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さいたま・浦和 44 浄土宗・廓信寺(かくしんじ) 仁王門をくぐり中山門の奥に、鉄筋コンクリートの本堂がある。 慶安2年(1649)、徳川家康が寺領二十石を寄進。 本尊は珍しく「中品中生の印」を結ぶ、木造阿弥陀如来坐像で鎌倉時代の作。 底裏銘に平安中期の僧・恵心の作とあり、大阪落城の折、徳川家の所有となり、 代官中村弥右衛門尉吉照が拝領と伝えられるが、調査の結果鎌倉時代の作と考えられ、 定朝様式の美作で、県指定文化財。 浄土宗・廓信寺は浦和郷一万石の代官中村弥右衛門尉吉照が、旧主の岩槻城主・高力河内守清長の 追福のため建立した寺で、吉照は三郎山(現在の北浦和小学校付近)に陣屋を持っていた。 浄土宗・廓信寺(かくしんじ)の仁王門。 阿形と吽形の金剛力士像。 山門・像ともに吉照の寄進で江戸時代前期の優品。 仁王門手前の左側には、天保期の六地蔵尊。 六地蔵は六界を輪廻する魂を救済するといわれる。 道路からこの仁王門までの両側には、白梅、紅梅が数本植えられ、春の季節には見事な花を 咲かせて、楽しませてくれる。 仁王門をくぐると、山門がある。 その奥が本堂。 浄土宗・廓信寺の本堂前の収蔵庫。 本堂前収蔵庫に、鎌倉時代後期・元享4年(1324)の板石塔婆があり、鎌倉時代末期の 特徴を備えた代表的な優れた板石塔婆として市指定文化財。 また浦和宿の儒者・小泉蘭斎は文化8年(1810)滋賀・三上藩の藩士の子として江戸で生まれ、 38歳のとき藩を辞し、浦和宿本陣に郷学校を開くにあたり教師となった。 明治4年、玉蔵院を校舎に正式に開校したが、蘭斎は翌年病没。 教え子たちが拠金して、廓信寺に墓碑を建て香華料を託した。 碑の背面に刻まれた事歴により、浦和の近代教育の歴史がわかる資料として市指定文化財。 浄土宗・廓信寺の本尊は「中品中生の印」を結ぶ、木造阿弥陀如来坐像が安置されている。 本堂外陣・内陣の鳳凰文欄間3面は市指定文化財、「鳳凰」「瑞雲・巌・波濤」は 明和2年(1765)の作。 浄土宗・廓信寺の築山には寺の縁起が刻まれた碑があった。 鐘楼と法然上人尊像 見事な枝垂れ桜があり、花の季節見事であったと思う。 秩父宮妃殿下が昭和32年御成りになったときの、お手植えの紅梅。 浄土宗・廓信寺の庭の風情。 桜の大古木と紅葉の大古木、どちらも境内をすっぽり覆いつくし、 それぞれの季節には、見事な景色を表すことであろう。 将に春に良し、秋によし。 奥の墓地にあるカヤの古木は「廓信寺のカヤ」といわれ、樹齢三百年、市指定天然記念物と なっている。 |
散策・さいたま浦和
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