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江戸東京・足立 16 西新井大師 西新井大師は五智山遍照院総持寺といい、天長3年(826)弘法大師の創建で、新義真言宗、 江戸時代には関東七カ寺の一つであった。 古くから川崎大師と共に厄除け開運の霊場として有名です。 縁起によれば、1100年余の昔、弘法大師が衆生済度のため諸国巡りの折、この地で 十一面観世音菩薩のお声により大師自身に降りかかる厄難と、この地の悪疫が消除するよう 祈れとお告げがあった。大師は斎戒沐浴、護摩を修し、厄難消除を昼夜にわたり祈念したところ、 悪疫は終息し、人々は不安と絶望から救われた。 大師の徳を慕って、大師自作の観世音菩薩と大師尊像を祭ったのが、この寺の始まりです。 その時、加治水に使った井戸から西新井の地名が起こったとも伝えられる。 文安元年(1444)、文亀2年(1502)の兵火にも大師尊像は火難を逃れたので、 火除厄除大師ともいわれている。 江戸時代になり、幕府は慶安元年(1648)寺領二十石の朱印状を寄進し寺格の高きを認めている。 元文3年(1738)八代将軍吉宗が鷹狩りの際休息され、御膳所にになってからは、 しばしば将軍が立ち寄った。 明治43年4月、昭和天皇ご幼少の時、秩父宮、高松宮、両弟宮と江北五色桜を御覧後、 この寺に立ち寄られた由緒を持っている。 本尊は十一面観世音像、副佛に弘法大師像、ともに空海作の秘仏である。 本堂は徳川中期の再建で、総けやき十四間四面の入母屋破風造りの威容を誇ったが、 昭和41年5月、夜半の不慮の火災で焼失、昭和46年12月新本堂落成開眼。 西新井大師・本堂
本堂下・おみくじ処 仁王門と仁王 木造二階建、銅版葺、入母屋造り総ひのきで、江戸時代後期のもので、区指定文化財 三匝堂(さんそうどう)(栄螺堂 さざえどう) 天保5年(1834)弘法大師千年忌に江戸・伊勢屋彦兵衛が四国巡礼したとき、 各霊場の砂を持ち帰り、埋納した上に立てたものという。 その後明治17年に鉄仲講・大栄講の篤志家により改築されたもので、 初層に八十八祖像、二層に十三仏、三層に五智如来と二十五菩薩画安置され、 ここにお参りすれば諸国の霊場を巡拝したご利益功徳があるとされる。 塩地蔵堂、六角堂、宝照殿講堂、光明殿、八角堂 鐘楼などがある。 御身体洗い大師 (新井と洗うを掛ける) 一生懸命御身体を洗うと願いが叶うとの事で。 |
散策・江戸東京・足立
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