昭和的心の遺産を求めて・・・

私の生まれ育った南房総を中心に、昭和的な物・情景などを綴って行きたいと思います。

南房・館山レトロ旅

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昭和な館山の風景

 
昭和な館山の風景
 
    私のブログに度々登場する館山。明治時代より東京と汽船で結ばれたことから、
 
    房総の南端でありながらも、モダンでハイカラな文化がいち早く伝わりました。
 
    館山では、今でも昭和な建物や街並みが色濃く残され、私を魅了させてくれます。
 
    今日の記事はブロ友のsionecafeさんの「館山」の記事に触発されての紹介です。
 
 
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昭和30年代の館山駅周辺
駅周辺の家屋は殆ど残っていませんが、駅のロータリーや道路に名残を感じますねぇ
 
 
イメージ 2
 昭和26年頃、館山駅前に設置されていた掲示板。後方には巨大な案内地図も見えます。
 館山には女子校があったので女学生が多いです。セーラー服に下駄履きが印象的ですねぇ 
 
 
イメージ 3
こちらの写真は昭和20年の安房北条駅前の風景。
  通学列車を待つ下駄履にモンペ姿の女学生の列です。整列して待っているのは、まだ
  終戦直後であるから戦時中の名残なのでしょう。安房北条駅から館山駅と改名された
  のは昭和21年3月1日のこと。
 
 
イメージ 4
この写真は以前投稿した「親父のタイムカプセル」の中に入っていた写真の中の1枚。
写真中央の人物は、若かりし頃の私の父親です。
館山駅前に駐車しているのはタクシーでしょうか、右側には国鉄バスも見えます。
 
 
イメージ 5
こちらは昭和30年頃の写真ですが、かなりの賑わいですねぇ
館山出身の方ならすぐお解りでしょう!
八百小・中村屋洋服店・和洋菓子ピース・秋山セトモノ店等の看板が見えます。
 
 
イメージ 6
こちらも昭和30年頃の航空写真です。一度現在の航空写真と見比べてみたいものです。
 
   今回の写真は、いつか今昔形式で紹介しようと思い、用意していたものですが
   最近は仕事が多忙で、当分館山にも行けそうもないので投稿する事にしました。
   昭和な館山の写真は、今後も紹介して行く予定です。
 
 
 
 
 
 
旧千葉県立安房南高等学校木造校舎
 
去る11月3日、千葉県館山市に所在する「旧安房南高等学校」の一般公開に行って来ました。
 
イメージ 1
旧安房南高等学校第一校舎
この校舎は廃校後千葉県指定有形文化財に指定されていて、通常は校舎内を見学する事は
できません。昭和初期の千葉県を代表する学校建築で、1930年(昭和5年)に古くからの
日本の木造建築と西洋建築の要素を融合させて建てられました。・・・・・・・・・・・
 
 
イメージ 2
 安房南高校は女子校で、じのさんが高校時代は「なんこう」て地元では呼んでいましたね。
 その頃は古い校舎ぐらいの気持ちで何の興味も持っていませんでしたが、昭和レトロに興味
 を持ち始めてからは一度は実見したいと思っていました。・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
イメージ 7
  この校舎の紹介等は別の機会にする事にして、今回は1958年(昭和33年)に日活より
  公開された石原裕次郎主演映画「嵐の中を突っ走れ!」の中に登場する「東海女子学園」
  こと、安房南高校の54年前の風景と現在の風景をタイムスリップピクチャーで比較して
  みたいと思います。
 
 
「嵐の中を突っ走れ!」の一コマより
 
イメージ 8
映画撮影当時の南高校前の道路 
長閑な田舎の風景ですね、まだ自動車も殆ど走っていない時代です。
 
イメージ 9
現在の南高校前の道路
映画撮影当時の家屋は姿を消し、道路幅も広がっています。 しかし側溝の位置は変わって
いないように感じます。
 
 
 
イメージ 10
映画撮影当時の南高校第一校舎
竣工後28年経った校舎です。当時を知る事が出来る貴重な映像資料ですね・・・
 
イメージ 11
現在の南高校第一校舎
映画撮影当時、校舎の周りは畑でしたが、現在は住宅地となっています。
 
 
 
イメージ 12
大勢の女子高生が、校舎の窓から新任男性教師を好奇の目で迎えています。
この女子高生達は、当時在学中のエキストラだったようです。
 
イメージ 13
現在の校舎は綺麗にお色直しされて保存されています。・・
女子高生の賑やかな声は二度とは聞こえて来ませんが・・・
 
 
 
イメージ 3
校門にて
         新任男性教師 「君、校長室はどこだい?」
         女子生徒 「校長室はだねぇ、玄関入って右っ方」
 
イメージ 4
現存する校舎前の通路は、映画撮影当時よりも拡張されているようです。
 
 
 
イメージ 5
校長室にて新任の挨拶をする男性教師
窓の外には様子を覗きこむ女子高生たちの姿・・・
校長先生 「どうも南国の女の子は早熟で困るょ」
 
イメージ 6
一般公開時の校長室
劇中とは、天井の高さや窓の形態等が異なります。
隣の部屋の応接室かとも思いましたが、やはり窓の形態が異なりますので、
どこか別の場所で撮影されたものだと推測できます。・・・・・・・・・
 
 
 
「嵐の中を突っ走れ!」は南房総、館山・白浜・鴨川・小湊等を舞台に製作された映画で、
 昭和30年代初頭の当地域の様相を知る上でも貴重な映画だと、私は位置付けています。
 安房南高校旧第一校舎につきましては、当時の建築様式において注目すべき部分が多く
 別の項で紹介したいと考えております。
 
 
 
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ご訪問頂いた皆様へ
 
 じのもんたのブログへアクセスして頂き有難うございます。最近ブログの投稿が滞って
 おりますが、
職場での退職者や病気入院者により、毎日忙しい日々を送っております。
 今後は年末年始の繁忙期に入り、さらに忙しくなりますので、ブロ友様へのアクセス、
 コメントも出来ない状況が続きますが、何卒ご了承下さいますよう宜しくお願い申し上
 げます。
 
 
 
 
 
 
 

房総の灯台

房州白浜 野島埼灯台の今昔
 
    今年の8月、白浜にある野島埼灯台と銚子にある犬吠埼灯台を訪ねて来ました。
    今回は、テレビドラマ「あまちゃん」と「サマーヌード」放映の影響で、今夏
    来訪客が増大した白浜の野島埼灯台を、じのコレクションの絵葉書と対比しな
    がら紹介して行きましょう。
 
イメージ 1
房総半島最南端の野島崎に立つ野島埼灯台
 
この灯台は子供の頃から何度か登っていて、じのさんは白浜の灯台って言っています。
 
実は今まで知らなかったんですが、「日本の灯台50選」に選ばれていて、国の登録有形
文化財にも登録されているそうです。まさに灯台下暗し、立派な灯台だったんですねぇ
 
 
イメージ 2
昭和初期の絵葉書より(安房白濱)野島ヶ崎燈台ノ景と書かれています。
 
   埼の違い、台と台の違いには意味があるのですが、ここでは割愛させて
   頂きます。 興味のある方は、ネットで検索してくださいネ!(笑)
 
 
イメージ 10
大正期の野島埼灯台 彩色絵葉書
 
 
それでは、タイムスリップピクチャーでお楽しみください。
イメージ 11
昭和初期 野島ヶ崎燈台ト無線塔
 
イメージ 12
現在の野島埼灯台
昭和期は灯台に付属する建物も白一色で統一されていますね。
無線塔の形状にも時代の変化が感じられます。現在灯台の周りは緑化が進められており、
石の彫刻等も設置され、海を眺めながらのんびりするには良い場所となっています。・・
 
 
イメージ 13
昭和30年代の絵葉書 裏面には白浜燈台と記載されています。
 
イメージ 14
右の建物は電源舎でしょうか、現在は立ち入る事が困難で廃墟になっていました。
 
 
 
イメージ 3
厳島神社と灯台
 
イメージ 4
現在では松の木が生茂り、この位置からは灯台は見えませんでした。
神社の鳥居も木製から石製に替わり設置場所も移動されています。
 
 
 
   野島埼灯台は、1866年(慶応2年)江戸幕府とアメリカ等4ヶ国との間で結ばれた
   江戸条約において建設することが決まりました。1859年(明治2年)12月18日に
   竣工し初点灯されました。日本の洋式灯台としては、神奈川県横須賀市の観音埼
   灯台に次いで2番目に建てれた古い灯台です。当初はフランス人技師ヴェル二ー
   の建設よる煉瓦造でしたが、1923年(大正12年)9月の関東大震災により倒壊
   してしまい、現在の灯台は1925年(大正14年)8月15日に再建されたものです。
 
 
 
関東大震災前後の野島崎風景
 
イメージ 8
関東大震災前 1923年1月の風景画
 
 
イメージ 9
関東大震災後 1924年1月の風景画
 
 
野島埼灯台が倒れているほか、海岸線の後退している様子から、地震によってこの
辺り一帯が隆起したことがよみとれます。 原画 石崎順吾氏*********
 
 ・1923年(大正12年)9月1日 関東大震災発生により地上6mの所で折れて、大音響と
  共に倒壊。 
 
 ・1925年(大正14年)8月15日、現在の8角形の白色塔形コンクリート造で再建。
 
 ・1945年(昭和20年)太平洋戦争時、アメリカ軍の攻撃により大きな被害を受ける。
 
 ・1946年(昭和21年)11月12日完全復旧し、現在に至る。
 
 
 
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伝説の岩屋
 
野島埼灯台下で面白い岩屋がありました。
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
イメージ 7
大蛸の海神
タコにウロコやヒレがあるんですねぇ
まるで円谷プロの怪獣のようです・・・
 
 
 
 
 
また台風が来ているようですね
晴れた日はどこか遠くへ出掛けましょうかねぇ・・・
 
 
 
ご訪問頂いた皆様へ
 
昨日ブログの背景をカスタムに変更いたしました。
 
   まだ見慣れていないせいか、読みづらく感じるかもしれません・・・
   過去記事において、文字の配列がずれていたりする場合があります。
   みづらい個所もあるかもしれませんが、ご了承下さいませ。

館山に染まる夏

lll館山に染まる夏、ベストロケーションがここにある・・・ll
 
  8月に入ってから、まともに休みが取れず昨日やっと館山訪問に行って来ました!
  館山には、2年前の夏から何度か昭和な風景を求めて訪れていますが、実に奥が深い所です。
  訪れる度に驚きと感動がありますし、まだまだ昭和の息吹を感じ取れる街です。
 
 
イメージ 1
先ずは、2013年6月8日(土)の新聞紙面広告から
 
イメージ 2
この紙面を見た瞬間は驚きました〜
館山駅のロータリーじゃないですか!でも何となく少し違うような・・・
 
イメージ 3
それじゃ〜実際の写真と比べてみよう。ということで撮って来ました!
 
  新聞にはロータリーに軽自動車が1台しか写っていませんが、実際には交通規制でもしないと無理
  ですね。路駐の自動車は多いし、自動車やバスが引っ切りなしにロータリー来ますから・・・
  あとは、横断歩道とタクシー乗り場が消されて、代わりにポールが7本立てらています。
 
 
イメージ 4
「館山 中村屋」  店頭に駐車中のマークⅡGX71も懐かしいですねぇ
  ここは館山で老舗のパン屋さんですが、店内には何時も大勢の年配の方で賑わっています。
  君津にも「なかぱん」の愛称で出店していて、「おばちゃんのマック」と呼ばれています。
 
 
イメージ 5
「北条海岸のヤシの木」
 
 
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立教大学「キャンプストア」
立教大学広告研究会の学生が夏の間、北条海岸前に開く海の家です。
開業から60年を迎え、建物も改装されオシャレに生まれ変わりました。
 
 
 
イメージ 7
「今は廃屋となっている病院」
場所は海岸から新宿に移り、南町を通って館山警察署方向に向けて歩きました。
この通りは古い建物が残っていて、昭和レトロの雰囲気を色濃く残しております。
 
 
 
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「鈴木屋製菓」
家屋は所々修繕されていますが、年期の入った看板がとても良い味出していますねぇ
めざましテレビの「紙兎ロぺ」で是非使って欲しいですぅ
 
イメージ 9
「黒恵屋食堂」
この食堂なんですが、ここを車で通る度に気になっていたんです・・・
強烈な郷愁を誘う店内は、まさに昭和30年代にタイムスリップしたかのようです。
 
 
 
今日ご紹介した店舗は、後日個々に記事にしたいと思います。
 
 
 
最後は、懐かしの「CHA−CHA−CHA」
1986年(昭和61年) 男女7人夏物語主題歌
 
歌っているのは、館山出身の石井明美さん
 
ちなみにX JAPANのYOSHIKIさんとTOSHIさんとは中学校の同級生だそうです。
最近ユーチューブの共有からヤフーが削除されてしまったようですが何故でしょう?
 
 
此の所仕事が多忙で、ご訪問・更新が遅れております。
リコメントもう少しお待ち下さいますよう宜しくお願い致します。
 
 
 
 
 
 
そうだ館山に行こう!
    
  館山自動車道が開通して以来、館山へは気軽に車で出かけられる地となりました。 何故か、
  特に春〜夏の期間は、館山に行きたくなるのです。 ’11年の夏以来、毎年息子と館山の街を
  自転車で散策して来ましたが、今夏もまた昭和な風景を探しに行って見たいと思います!
 
今回の記事では、昭和な夏の館山の風景を古絵葉書から紹介します。
 
 
イメージ 1
昭和30年代の北条海岸の風景です。
浜辺に一列に並んだ子供たちは、水泳前の準備体操でしょうか、中には赤フンの少年も・・・
北条海岸では、現在でもフンドシ姿の子供たちが毎年海水浴に訪れているようです。
 
 
イメージ 2
遠く富士を西に、波静かな鏡ヶ浦をたくさんのヨットが帆を立てています。
この頃は、長閑なヨットハーバーだったんですが・・・
 
 
イメージ 3
浜辺に放牧された親子牛・・・
後方に見えるのは鏡ヶ浦ですが、現在では見られなくなったなんとも長閑な風景ですね。
 
 
イメージ 4
北条海岸で投網をする漁師
当時は浜辺でどんな魚が採れたのでしょうか・・・
 
 
イメージ 5
夏の風物鏡ヶ浦の花火大会は、海水浴の宿泊客を楽しませてくれました。
 
 
戦前の絵葉書に見る北条海岸
 
イメージ 6
 
 
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イメージ 8
 
 
海水浴ことはじめ
 
明治35年頃、房州北条鏡ヶ浦の海水浴場が開かれました。
 
 鏡ヶ浦の海の美しいことは昔から定評があり、
 
道興准后の歌に、「名にしおふ鏡ヶ浦は富士うつす雲かとそ見る岸の白波」とあります。
 
のままに、400年の昔が目にうつるほどであった。
 
明治の海水浴場は鎌倉七里ヶ浜や大磯の浜のように古歌にうたわれた所が多く、
 
北条には明治30年代の中頃から、高等師範学校とその付属中学の海水浴寮が出来、
 
ほとんど同時に一高生も来るようになると北条の海水浴は有名になりました。
 
同じころ本田存とという水府流の水泳の達人が、北条海岸で水泳の指導に当ったそうです。
 
明治40年代になると北条海岸の松林に、早稲田大学はじめ多くの学校の寮が年ごとに増えました
 
交通は霊岸島から小さな汽船でゆき、乗客は魚の桶を日除けにして往復したそうです。
 
汽車が北条に通じたのは大正8年でしたが、北条線はトンネルが多く、蒸気機関車での旅も
 
あまり楽ではなかったと聞きます。   大正12年の大震災は北条の町を全滅させました。
 
幸いに海水浴客は大方帰った後だったので、被害はすくなかったようです。 
 
寮は大半が壊れましたが、翌年には松林にテント村などができ、まもなく復旧したそうです。
 
しかし昭和のはじめになると、保田・岩井・富浦などが東京湾内の海水浴場として、
 
北条と並んで知られるようになりました。
 
 
 
 
イメージ 9
平成6年 保田海水浴場にて・・・
 
 

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