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歴史の一齣002 横井陸軍伍長 グアム島玉砕以来、潜伏28年、「恥ずかしながら・・・」と帰国 昭和47年(1972)1月24日 太平洋戦争中、日米の激戦地グアム島では、日本守備隊は玉砕し、 アメリカの日本本土攻略の拠点基地となった。 サイパン、グアム、テニアンのマリアナ諸島は「超空の要塞B29爆撃機」の基地となり、 連日連夜の日本本土の爆撃が敢行されたのである。 グアム島も戦後27年を迎え、観光客で賑わう島となった、 昭和47年(1972)1月24日、グアム島の中心都市アガナ市から南19kmのタロホホの ジャングルで、元日本兵が発見された。 陸軍伍長・横井庄一さん56歳であった。 作家・大岡昇平氏は、「捕虜の経験があるので、国家的栄誉は受ける気持ちにならない」と 前年に芸術院会員を辞退したが、このニュースを聞いて、 「生きて虜囚の辱めを受けず、の戦陣訓はまだ生きていた」と感無量の面持ちで語ったと言う。 (朝日新聞1月25日夕刊) 戦争作家・棟田博氏は「観光ホテルが林立するグアム島の密林に潜んでいたことに、 まだ戦争は終わっていないと言う、象徴的なむごさを感じた」と語る。 (朝日新聞1月25日夕刊) 横井さんは大正4年愛知県海部郡富田村(現・名古屋市中川区富田町千音寺)に生まれ、 洋服仕立て業を経て、昭和16年に応召。 中国・奉天〈現・瀋陽〉で陸軍第29師団に編制され、19年に第38連隊に転属後、 グアム島に配属されたが、19年8月11日グアム島守備隊は玉砕。 戦死したものとして、20年7月30日、父・栄次郎に戦死公報が届けられ、 軍曹に昇進していた。 玉砕後、住民の影におびえながら戦友二人と共に逃亡を続け、タロホホ滝の近くに掘った穴に、 10数年間潜伏していた。 然し戦友二人が別の洞窟で病死してからは、孤独な生活を送っていた。 終戦は20年ほど前に、飛行機から投下されたビラで知ったと言うが、 「捕虜としての辱めを受けるのがいやだった」と逃亡生活を振り返る。 保護されてから9日目の2月2日午後2時15分、日航特別機で羽田空港に到着。 出征から31年ぶり、グアム島守備隊2万810人のうち、1305人目の生存者として 故国の土を踏んだ。 グアム島戦友会の代表ら、出迎えの人々に手を振り、よろめくようにタラップを降り、 マイクの前で、「恥ずかしながら横井庄一、生き長らえて帰ってまいりました」と、 しわがれ声を精一杯張り上げた。 東京第一病院で2ヶ月静養して、健康を取り戻し、郷里の名古屋に戻り結婚。 穴居生活の経験を生かし、耐乏生活評論家として活躍した。 横井さんにとって、唯一つの心残りは、 「わしゃーグアム島生き残りの最後の一兵じゃから、帰国してすぐ宮城に参上し、 玉砕の状況を天皇陛下さまに、直接ご報告する義務があると思っとりましたが、 お会いすることは出来んじゃった」 と残念そうに語った。 小野田・陸軍少尉、横井・陸軍伍長 共に共通した当時の思想がある。 こんなことがあったなんて、信じられますか??? 事実です!! 真実の話です!!! 穴居生活に耐え、孤独に耐えて、「陛下のために、ただただ生きた」と語る、
元日本兵・横井庄一さん。 共同通信社 衣服を点検するグアム警察官。 密林の生活用品。 フタなしヤカン、飯ごう、木製ケース入り山刀、ココナツから作った繊維などなど。 この年11月3日、京都の幡新美保子さん(44歳)と結婚 |

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戦は人間の人生を翻弄しますね。
どうしてなんでしょう?
2009/7/31(金) 午後 10:19
横井さんはともかく、その奥さんの美保子という人は、詐欺師です。
2011/11/4(金) 午前 7:43 [ みやこ ]