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江戸東京・下町 02 関東大震災・戦災・阪神淡路大震災の資料を展示する復興記念館 復興記念館は、大正12年9月1日に起こった関東大震災の惨事を後世に伝え、 首都東京を前にも増して復興させた当時の大事業を、永久に記念するために、 震災祈念堂の付帯設備として建設された。 館内は遭難者の遺品、被害品、そして絵画や写真をはじめ、復興事業に関する資料の保存、 展示する施設である。 その後、戦争により東京が空襲に遭い、戦災犠牲者を新たに震災祈念堂に収容したため、 東京都慰霊堂としたのに伴い、復興記念館に戦災資料を加えて陳列、 更に阪神淡路大震災の資料も加えて、広く災害予防に関する知識を普及するために公開している。 内容は、もともと関東大震災の資料館であり、戦災資料は充分収集してこなかった感があり、 資料不足といえる。 この慰霊堂及び復興記念資料館は、東京大空襲の戦災劫火に此処だけが奇跡的に焼け残った。 関東大震災の時には、陸軍被服廠跡地の空地であったため、避難民が続々と集まったが、 火災の劫火にここのみで2万人以上の犠牲者を出す大惨事と成った場所です。 しかし3月10日の空襲では此処だけが、焼け残った。 関東大震災の犠牲者の霊が、ここに非難した人たちを救ったと言われ、 護られたと伝えられている。 徳永柳州筆 大正12年9月15日、御心を悩せられる摂政宮殿下(昭和天皇) 大正時代であるので、天皇・皇后が如何に憂慮して視察したかが重要な画題に成っている。 天皇中心の画題 徳永柳州筆 皇后の病院慰問 石井伯亭筆 摂政宮殿下(昭和天皇)の視察 震災に関する天皇の詔書 徳永柳州筆 本郷より見た御茶ノ水付近 徳永柳州筆 永代橋の焼け落ち 仮設木橋中央部が焼け落ちたのも知らず、日本橋から深川から避難者が押し寄せ身動き出来ず 川に落下。 幽冥鐘 関東大震災で遭難死した死者追悼のため、中国佛教徒の寄付による鐘。 震災の悲惨な凶報に中国では、杭州西湖の招賢寺、上海の玉仏寺などで念仏法要が営まれ、 災害甚大であると知り代表二名来日し、京浜地区の慰問を行い、幽冥鐘一隻を鋳造して寄贈され、 復興計画確定後ここに安置された。 震災遭難児童弔魂像 |
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