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江戸東京・山手 43 三十六歌仙絵で名高く「おとりさま」で賑う 須賀神社 須賀神社は勝興寺の近く、須賀町5番にある。 須賀神社の由緒書きによると、 主祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのうのみこと) 宇迦能御魂大神(うかのみたまのおおかみ) 相殿 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)他8柱 相殿 大鳥神社 御祭神 日本武命(やまとたけるのみこと)他2柱 相殿 大国主命(おおくにぬしのみこと) 摂社 天白稲荷神社 相殿 天照大御神(あまてらすおおみかみ)他16柱 由緒 「須賀神社はもと稲荷神社で、赤坂一つ木村の鎮守で清水谷にあったのを、 寛永11年外濠普請のため当地に移された。建速須佐之男命の鎮座の儀は、 寛永14年島原の乱に、日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由、幕府命で兵站伝馬用を勤め、 功績により四谷中心部商地支配権を拝領の機に、神田明神社の守護神を勧請、 稲荷神社に合祀し、四谷の天王様と明治まで親しまれた。 明治元年、須賀神社と改称、明治5年郷社に昇格、戦後は社格が廃止された。 文化11年起工し文政11年完成の権現造りの比類なき社殿は、 昭和20年5月24日の東京大空襲で焼失、戦後今日の復興をとげた。 宝物 戦前多くの宝物があったが、戦災で殆んど焼失。 内陣金庫に在った三十六歌仙のみが残り、新宿区有形文化財に指定されている。」 とある。 三十六歌仙の絵が拝殿に掲げられている。 絵は旗本・大岡雲峰(1764−1848)が73歳のとき画いたもので, 歌は和歌、書画で人気の公卿・千種有功(1797−1854)の筆により、 天保7年(1836)完成奉納された。 三十六歌仙は、平安時代中頃の歌人藤原公任が作った「三十六人撰」の基づき、 万葉歌人の柿本人麻呂、大伴家持、山辺赤人の3名、 古今集や後撰集の歌人の紀貫之、在原業平、小野小町ら三十三人が選ばれ、 一人一枚の絵に仕立てている。 須賀神社は牛頭天王と稲荷大明神の二社で、古くは四谷見附外に祀ってあったのを、 寛永11年(1634)外濠開鑿のため当地に移転、明治になり須賀神社と呼ばれた。 鮫河橋・権田原の稲荷、四谷の鎮守として信仰され、 末社の大鳥神社の酉の市「おとりさま」で賑う。 拝殿の左側御神穂授け所隣に大国主命を御祭してある。 本殿の隣に鎮座まします天白稲荷神社。 本殿の右隣に鎮座まします祖霊社。 須賀神社の天白稲荷神社前より二の鳥居及び神楽殿。 須賀神社の一の鳥居より本殿を。 須賀神社の二の鳥居より本殿を。 須賀神社の一の鳥居より、参道の石段と道路。 |
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