|
さいたま・浦和 40 戦国時代から昭和まで続いた市(いち)と市神様のある慈恵稲荷神社 浦和は中山道の宿場町として、参勤交代の道中や、旅人の往来で、古くから栄えた町である。 沿道には古寺や史跡、街並みがあり、古代から現在に至る新旧混在の浦和の姿が凝縮されている。 さいたま市浦和区常盤1丁目常盤公園の近くに、慈恵稲荷神社という小さな稲荷の社がある。 この社には、戦国時代に開設された市場跡がある。 天正18年(1590)には豊臣秀吉の家臣・浅野長吉から 喧嘩口論などを禁じた「禁制」が「浦和市(うらわいち)」に対して出されていて、 市(いち)は月6回開かれる六斎市(ろくさいいち)と呼ばれるもので、 毎月二と七の日に開かれた。(二日・七日・十二日・十七日・二十二日・二十七日) 「二・七市場」といわれた。 元禄10年に浦和宿の街道に面した一軒ごとの間口と間数、歩行・馬役の区別、所有者、 市日などの記録が載る「浦和市高見世場絵図」(ショッピングマップ)によると、 浦和の市は上市場、中市場、下市場に分かれていて、この定杭と市神様のある場所は 上市場にあたり、毎月二・七に開かれていた。 江戸時代、十返舎一九は 「代ものを 積み重ねしは 商人の おもて うらわの 宿の賑わい」 と詠み、 浦和の市の賑わいを表している。 記録には、川口芝の長徳寺住持の龍派禅珠は、ある年の暮れに、 浦和の宿で萩、屠蘇、麹、未醤(味噌と醤油)、新暦などを購入している。 この周辺では、蕨が一・六の市、鳩ヶ谷が三・八の市、与野が四・九の市、大宮が五・十の市と 市が設けられ、毎日どこかで市が開かれていた。 織田信長の時代の「楽市楽座」が、昭和の初めまで市として栄えたという。 楽市楽座=戦国時代、大名が商人をその冶下に集めるため、城下町や重要都市で 旧来の独占的な市・座の特権を廃し、新規の商人にも自由な営業を認めたこと。 慈恵稲荷神社の鳥居と本殿 鳥居前は何かいろいろとごたごたしている。 慈恵稲荷神社と記された石柱 と史跡指定の標柱 江戸時代、浦和宿で市が開かれていた証の、市神様(いちがみさま)を祀る石祠 (二七市場跡、市指定史跡 市神様の脇にある「御免毎月二七市場定杭」と記された天正18年(1590)の石杭 石杭の裏面には「足立郡之内 浦和宿」 と記されている。 赤レンガに囲まれた常盤公園 浦和地方裁判所の跡地。 江戸時代、将軍鷹狩りや視察の際の宿泊・休憩所で「浦和御殿」は本陣成立前の時期、 家康、秀忠が使用したと伝えられ、慶長16年に取り壊された。 市場通り 常盤公園に向かう通りは慈恵稲荷神社の市場にちなみ、市場通りと名付け、 農産物流通場所としての名残を留めた。 新鮮な野菜はいらんかね」とひざまずいて売り声を出しそうな、 農婦の朝市風景にちなんで作られたもの。 真言宗豊山派・成就院(上寺) 慈恵稲荷神社のすぐ近くに成就院はある。 こじんまりした寺院で、昭和48年に完成した薬師堂が正面に、その左側に延命地蔵尊、 観音菩薩像、弘法大師廟が祭られている。 右側には法蔵殿がある。 |
散策・さいたま浦和
[ リスト ]



