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鋸山 京浜急行グラウンド
千葉県富津市に所在する鋸山は県立公園に指定され、その後は国定公園となり現在でも人々の
憩いの場として、休日には家族連れや大勢の観光客で賑わっております。今日は鋸山裏登山道
に京浜急行電鉄株式会社の支援により、1952年(昭和27年)に開園した「京浜急行グラウンド」に
ついて、ご紹介しましょう。
鋸山裏登山道ハイキングコースに残る、京浜急行グラウンドの碑。すでに60年が経過しています・・・
鋸山裏登山道中腹にある観月台休憩所 昭和20年代後半の絵葉書
観月台休憩所より鋸山を望む 昭和30年代の絵葉書 右上は金谷水族館
現在の観月台休憩所 周りには木が生茂り、今は鋸山の絶景を観る事は出来ません。
かつてこの観月台周辺が、京浜急行グラウンドとして整備され、今でも記念碑が残っています。
京浜急行グラウンド跡地に残るベンチの支柱
鋸山裏登山道をハイキングしていると、皆さん疑問に思うのが「京浜急行グラウンド」の文字で、多くの方
がご自身のブログやホームページで昔何があったの?と書かれています。現地では当時の京浜急行グ
ラウンドの様相を知る事が出来ませんし、確かにネットで検索しても出て来ませんでした。
建物(売店)の支柱(コンクリート製) 8本柱です。
支柱の上部には横に柱を通していた跡が確認できます。 建物(売店)跡は2ヶ所残っていました。
こちらの支柱には枝が作り出されています。
当時の面影を残すコンクリート製のベンチの支柱 京浜急行グラウンドの中央に位置する金谷石の階段
花壇は、現在でも奇麗に手入れがされていました。 地面にはガイシが多く散乱しており、電気が通っていた事が解ります。
グラウンドの脇には、コンクリートブロックの建物が・・・トイレの跡でしょうか?
私自身、京浜急行グラウンドが開園していた頃は生まれていないので、何があったのか全く知りません。
そこで地域の文献を虱潰しに調べましたが、唯一1959年千葉県天羽町発行の「天羽のすがた」に、一節
を見る事が出来ました。
【京浜グラウンド・鋸山中腹に在り、家族連れの行楽に適して居る。】
↑これだけです・・・(汗) 収穫ほとんど無し。
そこで、実際に金谷在住の方に当時の京浜グラウンドの話しを伺おうと、磯ラーメンで有名な「磯家」の
マスターに聞いてみた所、沢山の情報を教えて頂きました。
京浜グラウンドは公園のような広場で、春は桜の木が奇麗だった。
特に遊具などは無く、ゆっくり景色を眺めてのんびりするには良い所だった。
売店があって、屋根はトタンで回りはよしずで囲っていて、飲み物やかき氷を売っていた。
従業員は、あまり険しくない裏道から登って通っていた。
謎だった京浜グラウンドの全容が解明されつつあります。当時の写真を入手したいと思っています。
昭和32年3月21日発行品川⇔金谷往復乗車船券
戦後金谷村民は観光立村の態勢に力を注ぎ、対岸の湘南地域と海路を結び来往客が増加して行きました。
当時京浜急行電鉄が海路輸送に着手しており、さらなる増客を図るためにグラウンド開園に絶大な援助をし、
昭和27年3月に開園となりました。しかし昭和37年に鋸山ロープウェイが開通すると、登山道の利用者が激減 し、廃園となったようです。
鋸山に、こんな昭和な歴史があったんですね〜
おしまい |
金谷・鋸山訪問記
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昭和な鋸山 日本寺
日本一大きい大仏さまがある鋸山は、正式には乾坤山(けんこんざん)と呼ばれ、山全体が
日本寺の境内となっています。今回は昭和時代の絵葉書から鋸山の今昔を紹介致します。
その前に、案内図で日本寺の位置関係を見てみましょう。
鋸山十万余坪(33万㎡)の境内地すべてを鑑賞するには二日を要するといわれています。
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日本寺大仏
天明3年(1783年)に、上総桜井(現木更津)の名工、大野甚五郎英令が27人の門徒とともに3年
をかけて凝灰岩の岩山に彫刻したものが原型です。 総高31.05m、天下にその偉観を知られて
いましたが、江戸時代末期になって自然の風触による著しい崩壊があり、昭和41年まで荒廃に
まかせていました。
昭和44年6月、約4年間にわたる復元工事によって再現された日本最大の大仏さまです。
現在の日本寺大仏、正しくは「薬師瑠璃光如来」と称し、世界平和、万世太平の大象徴として復元建立
されたものです。
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東海千五百羅漢
普通羅漢というと五百になります。十六もありますが、中国には八百羅漢があってそれらを凌駕
するのがこの千五百羅漢です。鋸山は世界第一の羅漢霊場として遠く海外にも知られています。
昭和40年代の千五百羅漢の一部
現在の千五百羅漢の一部。 羅漢には首がないものが多い、それは明治時代の廃仏毀釈の際に切り
落とされてしまったのだという。現在は別の首が付けられているのですが画像左側のように最近になっ
て無くなっている首も多い。子供のころ聞いた話では、戦争に行くときにお守りとして持って行ったとか、
ヤ○ザが争いの時に持っていったなどといっていましたが、定かではありません。
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百尺観音
昭和41年5月、6年の歳月を費やして完成した大観音石像です。
鋸山山頂の石切り場跡の崖に、世界戦争戦死病没殉難者供養、又東京湾周辺の
航海、航空陸上交通犠牲者供養のために刻まれ安置されました。
完成当時の百尺観音 高さ約30mで彩色も鮮やか
現在の百尺観音。 完成後46年の歳月に彩色は絶え、代わりに苔が生えている。
鋸山は堺正章が演じた西遊記のロケ地でもあり、この百尺観音もドラマに登場していました。
百尺観音近くの石切り場の壁面には、今から75年前のしるしが・・・
昭和12年の夏ですね。
結構深く刻まれています。それなりの道具がないと無理ですね、持参したのでしょう。 ****************************************************
地獄のぞき
鋸山山頂展望台にあります。石切り場跡に柵を配して「地獄のぞき」と称する観光施設
が作られ名物となっています。
この写真は昭和30年代のもので、当時はまだ地獄のぞきという名称も無く柵も
設置されていません。 当時は見返り岩と呼ばれていましたが、鋸山の奇岩と
して紹介されていることが多いようです。 現在の地獄のぞきです。今ではステンレス製の頑丈な柵が設置されていますが、私が子供
の頃は、錆びた鉄製の細い杭が打ち込まれていて、その間を数本の鎖でつながれている、
とってもきゃしゃな作りだったため、とても恐怖心をそそりました。
その時の事がトラウマとなり、私は現在でも地獄のぞきの先端まで行く事が出来ません。
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鋸山タワー
昭和30年代、鋸山山頂に鋸山タワーが建設されました。
私が子供の頃にはすでに撤去されていて、その存在はごく最近まで知りませんでした。
当時を知る方の話によると、高さがどうのこうのよりもその作りのチーピーさが恐怖だったそうです。
鋸山タワーが写っている貴重な写真です。
金谷港付近には、昭和36年に飛騨白川郷より移築された合掌館が見える。
鋸山タワーがあった場所です。
現在階段はまだ残っているようですが、道は閉鎖されていました。
絵葉書に見る昭和な鋸山、いかがでしたでしょうか・・・
まだ他にも当時のなつかしい写真が沢山ありますので、
またいつかご紹介したいと思います。
関連記事
書庫:金谷・鋸山訪問記も合わせてご覧下さい。
ありがとうございました。
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相棒が今日から仕事復帰となりました。
2週間連続勤務で疲労困憊状態・・・
今日はゆっくり休もうと思いましたが、
これから癒しのスポットに行って来ます。
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鋸山の奇妙な彫刻
昨日はやっと春らしい陽気となりましたね。もう体が春を欲してムズムズしているので、
春を感じに鋸山へ行って来ました。今日は鋸山の知られざる世界のほんの一部を紹介
しましょう。ブログ初公開!貴方にだけそっと教えちゃいます。他言無用ですョ!(笑)
昭和40年代「金谷の浜から観た鋸山」当時の絵葉書より転載。 山頂に観えるのは幻の「鋸山タワー」
ほぼ同じ位置から撮影した現在の鋸山です。約半世紀の時の流れに何か感じるものがあるでしょうか・・・
それでは、本題の「鋸山の奇妙な彫刻」について、ご説明いたします。
昨日の記事の「画像中央にあるどえらい物」についてですが、画像の矢印の所にあります。これについては
現在地元でもタブーとされ、後世に語り継がれない、いや語り継げない内容なのです。
金谷在住の同級生に聞いても知りませんでした。まさかこんな所に、こんなものが!って感じです。
芸術か猥褻か、奇妙な岸壁の彫刻
鋸山の頂上近い岩壁に「脱皮」という高さ15メートル、横幅20メートルの独特な形をした彫刻
が施されています。これは8年間パリで彫刻の腕を磨き、昭和44年6月に帰国した工藤哲巳
さんという前衛美術家が、その年の11月に着工、350万円の工費で12月に完成させた作品
です。鋸山観光ホテルの会長高橋義博氏は顔料会社を経営していて、美術などに興味をも
ち、工藤氏と知合いだった頃、あるとき工藤氏から、「貴方の持っている鋸山の岩壁に掘らせ
ていただきたいものがあるのですが・・・」との話しを受けて、高橋氏はその話を承諾しました。
岩壁に白くアウトラインが描かれたとき、地元の人々から、「こんな猥褻なものを、こんな所に
彫りつけるなんて、とんでもない話だ。即刻やめてもらいたい!」との苦情が出た程でした。
いよいよ、工藤氏がメガホンを握り、職人がゴンドラに吊るされてノミをふるいはじめてからも、
地元金谷の駐在所では、「職務上、一応本署に報告して、猥褻か猥褻でないか判断してもら
わにゃ・・・」と慌てだし、国定公園鋸山を管理する県土木部公園係では、「ああいうものを彫っ
て国定公園の風致を変えるとなると、あらかじめ当方に届け出る義務があるんですがね・・・」
と同様の困惑ぶり。しかし当の工藤氏は、作業を中止するどころか、「いや、これは猥褻では
ない。蝶が脱皮して飛び立つ所を象徴した芸術作品なんだ!」といって、ついに完成させたの
でした。
鋸山の岩壁に彫刻された美術家工藤哲巳作「脱皮」
上の画像と同じ場所から望遠で撮影
工藤氏はフランスの5月革命のとき、その渦中に身を投じた。帰国後揺れ動く、日本の学生運動の現場に
かけつけ、自分からは参加できなかったが、大きく変化し飛躍する社会の変動を感得し、まさに繭を喰い
破って飛び立つ蝶を幻想したという。
「古い体制維持の人間なんて軽蔑します。古い人間はインポだ。その表徴がアレ。インポになった古いアレ
をぶら下げた人間に何が出来るのかといいたいんです!」工藤氏談。
鋸山裏登山道の休憩所観月台付近より撮影
してみれば、蝶の脱皮と社会の変革と男性のモノを三つミックスして象徴したものなのでしょうか。
今度鋸山のお近くにお越しの際は、是非探してみてください。
昭和40年代初頭の絵葉書から、鋸山ロープウェイと金谷港
フェリー乗場は、まだ造成中のようですね。
下山はロープウェイを使いました〜地上まで4分500円でした。
シリーズ鋸山の知られざる世界で、またお会いしましょう!
終わり
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今日は、春を感じに鋸山裏登山道を登りました。
心臓破りの石段に、ふくらはぎがパンパン!もうくたくた状態で、乳酸たまりまくり!?
なので今日は、とりあえず画像1枚だけですが・・・
この画像のど真中には、どえりゃ〜もんが写っとります!
ご存知の方いらっしゃいますか〜
つづきは明日に・・・それではおやすみなさいです。
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