|
昭和20年8月のこと その8 広島 長崎 原爆投下 今日、8月9日は、63回目の長崎原爆の日です。 福田総理が出席しての「平和記念式典」でしたが、 田上富久長崎市長は、平和宣言で、医師として被爆しながら救護活動に尽力した、 故永井隆博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」との言葉を引用して、 世界の核兵器廃絶を訴えた。 永井隆博士 故永井隆博士は長崎医大放射線医学助教授で長年の放射線研究で被曝、 白血病となり昭和20年余命3年と宣告される。 8月9日の長崎原爆投下された日、爆心地から700mの長崎医大の診察室で被曝、 重傷を負いながらも、救護班を組織して、被爆者の救護に当たる。 しかし、9月10日頃昏睡状態に陥った。 直前の世辞の句に「光りつつ 秋空高く 消えにけり」 と。 10月15日「原子爆弾救護報告書」を作成し、長崎医大に提出する。 昭和21年1月28日長崎医科大学教授に就任するが、 7月長崎駅で倒れ、床にふすようになる。 11月17日長崎医学会で「原子病と原子医学」と題し研究発表。 昭和23年荒野となった浦上の地に花を咲かせようと、 桜の苗1000本を、浦上天主堂をはじめ各地に寄贈。 「永井千本桜」と呼ばれた。 結婚したとき、クリスチャンであった夫人の影響で、カトリックの洗礼を受け、 無料診療奉仕活動を行っていた奉仕の精神が晩年の行動へと結びつき、 爆心地の浦上天主堂は、心のよりどころとしていた。 療養のための庵を「己の如く人を愛せよ」の言葉から、 庵の名「如己堂(にょこどう)」と名付ける。 昭和23年8月、大学を休職し療養に専念する。 10月18日来日中のヘレン・ケラーが見舞いに。 昭和24年5月27日、昭和天皇に謁見、 5月30日、ローマ教皇特使ギルロイ枢機卿が見舞いに。 8月1日長崎市長から表彰、12月3日長崎市名誉市民に。 昭和25年5月14日ローマ教皇フェステンベルグ大司教が見舞いに。 昭和26年5月1日逝去。 43歳 5月2日医学献体解剖、 5月14日長崎市公葬となり長崎市坂本町の国際外人墓地に埋葬。 著書「長崎の鐘」は映画となり有名な「長崎の鐘」が主題歌。 そのほか「亡びぬものを」「ロザリオの鎖」「この子を残して」「いのちの河」など これが戦争の悲惨さです。 目をそらさずに見てください。 平和を祈ってください。 爆心地から250mの銀行玄関の階段に残る人影。 周りは高熱で白く変化、腰掛けていたと思われる人の形は、そのままに残った。 爆心地から4.4kmの軍司令部の板壁に残る、防空監視員の影。(松本栄一氏撮影) |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事







