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川口市安行と新郷、その周辺 21 新郷貝塚 新郷貝塚は縄文時代後期の、淡水産の貝を主体にした貝塚で、庄和町神明貝塚、 松伏町栄光院貝塚等と共に、埼玉県を代表する縄文時代後期の貝塚である。 この貝塚は三つの地点からなり、南北150m、東西120m,厚さは1m以上の 堆積の規模を有している。 縄文時代後期の関東地方は、貝塚を中心に魚撈生活が盛んな時代で、 その頃の社会生活を知る上で、貴重な歴史遺産である。 貝塚の発掘は、最初に明治36年(1893)に鳥居龍蔵博士によって行われ、 さらに昭和2年(1927)年秩父宮御台臨に際し柴田常恵が、 昭和6年(1931)には県史編纂事業として、 さらに昭和8年(1933)東京大学医学部解剖学教室が発掘調査を実施している。 この発掘から三軒の住居跡と伸展葬3体を含む5体の人骨と、多数の遺物が出土している。 出土品の主なものは、 土製品――縄文時代後期称名寺式土器、堀之内式土器、加曾利B式土器。 後・晩期安行式土器。 土錘、土版、土偶、耳飾り 石製品――石鏃、石斧、石皿、石棒、凹石 骨角牙製品――垂飾、貝輪、貝刃 自然遺物――貝類、獣骨類、魚骨類、鳥骨類、人骨 川口市内には、小谷場貝塚、新郷貝塚、前野宿貝塚、猿貝貝塚、東光院貝塚、石神貝塚、 宮合貝塚、上台遺跡などが代表的なもので、何れも淡水産の貝を主体にしたもので、 小谷場貝塚は縄文時代の中で最も海岸線が進んだ前期の貝塚で、 東光院貝塚は自然堤防上に残された後期の貝塚、他は後・晩期のもの。 猿貝貝塚は「安行式」土器の標識遺跡である。 貝塚は当時の生活を知る貴重な情報源であり、貝塚の位置、貝類の分析によって、 海進、海退の様子がわかり、貝の採取の季節を知る、縄文人の残したタイムカプセル。 遺跡からは、食物の発見はないが、貝塚からは当時の食料や環境がわかる。 地域差はあるものの、全体の半数はドングリ類、クリ・トチなど、他に根茎類、鳥獣類、 魚類、貝類が続く。 縄文人は自然を熟知し、季節を考えて食料を獲得していた。 (川口市教育委員会案内板より抜粋) 獣骨類にシカ、イノシシ、イヌまでは考えられるが、 オットセイ、イルカ、クジラの骨があったとは、驚きですヨネ!! 新郷貝塚全体図
秩父宮御台臨記念石碑 昭和2年〈1927〉発掘調査の際 過去数回の発掘調査で、竪穴住居跡や縄文人人骨が発見された。 中心の広場を囲む三日月状で、貝塚はボーリング調査の結果、厚さ1m以上堆積している。 (川口市教育委員会案内板より抜粋) 1985年保存整備のために発掘調査し、崖下に竪穴住居址が確認され、 生活が台地上だけでなく低湿地に面する台地下まで進出していたことを物語っている。 現在斜面部に土砂流出防止工事を行い、斜面の貝塚を保存。 (川口市教育委員会案内板より抜粋) 台地上で生活していた縄文人は、眼前に広がる低湿地帯で魚介類の採取や加工の場とし、 水辺は生活の重要な舞台で、ここから丸木舟を操り、海へと乗り出していった。 (川口市教育委員会案内板より) 現在、縄文人が丸木舟を浮かべた水辺、低湿地帯に現代人の住居がビッチリ立てられている。 公園の入り口で、この地点の貝塚は厚さは薄い。 |
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過去の発掘された物を考えると、いずれ我々の身の回りにある物で強度のある物は未来の世界で発掘されるのかもしれませんね。そう考えるとロマンは広がりました。
2008/10/31(金) 午前 4:00 [ 0 ]
ぶにょオさん 見ていただき有り難うございます
確かに長い長い年月の後、発掘されたらと思うとロマンを感じますね。 ただ、20世紀の人間が地球を、環境を破壊したので、こんなになちゃったと30世紀40世紀の人達には、言われたくないので、考えないとネ と最近思うようになりました。
2008/11/2(日) 午後 6:38 [ なおじぃ ]