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足立・舎人と伊興その周辺 10 狭間道のプチテラス 寺巡りに疲れたら、ここのプチテラスで一休み。 くねくね曲がった細い狭間道は、人生の歩く道にも似ている。 常にくねくね曲がりながらも、現在にたどり着いたが、 恐らくこの先も見透視の良い一本道ではなさそうだ。 自分を見つめる良き機会が、寺めぐりでもあるようだ。 地域の古老が言う事ニャ、 「伊興のいの字はいろはのい、一番初めに出来たトコ、一番始めに興ったトコ」 「昔、白旗塚から氷川様、長い桜のトンネルだったトサ。 残しておけば良かったが、戦争負けて薪無くて、木炭作るに枝切って、 バスを通すに道つくり、桜並木も無くなった」 プチテラス案内板 浄土宗・正安寺 元和2年(1616)浅草・蔵前に草創、その後浅草清島町(現東上野6丁目)に移転。 正安寺第7代住職岳印和尚の親縁で徳川5代将軍綱吉公の母堂(桂昌院)が丈六(5.28m) の釈迦涅槃像を寄進し、以後、当時の院号を涅槃院と号した。 当時は安楽往生の寺(ポックリ寺)として縁日も出た。 関東大震災に罹災、東京府の復興計画により、昭和8年現在地へ移転。 平成に入り、地域の村おこしの一助に「起き上がり観音」「正安寺・七福神」「閻魔様」を 復興安置した。 正安寺の七福神はけやき古木の供養として作ったもので、 七福神ワンセット鎮座、全ての福のご利益ある。 ポックリ閻魔 閻魔大王を祭った寺は珍しい。 年寄りに人気、お勧め!! 道元宗・東陽寺 慶長16年(1611),京橋八丁掘で創建され、寛永12年(1635)火災にあい 浅草高原町八軒寺町へ移転し、関東大震災に罹災、東京府の復興計画により、 昭和3年、伊興へ移転してきた。 足立区文化財指定の「塩原太助の墓」「戸田茂睡の歌碑」「阿弥陀三尊来迎図板碑」がある。 塩原太助の墓は、柴田是真の物語、江戸本所の炭商太助の実話にヒントを得て、
三遊亭円朝が「塩原太助一代記」の人情噺に仕上げて有名になり、 また、歌舞伎にも脚色された評判を呼んだ。 大商人の塩原太助の墓。 戸田茂睡は江戸時代前期の歌人で国学者だった。 海運や治水に功績のあった河村瑞軒の追悼碑がある。 河村瑞軒は江戸豪商。 江戸で車引きから身を起こし、明暦の大火で巨利を得て、土建業を営む豪商となった。 後海運や治水事業で成功し、得た利益で万巻の書を集め、新井白石ら多数の学者を援助した。 |
散策・江戸東京・足立
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