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証誠寺の狸まつり kKK
童謡「証城寺の狸囃子」で有名な千葉県木更津市の証誠寺では、毎年10月下旬の土曜日に
「狸まつり」が催されます。昭和31年に証誠寺の境内に「童謡の碑」が建てられ、それを記念
して今年で56回目の狸まつりとなりました。
ここで童謡「証城寺の狸囃子」の元となった「狸囃子伝説」についてご紹介しましょう。
江戸時代中期、文化文政時代(1804−30)第6代住職の了因和尚のころ、証誠寺の境内は、
うっそうと樹木が茂っていて、実際に狸も棲んでいたいたそうです。 証誠寺は歴代の和尚
さんが博識であり、このあたりの文教の中心になっていて、木更津で学問を習う者は皆ここ
を訪れたのだそうです。 むろん了因和尚も博学で、多くの子弟に教えていました。
了因和尚は音楽の道にも秀でていて、三味線なども得意であったといい夜ともなれば三味
線の指導も行っていました。 だが夜になって、うっそうとした境内から流れてくる三味線の
音は、付近の住民にとっては誠に不思議な現象であり、いつのまにか「ありゃ、狸が弾いて
るんだ」という噂になり、「月夜の晩には、狸どもが踊り出し、和尚さんもうかれて一緒に踊
るそうな」と言った噂に広がって行きました。地元で長年に渡り語り継がれて行くうちに伝説
となり、明治38年に松本斗吟が郷土誌「君不去」でこの伝説について書かれています。
「狸囃子伝説」は、群馬県館林市の「分福茶釜」や愛媛県松山市の「八百八狸物語」と並び
日本三大狸伝説の一つに数えられています。
「証誠寺の狸囃子」
証誠寺の和尚さんが夜半に眼をさますと、戸外が妙にガヤガヤと騒々しい。村の若い衆が集
まってきたのだろうと思って戸の節穴からのぞいてみると、驚いたことに百匹程の大狸・小狸
が自分達の腹を叩いたりして、調子をとりながら踊っていたのです。
狸達は、やがて一斉に声を合わせて、
証誠院のぺんぺこぺん おいらの友だちゃどんどこどん
証誠院のぺんぺこぺん おいらの友だちゃどんどこどん
と何度も繰り返しては、笛や腹太鼓の合奏という格好で、本堂の回りを練りはじめました。
それを見ていた和尚さんもやがて狸達の仲間に入り、競うように踊りだしました。こんな事が
ニ晩続き、三日目の晩になると、狸囃子がぱったりと止んでしまい狸達も全く姿をみせなくな
ってしまいました。 翌朝になって和尚さんが狸を探すと、腹の皮が破れて死んでいる大狸の
姿を発見したのです。
大正14年に野口雨情が木更津ヘ来て、松本斗吟の童話を読んで「証城寺の狸囃子」の童謡
を作り、中山晋平が作曲して全国的に唄われる事となりました。
本堂には沢山の狸の置物が飾られています。
前ご住職のご説法の後、恒例の余興が始まります。
お琴の演奏により、野口雨情・中山晋平の童謡集から
雨降りお月さん・あの町この町・しゃぼん玉・波浮の港・船頭小唄を皆で合唱しました。
あれ・・・どう見ても、どーもくんですが?
そして、狸まつりのメインイベントが地元の小学生達による狸踊りです。
私がこの狸まつりを初めて見たのは、今から30年程前になりますが、驚いた事にその
スタイルは30年前と全く変わっていませんでした。 この狸踊りも音楽や衣装、振り付け
も当時のままでした。地元の小学生達に、これからも引き継がれて行くのでしょうね・・・
狸まつり解散後は、本堂にて狸饅と抹茶が振舞われます。
これも毎年の恒例なのですが、狸まつり解散後は殆どの方が帰られてしまいます。
来年の狸まつりには、是非証誠寺に足を運んで下さい♪
しょうじょうじは、
證誠寺と書きますが、現在一般的には証誠寺となります。
これが童謡の場合は、証城寺となります。 これには諸説あるのですが、また長くなるので・・・(笑)
証城寺の狸囃子 唄:平井英子
sho-Jo−Ji by Eartha Kitt
証城寺の狸囃子は、世界各国でカバーされています。
すでに著作権失効
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木更津 証誠寺
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証誠寺と証城寺の狸囃子
ショッ、ショッ証城寺・・・・・・♪
証城寺の庭は・・・・・♪
ツッ、ツッ、月夜だみんな出て、こい、こい、こい♪
昭和40年代 木更津土産こけし 母親のコレクションより
童謡「証城寺の狸囃子」は皆さんも子供の頃に唄われ、ご存知のことでしょう。 しかし、
その舞台となった場所が千葉の木更津だったと言う事は意外と知られていないようです。
証誠寺では、毎年10月の半ばに「たぬきまつり」が開催され県内・外から多くの参列者で
賑わいます。今回は証誠寺の古い絵葉書と、たぬきまつりの2部に分けて紹介致します。
昭和32年頃の証誠寺の絵葉書より
証誠寺は江戸時代の初期(17世紀中ごろ)に誕生しました。当時この地方は真言宗のお寺が多く
浄土真宗のお寺は木更津でも証誠寺だけだそうです。 この4枚の絵葉書に写っている写真には
不明な部分が多かったのですが、今回のたぬきまつりの際に、前ご住職にお話しを伺いすること
が出来ましたので紹介させて頂きます。
昭和32年頃の証誠寺本堂
浴衣姿の少女達は何をしているのか私には不明でしたが、前ご住職のお父様が当時木更津東高校
の校長先生をされていて、絵葉書の写真を撮影するので女生徒にエキストラを募ったところ大勢集ま
ってしまったと言うエピソードがあったそうです。 その結果がこの「夏の夕涼みの風景」になりました。
たぬきまつり解散後の証誠寺本堂
境内の木々が成長し、本堂が見えにくいですね。
絵葉書の写真と大きく違うのは、瓦屋根が銅覆きの屋根に変更されています。
証誠寺境内にある狸塚 1929年(昭和4年)建
「狸囃子伝説」の物語の結末で腹を破って死んでしまった大狸を葬ったと言われています。
中橋徳五朗翁筆による狸の文字が掘られた石は、狸を横から見た姿に似ていますね。
現在の狸塚
大きな基礎石は富津市以南に見られる磯石である事が解りますが、中橋徳五朗翁筆による狸の
文字が掘られた石は、前ご住職のお話しで古墳の石だそうです。それでは何処の古墳から移設
されたのでしょうか? 木更津東高校の校長先生をされた前ご住職のお父様は、県文化財保護
協会会理事などもされ、木更津の長須賀にある金鈴塚古墳も発掘されているので、もしかしたら
金鈴塚古墳の石室の石かもしれません。 ※これは私個人の推測に過ぎません。
証誠寺境内にある証城寺の狸囃子「童謡の碑」 1956年(昭和31年)建
詩人で童謡作詞家であった野口雨情が木更津を訪れた際、童謡の題材にと狸囃子伝説を提供
された事を契機に作詞を行い、児童雑誌「金の星」1924年(大正13年)12月号で発表。 その後、
中山晋平が作曲して「金の星」1925年(大賞14年)1月号で発表され、童謡「証城寺の狸囃子」が
全国に知れ渡ることとなりました。
現在の「童謡の碑」 作詞:野口雨情 作曲:中山晋平 による「証城寺の狸囃子」
撰文は松本斗吟で、書は斎藤華城。碑の表には中山晋平作曲の五線譜の一部が刻まれています。
証誠寺庭園(枯山水)
絵葉書と同じ方向から見た現在の庭園 この撮影位置は私では特定出来なかったので、前ご住職にお聞きしました。
絵葉書の後方に写っている家は現在は無くなっていました。
上の写真と違う方向から見た庭園ですが、当地方での枯山水は非常に珍しいそうです。
絵葉書が入っている表紙
55年前ですか・・・半世紀も前の絵葉書がとても良い状態で残っていました。
証誠寺の前ご住職も絵葉書を御覧になって、とても驚いたご様子でした。 今年は木更津にアウトレットモールがオープンし、東京湾アクアラインを通って数多くの観光客
が木更津の地を訪れています。 最近では観光バスで証誠寺に参拝に来られているそうです。
本堂に奉納されている絵馬ならぬ、絵狸ですかね・・・?
次回証誠寺の「狸まつり」につづく
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