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足立・舎人と伊興その周辺 09 浄土宗・法受寺 浄光寺のすぐ隣が法受寺である。 浄土宗・法受寺は、正暦3年(992)、恵心僧都によって、豊島郡下尾久の地に 天台宗恵心院法受寺として開創され、文永元年(1264)浄土宗に改宗された。 宝暦3年(1753)豊島郡谷中に移転し、新幡随院法受寺と称したが、関東大震災後、 下谷三崎町の法受寺と浅草の照光山安養寺とが合併して、昭和10年に現在地に建立された。 草創以来千年近くに及ぶ古寺である。 嘉元2年(1302)の奉納と伝わる、鎌倉幕府八代将軍久明親王の父、後深草法王の法体木造、 正応3年(1290)に納められた御尊牌がある。 (足立区有形文化財指定) 五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の墓、 常陸国笠間城主本荘宗資の墓、(足立区有形文化財指定) 柔道家・関口弥太郎の墓、書家・墨菴の墓があり、 また怪談「牡丹灯籠」の寺でもある。 夕方、この鐘が時を告げ、響き渡るという。 門を入ると地蔵尊が迎え入れてくれる。 この寺は、伊興七福神の中の、布袋尊。 元旦から七日までに巡拝すると福をもたらすと言われている。 もうすぐに正月が来る。 開運を願って、歩いてみては如何です!! 怪談「牡丹灯籠」の寺。 怪談牡丹灯籠=三遊亭円朝口演の人情噺。 中国の小説「剪灯新話」中の「牡丹灯記」を浅井了意が 翻訳して「伽婢子(おとぎぼうこ)」中に収録、円朝がこれに天保年間 牛込の旗本の家に起こった、事実譚を加えて創作した怪談。 飯島の娘お露の死霊が牡丹灯籠を提げて恋人新三郎の許に通うという筋。 これを福地桜痴が補綴、三世河竹新七が脚色した歌舞伎劇「怪異談牡丹灯籠」もある。 広辞苑より 寺の本堂であろう。 他にそれらしきものはないので、参詣する。 ペット供養の寺でも知られているようである。 沢山の愛犬、愛猫などの塔婆があった。 桂昌院の墓は、安養寺にあったもので、 安養寺は桂昌院及び父母、弟笠間城主本荘家累代の菩提寺であった。 墓銘に「桂昌院殿従一位仁誉興国恵光大姉」とある。 笠間城主本荘宗資の墓が同じ墓域の中にある。 墓域は石垣がめぐらされ、一対の石灯籠がある。 桂昌院=寛永4年(1627)に、八百屋仁左衛門の娘として、京都に生れ、名は光子(阿玉)、 後に吉子と改む。 二条家臣本庄氏の養女となり、将軍家光の側室お万の方の縁故により江戸城に入り、 春日局のとりもちで将軍家光の妾となって、五代将軍綱吉を生んだ。 家光死後出家し桂昌院と号し、綱吉が将軍になると、生母として大奥に勢力を振るった。 仏教の信仰厚く、綱吉の「生類憐みの令」は、桂昌院の勧めによるところが大きいという。 桂昌院の墓のある本荘家の墓域は、古い石垣の中。 桂昌院の墓 墓銘に「桂昌院殿従一位仁誉興国恵光大姉」 笠間城主本荘宗資の墓 「笠間城主従四位下因幡守藤原朝臣本荘宗資墓」 子孫の墓 「貴族院議員従三位勲四等子爵本荘宗義墓」 曹洞宗・栄寿院 保木間親水水路の道路と都道100号線(伊興本通り)の角地に法受寺がある。 伊興通り南隣が栄寿院である。 曹洞宗・栄寿院は、長禄2年(1458)、大田道灌の創立で400年の歴史がある。 大正天皇の御生母・柳原丹似の御局の勅願所として、菊の御紋章が許されていました。 元本所表町に所在する寺でしたが、関東大震災に罹災し、昭和3年に移転してきた。 今でも跡地には地蔵堂が建立し、町の発展、商店街の繁栄に寄与しており、縁日も存続している。 正楽寺墓地 栄寿院の南脇に細い狭間道がある。 狭間道はくねくねと曲がった道である。 正楽寺墓地は、狭間道を入ったところに在り、栄寿院と隣接する。 浄土真宗本願寺派・専念寺 専念寺は栄寿院と狭間道を挟んである。
浄土真宗本願寺派・専念寺は、昭和5年本木の地に説教所として発足し、 昭和32年に現在の地を取得し、昭和52年に本堂を建設し寺基を竹の塚に移した寺。 |
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