なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

歴史・昭和20年9月

[ リスト ]

   昭和20年9月のこと  その26
   東条英機陸軍大将元首相、自殺を図る

   今年8月12日の新聞によれば、東条英機首相が終戦直前の昭和20年8月10日から14日に
   つづった手記が、国立公文書館に保管されていることが分った。 戦争目的を「東亜安定と自存
   自衛」とした上で、ポツダム宣言受諾を「敵側の隷属化に立つに至る」と記している。 
   また敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手をあぐるに至るがごとき国政指導者及び国民の無氣
   魂」としながらも、開戦に及んだ指導者としての責任に触れている。
   政府がポツダム宣言受諾を決めた8月9日の翌10日に、首相官邸で開催された重臣会議の様子
   について記載し、席上戦争目的が達成されないままポツダム宣言を受諾すれば、戦争による多く
   の犠牲者が死んでも死に切れないという趣旨の発言をしたことを記述。 
   しかし、昭和天皇の裁断で終戦を受け入れたことを示す記述もある。
   11日から13日に掛けては、今後の情勢分析や敗戦の原因などを記し、14日には、首相時代
   の秘書官宛に「死をもってお詫び申しあぐる」と記したり、戦犯に問われることを予期して「敵
   の法廷に立つごときは日本人として採らざるなり」と記し、自殺する覚悟を記す。

   東条大将は41年10月に首相に就任したが、戦局の悪化を受けて44年7月に辞任。
   45年9月に自殺を図ったが、一命をとりとめ、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯とし
   て死刑判決を受け、48年12月処刑された。

   手記は、東京裁判で東条大将の弁護人を務めた清瀬一郎弁護士が法務省に寄贈した資料の中にあ
   り、99年に法務省から公文書館に移管された。

   東京裁判などの著書がある赤沢史朗・立命館法学部教授の話 
   「終戦直前の東条元首相の考えを、間接的に示す資料は、これまでもあった。
    こうした資料に記載されていたことが、この手記で本人の考えとして、明確に裏付けられた」

   時事通信のコメント  
     終戦直前、責任転嫁も  ポツダム宣言受諾に関し「国政指導者及び国民の無氣魂」と批
     判、責任転嫁とも取れる言葉を残していた。  手記では、当時の政府の講和姿勢を「屈辱
     和平」「屈辱降伏」と批判する一方、「持てる力を十二分に発揮することをなさず」など、
     戦争継続へのこだわりを見せている。
   毎日新聞のコメント    終戦の心境つづる
   読売新聞のコメント  14日に自殺決意記す

イメージ 1
   東条英機元首相、自殺を図る。   
   9月11日、戦争犯罪人として、連合国軍に逮捕の直前、
  東京・用賀の自宅で、ピストル自殺を図ったが、
   一命をとりとめた。  
   その後、極東軍事裁判でA級戦犯として判決を受け、
   23年に絞首刑となった。   
               (共同通信社)


   あの時代、東条大将の一人舞台で、甲高い得意の声での放送は、未だ耳朶に残っている。  
   勝手に戦争をおっぱじめて、調子のよい時にはのさばりかえり、いざ敗け戦さとなると、
   隠せるだけかくして、どうにもこうにもならなくなったら天皇にすがり、
   国民の忠誠心・努力が足らなかったと責任を転嫁し、腹を切って死なねばならないのに、
   のめのめと死なず、それで軍人といえるか。 一国の首相といえるか。  
   国民にわびる心も持たず、戦死者、犠牲者にわびる気持ちもなく、
   次の国政指導者と国民が悪いのだと、よくもぬけぬけといえたものだ。
   軍人であるなら、自殺・腹切りの作法くらい、知らなかったのか。 
   逮捕に直面し、逮捕に来た連合国軍軍人を待たせて、あわてて自殺。 
   あわててピストル自殺するなら、頭か心臓だろう。 
   切腹の真似事の、ピストルを腹に当てても、死ねないよ。 
   二重三重に、生き恥をさらして、それでも軍人か?  当時演説の度に皆に何といっていた。
   学徒出陣のときに何といっていた。  
   自殺するなら言った手前、自分がそのときに手本となる自殺に仕方をとるべきを、
   生き恥さらして、それでも軍人か?  忘れかけていたことが、今更思い出させてくれたな!!
   腹立たしい!!!   恥さらしの写真

閉じる コメント(4)

顔アイコン

保阪:東條は、何かと言うと「承詔必謹」とか天皇への畏敬を口に出したこともあって、<或る種の忠臣イメージ>があるが<本当のところはどうであったのか>。東條は<終戦><直後><しきりに>「自分の尊厳が損なわれる事があったら自決する」といい、実際、昭和20年9月11日に、米軍MPが逮捕に来るとピストル自殺を企てた。その前日(つまり、10日)に、最後の陸軍大臣・下村定に陸相官邸に呼ばれて「貴方がいなければ、(注:戦争の<最終責任者>として)天皇に累が及ぶから、自殺しないでくれ」と頼まれるのですが、東條は「敵の出方による」と応えている。つまり、<天皇を守る>ことよりも、<自分のプライド>を優先させたことになる。(注:だから、<実際に自殺を企てた>、ただし、未遂となったが。皮肉なことに、<健康である米兵>から献血され、<米兵・アメリカ人の血が><東條の身体中に流れて>一命を取り留めた。)<東條の天皇への忠誠>も<怪しいものがあり>ます。

2009/7/1(水) 午前 0:18 [ イエスちゃん ]

顔アイコン

保阪:<終戦直前の東條英機の手記(注:8月10日から14日までの生々しい心情が解る)>を読むと<東條が如何に戦争指導者としての><自らの責任に鈍感であったか>が良く現れている。特に私が<憤慨した>のは、8月13日の記述。「もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙ぐる(注:降参する)に至るがごとき<国政指導者及び国民の無気魂なり>とは、夢想だにも、せざりし処、之に基礎を置きて戦争指導に当たりたる(注:東條自身の)不明は、開戦当時の責任者として、深く其の責を感じる。」つまり、東條は、「こんなに無気力で弱い国民だと思わなかった。もっとマシだと思って戦争を指導した自分が馬鹿をみた」と嘆いている訳だ。「悪いのは愚かな国民だ」とあくまで言い募るのも<官僚の悪弊の一つ>である。

2009/7/1(水) 午前 0:19 [ イエスちゃん ]

顔アイコン

sat*atu**200*さん ご覧頂き有難うございます。 貴重なコメントを頂き感謝申し上げます。 60余年前のこと、今でも色々とこだわって、考え続けてきましたが、まだ自分なりの回答が引き出せません。恐らく一生掛かっても、納得のいく結論を出すことが出来ずに終わってしまうと思われる。 戦争は経験したものでないと分からないし、その傷は人の一生を掛けても癒える事がありません。 世界に真の平和が訪れることを願うのみです。 これからも、ヨロシク御指導願います。

2009/7/1(水) 午後 11:50 [ なおじぃ ]

顔アイコン

現在、<保阪さん、半藤さん>による戦争に対する評価を学んでいます。<まっとうな保守の歴史観>だと思っています。
上記のコメントは、そこから引用しました。

日本人ならば、避けて通れないと思ってます。
さらに歴史を改竄する勢力が強くなっているので、
東條英機が崇拝されないように、阻止する必要を感じています。

2009/7/2(木) 午前 1:06 [ イエスちゃん ]


.
なおじぃ
なおじぃ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事