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足立・舎人と伊興その周辺 05 舎人諏訪神社 舎人諏訪神社は、見沼代親水公園の中間にある。 足立区教育委員会の案内板(足立区有形文化財指定)によれば、 『舎人諏訪神社本殿は、一間社、流造千鳥破風付、向拝正面に軒唐破風が着く社殿形式である。 屋根は総柿葺で、現在は覆舎によって囲われている石組基壇上に建立されている。 身舎の大壁、小脇壁、脇障子、柱上組組物、縁腰組の間が彫刻で飾られ、 竜の彫刻は見事である。 牡丹の彫刻を施した手挟、向拝柱の獅子鼻、象鼻など、江戸時代末期の神社建築の特徴が 如実に現れている。 身舎内部に、天保7年(1836)の建立である棟札がある。 江戸時代末期の神社建築の手法を知る遺稿として注目される』 と記されている。 舎人氷川神社といい、此処といい、本殿に見事な彫刻を施しているのは、 やはり日光街道の宿場町として栄えたからと思われる。 新編武蔵野風土記稿に、 「諏訪社 西門寺ノ持ナリ。此社地ニ夫婦杉ト唱エテ二樹アリシガ、三沼代用水掘割ノ時、 コノ二樹ノ間ニ溝ヲ開キシヨリ、土人婚嫁ノ時前ヲ過ルハ嫌イシトテ此道ヲ避ルト云。 此杉今ハ枯タリ」 とある。 見沼代用水を通したのは、享保12年(1727)の着工であるから、 その以前にこの神社があったことになる。 また、神社の鳥居は神殿に対して、斜めに立っているのは、毛長神社の方向に
向けたためとも言われている。 『隣村の新里(埼玉県)から嫁いだ娘が、姑との不仲を苦に入水し、夫も後を追い自害した。 川から娘の長髪が見つかり、ご神体にしたのが、新里の毛長神社である』 といわれている。 長い年月の風雨に耐え、立派な風格をかもし出す鳥居。 図らずも世話人が掃除のために、拝殿前の扉が開かれ、内部を撮影させてもらった。 神殿右側面の彫刻 神殿背面の彫刻 神殿左側面の彫刻 神殿きざはしの彫刻 神殿、流造千鳥破風付の彫刻 御神木、保存樹木指定のしらかし 境内の前は「見沼代親水公園」流水の遊歩道 放置されている、手水石(天保7年(1836))と仏塔の一部(文化7年(1810)) どちらも神社の建立の時と前に奉納されたものである。 神社建築物とセットで、設置されるべきものである。 世話人は「判ってはいるが、ワシ等ではどうにもならん。 教育委員会も動いてくれない」と 嘆いていた。 それは境内と遊歩道の境の、保存樹木の根元に存在する。 粗大ごみとして、無くなりそう!! |
散策・江戸東京・足立
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