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江戸東京・山手 30 新宿3丁目・追分交差点 現在の新宿繁華街はここ新宿3丁目を中心に発展している。
江戸時代は内藤新宿といって今の新宿1−2丁目あたりに、甲州街道の宿場があった。 また内藤新宿は、青梅街道との別れ道でもあり、新宿追分とも言われたところでもある。 新宿追分の賑わいは大正、昭和初期まで続いた。 京王電鉄は大正2年(1910)笹塚−調布間開通し、大正8年(1916)新宿ー府中間が 開通したとき、新宿駅は現在の新宿2丁目の京王電鉄本社ビル1階から出て、 今の甲州街道・国鉄新宿駅陸橋を路面電車で笹塚に向かっていた。 やはり新宿1−2丁目が新宿の繁華街であったなごりで、今の新宿駅地下ホームは 昭和53年(1978)、地下鉄都営新宿線との相互直通は昭和55年(1980)である。 「新宿元標 ここが追分」なる新宿元標が新宿3丁目・追分交差点の伊勢丹の筋向いの道路に、 このようにある。 「新宿元標 ここが追分」なる新宿元標図が新宿3丁目・追分交差点の伊勢丹の筋向いの道路に、 このようにある。 現在と江戸中期の「内藤新宿」の地図と、回りに時代背景のさまざまの徒歩、かご、馬、人力車、 都電、バス、乗用車などの乗り物のイラストの陶板が歩道にほどこされ、 横断歩道の信号待ちのひと時を楽しませてくれる。 新宿3丁目交差点は、やはり伊勢丹本店デパート。 新宿3丁目交差点は、新宿通りと明治通りとの交差点である。 前方は新宿通り、新宿駅東口方面。 午前10時頃と、同じ地点の夜景。 前方は新宿通りの四谷方面。 撮影場所を左右の角に変えた写真。 新宿3丁目交差点、明治通り高田馬場、池袋方面。 撮影場所を左右の角に変えた写真。 新宿3丁目交差点、明治通り代々木、原宿、渋谷方面 新宿3丁目交差点の角にある交番。 |
散策・江戸東京・山手
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