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足立・舎人と伊興その周辺 02 見沼代親水公園 享保12・3年(1727)徳川吉宗の命を受け、幕府勘定方・井澤弥惣兵衛為永が一連の 土木工事にあたり、利根川から見沼代用水として引き、見沼新田を開発した。 関連記事「見沼田んぼ」 記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/12227407.html 関連記事「赤山陣屋跡」 記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/naojyi/18118670.html 足立区内を網の目のように、流れていた灌漑用水も、都市化が進み、埋め立てられ、暗渠化し 機能を果たさなくなった。 そこで昭和56年から3ヵ年かけて、緑と水の公園として、整備され「見沼代親水公園」として 復活された。 埼玉県から東京都足立区に入って、見沼代用水路はその形を一変させた。 埼玉県との境、舎人水門に浄化設備を儲け、古千谷橋までの1.7kmを四つのゾーンに 区切り、水生植物園ゾーン、こもれびゾーン、せせらぎゾーン、まどろみゾーンと 特徴を持った景観を造り、四季折々楽しめる公園に、かつての水路を再生させた。 今木々も緑を増して成長し、区民の遊歩道として、憩いの場所として親しまれている。 見沼代用水東縁を流れて来た水は、ここで毛長川に流されるが、 一部は埼玉県境の舎人水門から、この水処理管理棟の浄化施設で浄化され、 見沼親水公園の水源としている。 日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」前の「見沼代用水路」保存のモニュメント かつて農地の灌漑水路であった「見沼代用水路」は、今「見沼代親水公園・こもれびゾーン」と して区民の憩いの場となっている。 見沼代親水公園にある、区民憩いの場の休憩所。 かつて農地の灌漑水路には、水車もあったことと思うが、それを再現した「水車のある風情」の 憩いの広場 古千谷橋の「見沼代親水公園」終点と、左道路は赤山街道。 舎人から赤山陣屋へ。 旧日光街道で赤山陣屋を結ぶ街道で、かつては、譜代藩の城下町岩槻へ至る街道であったので 「岩槻街道」といわれていたが、関東郡代伊奈氏が赤山に陣屋を造成したので、 「赤山街道」になった。 戸田川の増水で中山道の「戸田の渡し」が利用できない場合、参勤交代の諸藩と、 旅人や人馬が通った、宿場町としてこの地域は、早くから開けていたという。 日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」 日暮里まで9.8km20分で結ぶ新交通が、平成20年3月30日開業
「東京都交通局日暮里・舎人ライナー」が正式名称で、駅数は13駅、定員は1編成258人、 運転間隔は朝ラッシュ時5分、日中7.5分間隔、運行速度30−60km/h、 自動運転システム。 日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」全ぼう。 駅前バスターミナル。 見沼代親水公園からの展望の新交通。 見沼代親水公園駅を発車するライナー。 東京都と埼玉県との境の草加市遊馬町交差点。新交通・日暮里・舎人ライナーは東京都境が終点。 |
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