションを中心に紹介して行きたいと思います。
懐かしい三ツ矢サイダーの木箱は、昭和47年にリニューアルされた340ml瓶の発売前まで使用されました。
「平野水がくんくんと音を立てるような勢いで、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった」
この文章は「漱石日記」の後半に登場する「修善寺大患日記」の一節で、胃潰瘍に苦しんでいた夏目
漱石は、明治43年の夏に温泉で転地療養をするのですが、大量の血を吐き危篤状態に陥りました。 奇跡的に持ち直しましたが、この間漱石が口に出来たのは、天然炭酸水「平野水」だけでした。その 平野水とは三ツ矢サイダーの前身だったのです。
三ツ矢平野水は今で言う発泡水のようなもので、
いわゆるサイダーの甘さはなかったそうです。
三ツ矢平野水にサイダーフレーバーエッセンス
が加えられたのは明治40年で、この年に帝国
鉱泉株式会社が設立され、甘味のある「三ツ矢
印の平野シャンペンサイダー」が発売されました。
私の所有する三ツ矢シャンペンサイダーの古い壜です。残念ながら当時のレッテルは残っていませんが、
ガラス内には気泡があり、深い緑色で左の壜底には大きく三ツ矢印が刻印されております。
三ツ矢平野水は明治30年、宮内省から東宮殿下(後の大正天皇)の御料品に指定されました。
戦時中もサイダーは軍用品として製造され、あの戦艦大和内にも製造室が設けられていました。
「宮沢賢治が愛飲したシャンペンサイダー」
宮沢賢治はサイダーが大好きで、給料が出るたびに行きつけの蕎麦屋「やぶ屋」に出向き、天ぷら蕎麦
とシャンペンサイダーを注文していたそうです。 当時天ぷら蕎麦は15銭で、シャンペンサイダーは23銭。
1.5倍もする高価な飲み物でしたが、賢治は必ずセットで注文していたそうです。
戦後昭和21年の夏に三ツ矢シャンペンサイダーは西宮、川口工場と平野分工場で製造が再開されました。
しかしサイダーの甘味の素となる「砂糖」が戦後の物資の不足から、国の統制下に置かれ業務用の配給が ゼロとなり、砂糖に代わる甘味としてサッカリンが最初に選ばれましたが、サッカリンのみのサイダーの味は 不味いことから製造が見送られました。その2ヶ月後に厚生省は、甘味がサッカリンよりも強いズルチンの使 用を許可し、サッカリンとズルチンを併用した三ツ矢シャンペンサイダーの製造を再開しました。
左のシャンペンサイダーのレッテルには、サッカリン・ズルチンの文字が見える。右の三ツ矢サイダーは全糖。
その後、昭和36年にズルチンの毒性に関して問題視されるようになり、昭和37年3月からズルチンの使用を
中止して、今度は戦前アメリカで開発されたチクロを甘味の素として製造を開始しました。ところが昭和44年
に、アメリカでチクロの安全性に疑問が浮上し、「チクロショック」が三ツ矢サイダーを直撃。三ツ矢サイダー
は戦後最大の危機に直面するのでした。
三ツ矢サイダー戦前の壜から戦後の瓶の流れ
昭和44年10月22日付の朝日新聞朝刊に「チクロの使用停止 朝日麦酒のサイダー」と報道されています。
6日後、厚生省はチクロの使用を禁止しました。
朝日麦酒がチクロの使用を厚生省の使用禁止前に止めることができたのは、アメリカでチクロの安全性の
調査を始めたとの情報をキャッチしていたのだそうです。
また朝日麦酒ではすでに業務用砂糖の統制が解除された昭和26年から三ツ矢サイダーの全糖化を進めて
いたため、チクロ使用禁止となった時点で全糖サイダーは全体の8割を占めていたのです。
昭和47年、リニューアルデザインの340ml瓶が発売されました。こちらは記憶に残っている方も多いでしょう。
当時のオリジナルグラス「キラキラグラス」のパッケージには、秋吉久美子さんが起用されました。
秋吉さんは昭和54年結婚記者会見の際、「赤ちゃんを卵で産みたい」と言ていたのが印象的でした。
三ツ矢サイダーのアルミ缶 右の缶は現行品。
昭和46年、250ml入りの「三ツ矢サイダーシルバー缶」が発売されました。
昭和48年には、ライバルの麒麟麦酒が「キリンレモン」を日本で最初のアルミ缶で発売し、これを追う形で
三ツ矢サイダーもアルミ缶で対抗しました。
現在発売されている三ツ矢サイダー
チクロショック後、三ツ矢サイダーが受けたイメージダウンは深かった。 消費者の三ツ矢サイダーの安全
性に対する信頼が大きかっただけに、その分不信感も増幅したのでしょう。
しかし三ツ矢サイダーはこの他にも、コカ・コーラの進出やアサヒの経営不振、清涼飲料市場の多様化に
伴う新ライバル続出の大波を乗り越えて、清涼飲料業界の王道として君臨しているのです。
参考文献
ザ・ジュース大図鑑
126年!なぜ三ツ矢サイダーは勝ち抜けたのか
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サンキスト ドリンク
サンキストジュースが登場したのは昭和39年東京オリンピックが開催された年で、森永製菓が
アメリカと提携して上陸しました。 昭和41年には日本で初めてのグレープフルーツジュースが
サンキストから発売されました。
マイ・コレクションより、サンキスト レモンドリンク 昭和42年 内容量200g中身入り
初期の缶ジュースには、継ぎ目が有ります。
初期の缶ジュースは、小型の栓抜き(オープナー)で上部に穴を2ヵ所開けて飲みました。
このサンキスト レモンドリンクの場合、透明のプラキャップで蓋がされていますね。
缶詰めジュースの登場
今でこそ、ジュースは缶入りが当り前の時代ですが、昭和40年代までは瓶詰が主流でした。
昭和40年代前半の缶ジュースは、小型の栓抜き(オープナー)で上部に穴を2ヵ所開けてから
コップに注いで飲むのが普通でした。 私は子供の頃、現在のように直接缶に口をつけて飲ん
でいましたが、穴が小さいために沢山穴を開けて飲んでいました。
金属の独特な「缶臭い」臭いがしたのも、当時の懐かしい思い出です。
昭和の一時期250ml缶に凸凹のプレス缶が流行りましたね〜
この頃はプルタブは当り前ですが、一番右のグレープフルーツ缶は・・・
画像のように、指で2ヶ所を押すだけ〜
珍しいタイプですネ!
ジュース缶に歴史あり・・・
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秋の夜長はプラモデル第2段
進行中!
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