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でこちゃんと木村屋旅館
昭和の名女優で私の大好きな高峰秀子さんは、昭和20年7月から映画「アメリカようそろ」の撮影の
ため千葉県の館山に滞在し、8月15日の終戦を館山で迎えたそうです。 この映画は、近く起こると
思われた米軍の日本本土侵略に備え、日本人一人ひとりが特攻精神で戦うことを鼓舞する目的で
企画された国策映画でした。 撮影されたフィルムや写真などは終戦翌日、占領軍の戦犯追求など
を恐れ焼却処分されました。
でこちゃんが、映画撮影滞在中に宿泊していたと言われる木村屋旅館
木村屋旅館は館山を代表する旅館のひとつ。来房の著名人の宿泊する旅館としてしられ
皇太子殿下もお泊りになった由緒ある旅館でした。
でこちゃんは、昭和20年8月15日館山海軍航空隊、洲ノ埼海軍航空隊へ慰問をしていました。館空
の飛行機格納庫で歌ったり、踊ったりした慰問団が、洲空の慰問を終えた直後の正午に天皇陛下
の玉音放送が行われ、戦争は終わりました。夕暮れの館山は騒然としていて、爆音を立てて屋根
すれすれに飛び交う飛行機から徹底抗戦を呼びかけるビラが撒かれていたそうです。
その一方で、「昨夜まで暑くても雨戸をたて、電灯に黒い覆いをかけて寝ていたのに、今夜はあちこ
ちの部屋にあかあかと電灯がつき、まるで見違えるような光景だった」そうです。
深夜12時過ぎ、飛行機の爆音が宿の上をひっきりなしに通り過ぎて、海の方へ消えて行ったそうで
す。「戦争は終わったのに・・・」屋根の上を通りすぎて行く爆音を聞きながら、私はただ呆然と、蚊帳
の中で膝を揃えて座っていた。」とやりきれない気持ちを表しています。
高峰秀子さん著「わたしの渡世日記」より
木村屋旅館跡地 木村屋旅館があった場所は、現在館山信用金庫本店となっていました。
建物は残っていませんが、広大な敷地から当時の繁栄振りが伺えるようです。
木村屋旅館と七夕祭り
写真は昭和38年8月7日の七夕祭りの日に、イトウ屋デパートの屋上から見た木村屋旅館。
当時、この辺りは松の老木が多く素晴らしい環境であったと言う。
木村屋旅館は昭和41年12月25日で閉館
小説家、林芙美子さんの代表作「放浪記」。昭和26年「文藝春秋」3月号で発表した「房州白浜海岸」
に次のような記述があります。「・・・両国から、二時五十分の汽車に乗った。大寒にはいった寒い日
で、しんしんと冷える。・・・此間、皇太子殿下がお泊りになった、木村屋旅館といふのがいいでせうと
教へて貰った。・・・船形、那古を過ぎて館山である。古びた、かなり大きい駅であった。暗い駅の前
の広場には、三台ばかり、近代的バスが連結してゐた。・・・ニ、三軒の商店で道を聞いてみても、
何処でも往来まで走って出て来られたのには、感心してしまった。・・・」
昭和28年夏の館山駅の光景 小説家、林芙美子さんの見た館山駅より2年後の写真なのでほとんど変わりはないと思われます。
昭和22年に駅前のロータリーが作られ、南国房州を象徴するナツメヤシが植えられました。
国鉄自動車営業所は城山下にあって、館山駅から富崎廻り白浜行き、神余廻り白浜行きと、定期
観光バスも運行されていたそうです。バスの車体に描かれた当時のツバメマークも懐かしいですね。
館山駅前に停車中のボンネットバス 昭和30年代の写真
現在のJR館山駅
館山訪問記
つづく
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南房・館山レトロ旅
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南房館山の今昔
昭和な雰囲気が残る街並みに魅せられて、昨年に引き続き今夏も行って来ました南国館山!
今回は、館山駅西口で自転車をレンタルしてみました。2時間で500円ですが初めて乗るアシスト
機能付きで、感動&結構楽しめました。1度乗ったらハマりますョ〜(笑)
まずは、昨年もおじゃましました
じのもんた懐古的郷愁度満点!
昭和タイムスリップゾーンの
「山本菓子舗」さんへGOです!
お目当ては、涼味「カキ氷」
注:お店の写真は昨年のです・・・
どうです!?昭和レトロなガラスカップに山盛りのカキ氷!スプーンも当時物で、雰囲気満点!
お客さんも私達の他に4名いらっしゃいました。 ベーシック200円・ミルク掛けで300円は安い!?
と、ここで山本菓子舗のご主人に館山の古写真と絵葉書を見て頂き、沢山のご教示を頂きました。
店内カキ氷の写真は昨日のです♪
それでは、山本菓子舗のご主人にお聞きした話しを添えながら、紹介して行きたいと思います。
昭和40年5月 国鉄館山駅前にて、小学生による鼓笛隊のスナップ
右側は映画館で、電信柱には懐かしい十字屋とクロレラ・ヤクルトの文字が見える。
JR館山駅東口の現在の写真です。
47年の歳月が経ち、道路沿いに立ち並ぶ建物の様相は一変していました。
トンガリ屋根の「大幸園」さんの建物が唯一当時を偲ばせています・・・
「汐入川魚釣り」 富士見橋 山本菓子舗のご主人の話しでは、木製の橋の上には土が盛られていて、橋は土で出来ている物な
んだと、子供心に思っていたそうです。 当時の橋の上に土があったとは、貴重な体験談ですね。
「北條海岸富士見橋」
上の写真と同じ場所に架かる橋ですが、海側から撮った写真です。この橋が架けられたのは大正
時代で、それまでは川を歩いて渡っていたそうです。写真で見ると現在より川幅がかなり広く見えま
すが、この後関東大震災により、1メートル程隆起したそうです。
現在の汐入川に架かる富士見橋
「館山海岸ホテル」
立派な洋館の建物ですが、ホテルとしてはあまり機能していなかった・・・との事。
館山海岸ホテル跡地
館山海岸ホテルは富士見橋の先に建っていたそうですが、現在は住宅地となっていました。
「安房北條町市街」 彩色の絵葉書ですが、なかなか判断に難しい1枚です。
文字も見れますが、読み取れませんので同一場所の特定が出来ませんでした。
と、言う事でsionecafeさんからの御助言で、この辺りかなと・・・
今後館山の古地図や、動態地図が有れば確認してみたいと思います。
南房館山の今昔
つづく
今回の館山訪問にあたり山本菓子舗のご主人様より、お仕事中にも拘らず
住宅地図で場所を確認して頂いたり、昔話を聞かせて頂いたりと、多大なる
ご協力を頂きました事に、この場でお礼を申し上げます。 |
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じのもんたが一番ダッぺェ?
おおっ、館山には「じのもんた」の旗が、あちらこちらに・・・んっ?
「た」が抜けてないの・・・アへ
ブロ友の凹凹道さんが、館山にこんな旗が有るよと教えてくれました♪
館山駅前の、おみやげやさんで発見!
「ぺェ」って言うのは、千葉の方言だっぺぇ
館山市のマスコットキャラクター
「ダッぺエ」
この口元どこかで見たような・・・
さて、作者は?
日産自動車「NOTE」のCMに登場して人気を博した“ヘンな顔のハイジ”のクリエイター、文原聡氏
文原氏は地元館山出身なんだそうです!
そして、昨年の記事「南房館山レトロ旅」でも紹介しました「TOY’S まつだや」さんですが・・・
残念ながら閉店されるそうで、只今閉店セール実施中です 店頭に飾られたウルトラマン50000円早い物勝ちですョ!
今日はもんきち君と、沖の島で海水浴
昼食後は、ちゃりんこ
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千葉県南房総市白浜町 眺尾橋
1888年(明治21年)3月、白浜町の長尾川に1本の橋が架かりました。 設計・施行にあたったの
は地元の石工であり、399円40銭の工費は地元の有志達の寄付で賄われたそうです。橋のたも
とには伊豆石が使われていますが、本体に使われている切石は「みずるめ石」と呼ばれる、橋
から900mの海岸線にある「みずるめ」と呼ばれる石切場から採掘されたものだそうです。
長尾川に架かる「めがね橋」
延長28.3メートル、幅は4メートル支柱と支柱の半円の長さは7メートルで、水面に映る3連
アーチの姿は実に美しく、いつまで見ていても飽きる事はない。←同行した息子はすぐ飽
きてました(笑)
3連のめがね橋は全国的に見ても数は少なく、関東では唯一この橋だけなんだそうです。
1978年(昭和53年)橋の傷みが激しかった事から自動車の通行を禁止し「町有形文化財」に指定。
1989年(平成元年)3月10日千葉県の「県有形文化財」に指定された際に「めがね橋」が正式名称
として登録されました。
1993年から総工費7000万円の大規模な修復工事が行われ、橋周辺の環境整備も含めて完成
までに2年が費やされました。2005年(平成17年)には「土木学会選奨土木遺産」に認定されてい
ます。
上流側から観ためがね橋 1917年(大正6年)に発生した長尾川の大洪水や、1927年(大正12年)の関東大震災にも耐え、
第二次世界大戦中には日本軍の戦車も往来したそうです。
上流側の橋脚には、洪水時の流れの抵抗を軽減させる「水切り」が造りだされていました。
私が初めてここを訪れたのは、中学生の頃でした。
当時は、橋全体にツタがからんでいて、石組みの様子も観る事は出来ない程に荒れていました
が、今では川辺も奇麗に整備され市民の憩いの場となっていました。
中学生の頃コニカのバカチョンカメラで撮っためがね橋の写真です。
おしまい |
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そうだ、館山に行こう!
館山自動車道が開通して以来、館山へは気軽に車で出かけられる地となりました。
何故か、特に春〜夏の期間は、館山に行きたくなるのです・・・
昨年の夏、息子と初めて館山の街を自転車で散策しましたが、今年もまた行って来ました!
今回は古い絵葉書から、館山の桟橋の今昔を紹介します。
戦前の絵葉書より【館山桟橋】
現在の館山桟橋
脇には鉄筋コンクリート製の新しい桟橋が作られていました。
戦前の絵葉書より【房州北条海岸汽船場】
大型汽船と奥には鷹ノ島と沖ノ島が見える。
現在の北条桟橋
北条桟橋は現在修復中でした。
橋脚はコンクリート製で材木を渡してありました。
修復前と修復後の対比
当時の釘や鎹が残っていました。
館山訪問記
つづく |







