|
江戸東京・山手 38 抜弁天・交差点の風景 この道路は若松通り、都営地下鉄大江戸線がこの地下を通って若松河田駅方面に、 道路は若松町方面へ。 交差点右角が厳島神社・抜弁天。 この道路は余丁町通り、道路は都営地下鉄新宿線・曙橋駅、靖国通り方面へ。 交差点左角が厳島神社・抜弁天。 道路は北新宿・柏木百人町から職安通り、新宿7丁目交差点方面を経て、 ここで二股に分かれる交差点。 若松通り、前方職安通り方面で、都営地下鉄大江戸線がこの地下を通って東新宿駅方面に、 道路は新宿7丁目方面へ。 交差点の角に、厳島神社・抜弁天はある。 参道は古来の通り、南北に通り抜けられ、どちらにも鳥居が設けられている。 厳嶋神社・抜弁天 厳嶋神社・抜弁天は、白河天皇の御代、応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家公は、 後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。 奥州平定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀ったのが、 この厳島神社の初めと伝えられる。 江戸時代、参道は南北に通り抜けでき、苦難を切り抜けた由来から、抜弁天と庶民から信仰され、 江戸の六弁天の一つに、山の手七福神の弁財天でもある。 江戸幕府の地誌には、別当二尊院・抜弁天と記載され、稲荷神社があったことも記されている。 徳川綱吉将軍「生類憐みの令」により、この付近に二万5千坪の犬屋敷が設けられていたという。 なんと25000坪のお犬様のお屋敷とは恐れ入った。 道路に面する境内の石囲い垣根。
参道に入る南側の鳥居 参道に入る北側の鳥居。 今も参道は南北に通り抜けができる。 今この時代だから、苦難を切り抜けるご利益をお受けしたい。 |
散策・江戸東京・山手
[ リスト ]







