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川口市安行・見沼用水東縁とその周辺 その08 曹洞宗興禅院 曹洞宗興禅院の縁起によれば、 「中興開基・冨田家の墓なるものがあって、これを中興開基とした。 富田家は近江国(滋賀県)甲賀郡に住んでいたが、天正18年(1590)徳川家康が 江戸に打ち入ると、初代吉右衛門尉は伊奈備前守に従って武蔵にまいり、諸施策に尽力した。 元和4年(1618)に幕府から多摩郡(現東村山市)に二百石の知行地を賜り、陣屋を構えた。 二代助左衛門尉資冶は父と共に河川の改修や新田開発に奉行し活躍した。 元和7年(1621)古河領中田(現古河市)と川妻村境目川口(渡良瀬川川口合流点)より 水海沼までの新田開発に奉行し、横七間の新川を完成させた。 寛延6年(1629)関東郡代伊奈半十郎忠治が赤山城を構えると吉右衛門尉資乗は、 当山の大檀那として寺門の興隆に尽力し、中興開基となった。 その夫人雲照院は、寛文10年(1670)に梵鐘を寄進。 七代吉右衛門尉資周は亨保12年(1727)に前記梵鐘を再鋳して鐘楼と共に寄進した。 富田氏は伊奈氏の御付家老といわれ、諸般の任務に活躍したが、 寛政4年(1792)伊奈氏が改易されると、 知行地は削られ、秩父郡大田村(現吉田町)に移された。 のち明治20年代より宗門から離れ、香煙絶えて久しいが、当山として、 かつての重恩に報いるため、墓域を末永く保存し、菩提供養に努める」 と記されている。 曹洞宗興禅院の入り口 東川口―西川口・国際興業バス 「花と緑の振興センター」バス停前 一歩はいると鬱蒼とした緑。 曹洞宗興禅院の入り口を一歩はいると鬱蒼とした緑の森。 安行八景の一つ、野鳥の森。 隣接する「花と緑の振興センター」の広い土地に植えられた見本林(2.3ヘクタール)と、興禅院の緑とで、野鳥の楽園になっている。 ひなびた、ただずまいを見せる興禅院の山門。 鬱蒼とした緑に、質素に禅寺の面影を漂わせる。 曹洞宗興禅院の本堂 飾りがなく、いかにも質素な禅寺という本堂。 ツタ、コケに覆われた樹木の奥に、鐘楼はあった。 庭もやはり禅寺の雰囲気。 左の樹木の奥に墓地はあった。 昼でも薄暗く、不思議な雰囲気の墓地であった。 山門の脇にある野仏。 貞享 4年(1687)の記あり。 生類憐みの令を発した五代将軍徳川綱吉の時代まで遡る。 他に 元禄 7年(1694)の記ある野仏。 花と緑の振興センター 「植物見本園」として昭和27年に設置、昭和57年「植物検査所」を合併して
「植物振興センター」となる。 埼玉県特産の花・植木・果樹苗木の生産振興を図るため、 平成15年「花と緑の振興センター」となる。 敷地面積2.3ヘクタールに600種2000品目の植物を展示。 花・植木の生産者に対する研修、県民だれでも参加できる講座、 植物栽培管理の相談・情報提供などを行っている。 花と緑の振興センター正面入り口。 東川口―西川口・国際興業バス 「花と緑の振興センター」バス停前 花と緑の振興センター 案内パンフレット。 花と緑の振興センター 園内の展示植物の案内 花と緑の振興センター 業務内容の案内 花と緑の振興センター 埼玉の花植木産業紹介 振興センター内の見ごろの紹介 |
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振興センターにはお邪魔したことがありますが、安行って結構見所あるんですねー。再訪したいです。
チョッと足跡残させていただきました。
2008/10/15(水) 午前 0:50 [ - ]