昭和的心の遺産を求めて・・・

私の生まれ育った南房総を中心に、昭和的な物・情景などを綴って行きたいと思います。

富津レトロ旅

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上総富士

       上  総  富  士LLLLL
 新春を迎え、皆様のご健康とご多幸を心からお祈りいたします。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
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千葉県富津市上総湊海岸からの富士山の眺め
 
 
上総富士
  「一富士、二鷹、三茄子」昔から初夢の富士はめでたいものとして、人々はそれを見ようと願った 
  ばかりではなく、元旦に仰ぐ富士の姿を気高いものとして、強いあこがれをを寄せていました。
  富士は何も元朝に限ったことではなく、冬に見る富士の姿はいつ見ても清々しいものです。
 
  富士の眺めは、裏富士・表富士・駿河富士などと、それぞれお国自慢があるようですが我が故郷
  の富津市から望む上総富士の秀麗さも抜群であります。ことに海を隔てて望む上総富士の姿は、
  富津市ならではの独壇場と言えるでしょう。それだけに上総富士の絵は昔より数多く画かれてお
  り広重も北斎も谷文晃も手掛けています。そのいくつかは今も富津市内に残されています。
 
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歌川広重 不二三十六景「上総天神山海岸」の図
 
 上総富士の呼名が、いつごろから始まったのかは断定できませんが、谷文晃あたりと関係がある
 と考えられています。文晃は富士と因縁のある人で、次のような話しも伝わっているほどです。 
 若い頃から文晃は、松平定信のひき立てを受けていて、ある年の元朝の未明、定信の入れ知恵も
 あってか、富士を画いた扇子を、千本ほど江戸中にまき散らしておいたのです。元日の朝の富士の
 絵のひろいものとあって、それはたちまち江戸中の評判となり、文晃の名は一躍高まったと言われ
 ています。文晃は定信の沿海巡視にしたがって、幾度か上総を訪れていますので、富津市からの
 富士を画くことも多かったでしょう。それが文晃の名とともに高まり上総富士の呼名がいつしか定着
 していったのではないか・・・と思われるのです。
 
     元朝に富士を仰ぐと言うことは、日本でも限られた地域の人々だけに出来る事です。
          富津市に住む事の喜びを、上総富士の姿に思ってみたいものです。  
 
 
 
 お詫び 
 じのもんたは、年末から元旦までの勤務により、皆さまから頂いたコメントヘのお返事
が出来ないまま年越しとなってしまいました。誠に申し訳ございません。
1月2日は久しぶりの休日となり、誕生寺に初詣に行く予定です。
 
      天然の奇勝「関の狗岩」・・・・・
 
 上総湊から県道88号線を通り、環(たまき)の関尻で道が分かれて高宕山への道を進むと関地区に
 出ます。この辺は豊岡から流れ出る湊川の上流の一つで、土地の隆起と豊富な水量により地層を
 刻む下刻作用が激しく壮年期の山を形成し、谷が深くなっています。この地域に滝やポットホール
 現象が多いのはその故で高溝・小畑・相川などにポットホールの標識的なものが見られます。高い
 橋が多い事や割拠的な水田に揚水するのに20m近くある事は、谷の深い事を物語っています。
    
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湊川に架かる「樟金橋」 この渓谷に橋を架けた勇気に奮える。
 
  さて、今回の「狗岩」ですが、土地では「犬石」とも「大石」とも呼んでいます。私が中学生の頃に
  地元郷土史研究の第一人者で居られた菱田忠義先生より「狗岩」と教えて頂いたので、あえて
  この呼名で記載する事としました。近年ネット上で2輪ツーリング愛好家を中心に、関の頭文字
  を取って「S秘境」などと呼ばれ場所を公表してはいけないような暗黙のルールがあるようです。
 
  何故シークレットとするのか、その意図は不明ですが此処を聖域な場所と捉え、自然破壊や、
  近隣住民へ対する配慮であるとするならば、その意図は理解できるものでしょう。
 
  只、富津市の公式ホームページでも名勝として紹介されている事や、過去には新聞や数年前
  には地元誌の「ぐるっと千葉」でも紹介されていますので、あえて隠す必要性も無いと判断し、
  私の観点からみた「狗岩」を紹介することにしました。
 
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     「狗岩」へ向かう途中、足場の悪い藪の中を進むと、やがて切り通しが見えて来ます。
    此処は嘗て「房州往還」という街道の一部で、「馬掘坂切り通し」と呼ばれている場所です。
 
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昼でも薄暗い切り通しを抜けると、突然視界がひらけて・・・
 
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目の前は川底です。 雨量の多い日はこの辺りは水没してしまいます。
 
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これが湊川の奇勝「狗岩」です。
この写真では後の背景と重なって解りづらいのですが・・・
 
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中州の岩が、川の流れにより侵食されて形成された巨岩
 
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なんとなく犬の横顔に見えませんか?
実測はしていませんが、目視では高さ8m前後位かと思われます。
 
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「狗岩」の直ぐ近くに桟道の橋があったと伝えられています。
川底に連なる柱穴は嘗て此処に橋が架けられていた証しです。
 
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川底の深い溜まりには、沢山の紅葉が堆積していました。
 
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昭和50年代の「狗岩」
 
私が初めて「狗岩」を訪れたのは、今から35年前の夏でした。
当時と比較すると侵食が進んでいるのは明らかです。
年々侵食が進み、いつかは自然倒壊する日が来るかも知れません。
 
 
       「狗岩」がある関地区は、のどかな農村風景が広がる静かで穏やかな地域です。
       訪れる際は、近隣の住民の方に迷惑が掛からないよう、充分にご配慮下さい。
       富津市では正式に公表しているものの、現地では案内板の設置や、道路の整備
       は一切されていませんので、観光地気分で訪問する事は危険が伴います。特に
       地面はとても滑りやすく転倒の恐れがありますので、シューズはそれなりの物を、
       出来れば長靴も用意した方が良いでしょう。 又近頃は、猪による被害が続出して
       いて、猪除けの電線がいたる所に設置されており、接触するとビリッと来ますので
       ご注意ください。
 
        

癒しのスポットへ

私の癒しスポット
 
それは
 
生まれ故郷の天羽地区
 
今日は久しぶりの1日まるごとフリーデー♪
 
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浅間神社の御神木ですが、黄葉には遅すぎました・・・
 
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次は上総湊海岸で上総富士を遠望
 
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今年の2月にアップした関尻の大わらじ、こんなによれよれになって・・・
 
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湊川上流で奇岩「関の狗岩」を観察
 
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紅葉は散り、清流と供に・・・
 
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志駒もみじロードに入り、「地蔵堂の滝」
残念!紅葉は旬を過ぎました・・・
 
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長狭街道から保田に抜け、金谷に・・・
 
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最後は佐貫で極旨ラーメン!
 
関東で一番遅い紅葉とはいえ、先日の強風で・・・
あぁ、もう1週間早かったら良かったのにね〜
君津から正味5時間の故郷旅でした。
 
「関の狗岩」は後日アップする予定です。

水戸黄門が歩いた路 

イメージ 9イメージ 10
    水戸黄門が歩いた路    
   水戸黄門といえばテレビの時代劇でお馴染みですが、時代劇の諸国漫遊は作り話なのです。
   徳川光圀は延宝2年(1674年)甲寅の年、父・頼房の実母(お万の方)の墓参りと、頼房の准母
   (お勝の方)の三十三回忌供養のため、水戸から房総を経て鎌倉に出向く事になり、この紀行文
   が「甲寅紀行」として残されています。 今回は徳川光圀が私の生まれ故郷、富津市の湊地区に      訪れた時のお話しを「甲寅紀行」より紹介いたしましょう。
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大正時代の湊川の川口風景
画像左、木の茂みは十宮山薬王寺で、徳川光圀はここから船に乗り勝山まで渡った。
   
                      「甲寅紀行」
   (抜粋)二十八日午後、館を出てすさい川(周西川)を渉りこいと川(小糸川)を越え、あいのや
   の台に至る。海向ひに猿島見ゆ。佐貫村に至る。此より松平山城守重治が領地なり。此所に
   出船入船の岩あり。ふつと村(富津村)より、向地の相州等よく見ゆ。この地の洲崎より海の中
   へ出洲あり。上方道二里半ほど出づるなり。それより天神山の湊村に着きて宿す。この湊、
   船漁舟の津なり。平山城守重治が領地なる故に、饗応丁寧なり。
   二十九日 辰の刻(午前八時)、旅館を出づ。南の方に宇留戸川(売津川)を渡る。西に向かい
   て行けば、坂あり。十宮坂と云ふ。辻堂あり。十王堂なるべし。内は空虚なり。この地より軽舟
   に乗じて行く。西の方に猿島・夏嶋・御旗山・鎌倉山・走水・鴨居村・浦川の湊等見ゆるなり。
 
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                      大正時代の湊川の川口風景
画像の船は「トーケー」と呼ばれていた「トーケー」とは、渡海船の渡海と言う言葉の訛ったもの。
光圀もこのような帆船に乗って勝山まで渡ったのでしょうか・・・
 
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大正時代の十宮(とみや)の浜
   左岸は竹岡地籍の十宮山薬王寺の石垣で、船の右に見える岩は烏帽子岩で日本武尊伝承に
   つながるものです。しかし現在は削られて土砂に埋没してしまいました。
   光圀がこの地を訪れてから約240年後の風景ですが、この地の景観が大きく変容したのは戦後
   の昭和40年代以降となるので、当時光圀が観た風景と画像の風景は、さほど変化がなかったの
   ではないかと私は思っています。
  
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歌川広重 不二三十六景「上総天神山海岸」の図
              旅人が、向地に渡る船を待っている図が描かれています。
              後方に描かれているのは富士山と三浦半島ですが、
              この構図からすると、富士山はこの方角には無いのです。
  
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     不二三十六景が描かれた現在の「十宮海岸」古くは「天神山海岸」と呼ばれていました。
     浮世絵に描かれた富士山は、この写真を撮っている場所の背後になります。
 
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甲寅紀行に記された現在の「十宮坂」 
 
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甲寅紀行に記された十王堂「十宮山薬王寺」
私の父親の話しによると、このお寺には光圀が使ったと云われる火鉢があると言っていましたが、
  色々調べてみましたが情報は得られませんでした。 次回訪問の際はご住職に伺ってみます。
 
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                     そして、この薬師堂の裏には・・・
 
 
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十宮薬王寺・岩窟薬師如来
    十宮薬王寺裏を囲む石山の麓に石窟があります。通常は非公開のようです。
    石の壁面に浮彫りにした石仏群は、中央に薬師如来、その左右に日光・月光菩薩を配し、
    さらにその周りに十二神将を造り出しています。その像容、風蝕度などから安土桃山時代
    前後のものだと云われています。 光圀も観ていたかも知れませんネ! 
 
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         境内には、千葉県指定天然記念物「竹岡のオハツキイチョウ」があります。 
 
 
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   この薬王寺には凄い歴史があるのですがいたって地味で、オハツキイチョウの説明板以外は
   何もお寺の歴史を語るような説明書きは有りません。 地元の人も殆ど知る人はいません・・・
 
「甲寅紀行」
つづく 
 
   天然記念物 向山フジザクラ樹林  
 今日は昭和11年に天然記念物に指定された千葉県富津市海良地区の向山フジザクラの調査に行っ
 て来ました。なぜ調査なのかというと、向山のフジザクラは昭和52年の時点で生息数が非常に少なく
 なり、天然記念物の指定を解除されてしまったという経緯があったからです。指定解除後すでに36年
 が経過しておりますが、はたして向山のフジザクラは現在でも生息しているのでしょうか。
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天然記念物に指定された頃の向山フジザクラ樹林
 
 
          フジザクラとは?              
   フジザクラは富士山、箱根山付近に多く見られフォッサ・マグナ地帯を中心に分布する所謂
   フォッサ・マグナ要素の強い品種です。 サクラの中で最小の樹形で、花や葉も小さいので
   一般的にはマメザクラと呼ばれています。 また花が、はずかしそうに下を向いて咲くことか
   ら乙女桜とも呼ばれています。
 
                       
 
 
イメージ 2
  向山は富津市海良の湊川の川口付近にある標高70mほどの小山で、国道127号線を上総湊駅前を南下し
  湊川にかかる橋を渡ると正面にみられます。 山全体が高木を交えた落葉広葉樹林で覆われているのが
  一目で解りますが、木の高さが低く日当たりを好む陽樹たるフジザクラの生育には不向きの環境となって
  いるようです。 この場所からカメラの望遠レンズを使い、向山の隅々まで観察しましたがフジザクラを確
  認する事は出来ませんでした。
 
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向山で確認出来た桜の一種
 
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向山で確認出来た桜の一種
 
イメージ 5
向山で確認出来た桜の一種  この画像のみ4月2日に撮影、9日の時点では花弁は散っていました。
 
 向山フジザクラ樹林として文部省の天然記念物の指定を受けたのは昭和11年9月で、フジザクラの分布が
 房総半島を東限としていることが貴重であると考えられ「ふじざくらの個体的変異に富める点に於いて、学術
 上有益なものなり」とされ、指定にあたり「公益上必要己むを得ざる場合の外、現状の変更は勿論、他処より
 ふじざくら及び他種の桜の移植は之を許可せざることを要す」と保存にあたっての条件がつけられていました
 
 しかし向山は、第二次世界大戦等世相の変化により荒廃の一途をたどり、昭和26年4月の文化財保護審議
 会の視察では、すでにフジザクラは目立った存在ではなくなっていたそうで、昭和46年の調査では、数か所
 に20株程度しか見当たらず「特に群生している訳でもなく、現在激減したフジザクラを強いて指定し続ける必
 要はない」と報告されました。昭和52年度に再調査が行われた結果、天然記念物指定解除の提言が提出さ
 れ、向山のフジザクラ樹林の天然記念物指定の解除となりました。 
 
イメージ 6
            昔はこのように、雑木は10〜15年毎に薪炭材として伐採されていました。
 
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    昔は10〜15年で伐採されていた雑木ですが、最近は伐採される事はなく、樹高の低いフジザクラは
    成長した雑木下に埋もれ樹生が弱まり、結果花の数が極めて少なくなり何れは枯死する運命をたど
    ることになったのです。
 
    今回向山の画像の反対側も観察しましたが、やはりフジザクラを確認することは出来ませんでした。
    向山の近くの田んぼで畔の整備をしていたおじいさんに話しを聞いたところ、フジザクラはもう無いと
    いっていました。「最近は猪が多くてあぶねーよ、山には登んねー方がいいよ」との事で、直接山に登
    っての調査は断念することにしました。

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