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足立・舎人と伊興その周辺 07 伊興遺跡公園 伊興氷川神社のすぐ前に、伊興史跡公園はある。 遺跡から出土した多くの「出土品」や解説を展示した展示館が開館している。 「伊興遺跡」はこの公園と隣り合う氷川神社の境内を北限とし、 南に660m、東西690mの広がりを持つ、都内屈指の古墳時代遺跡である。 昭和30年代に国学院大学・故大場磐雄教授が学会に紹介して、世に知られることになった。 大場教授は郷土史家の故西垣孝雄氏の収集品から、他ではあまり出土例のない「子持勾玉」と 「古式須恵器」を発見、古代祭祀との関連を考え、伊興遺跡を「祭祀遺跡」として紹介した。 平成に入り、大規模な調査が行われ、推定させる居住跡や方形周溝墓、祭祀土器、須恵器などが 発見された。 出土品から、古墳時代における祭祀遺跡のみならず、毛長川流域の政治・経済の 中心地的役割を持つ遺跡であったとも考えられる。 「舎人遺跡」は「伊興遺跡」に匹敵する規模の遺跡であったが、
現在の日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅のバスターミナルの場所にあったが、 ライナー開通にあたり調査を済ましたという。 (解説板より) 遺跡公園の土中から土器などの出土品の状態や、調査方法・状況を示すレプリカを展示している。 カメラ、記録用紙、計測用巻尺など、実際に発掘現場に立ち会うようなレプリカである。 古墳時代の祭祀行事の様子を再現した展示。 巫女の祈りと、参列する文武百官。 そしてその集落。 方形周溝墓 弥生時代に出現した墓で、周囲を溝で区切った。 稲作農耕の発展に伴い、ムラムラで力を付けた有力者の墓。 やがてムラムラは統合され国になり、強大な権力のもと古墳が造られていった。 有力者にも階級が生じ、地位によってその墓も決る。 (解説板より) 竪穴式住居 縄文時代から続いた住居の形で、貴族や武士が瓦葺きや板葺きの高床や家屋に住むように なっても、一般庶民は10世紀頃まで、竪穴式住居が利用されていた。 半地下のため温度変化を受けにくく、夏涼しく、冬暖かく感じることによるらしい。 然し水はけ悪く、採光が不便であった。 楕円形に掘り込んでいた穴を、古墳時代には方形となり、古墳中期(5-6世紀)には 炉に変わって竃が造り付けられた。 この伊興遺跡では、この頃の住居が、多く見つかっているという。 (解説板より) 内部を再現して展示。 竪穴式住居 と 紅葉する伊興氷川神社の森。 |
散策・江戸東京・足立
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