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さいたま・大宮 04 中仙道・大宮宿の面影を残す大宮中心街 中仙道・大宮宿はJR大宮駅東口一帯の地域、すなわち今の大宮市街の中心地が、 昔の大宮宿の中心であった。 大宮宿は東側に武蔵一宮・氷川神社の鬱蒼とした森に囲まれた境内が広がり、京都―江戸との 主要裏街道・中山道の宿場町として、旅人や氷川様の参詣人で大いに賑ったことであろう。 江戸初期に大宮宿を開いたのは北沢甚之丞で、江戸時代に「紀州家鷹場本陣」であった 「北沢家屋敷跡」は、現在の高島屋で、高島屋の屋上に北沢稲荷が祀られている。 北沢家では近代漫画の先駆者・北沢楽天を輩出した。 明治初年に廃藩置県され、此処に大宮県の事務所が置かれた。 写真は高島屋屋上の「北沢稲荷」 大宮駅東口、中仙道スクランブル交差点を北大宮に進み次の通り、すずらん通り角の キムラヤパン店は「内倉本陣跡」 更に中山道を進み、一番街通りには「脇本陣・栗原友右衛門屋敷跡」。 さらに住吉通り角の岩井ビルは、文政期以降の本陣を勤めた「山崎本陣跡」。 歴史的な地点が続く。 中仙道スクランブル交差点から浦和方面に戻った、川鍋ビルは「高札場跡」 大宮区役所脇にある倉屋敷稲荷神社は、岩槻城の出城・寿能城の倉屋敷で、寛永5年(1629)に 徳川幕府が中仙道を現在地に付け替えたとき、道筋のあった社を遷座したが、 もともと玉龍山宗金寺の稲荷社であったが、明治維新に廃寺となった。 昭和40年隣接する大宮市役所新築の際、修復された由。 ビルが林立し昔の面影が失われた、ビル街の路地裏にひっそりとある「塩地蔵尊」 旅の途中で病んだ父親のために、二人の娘が塩断ちして父を救ったとの伝説が伝わる 「塩地蔵尊」と「子育地蔵尊」 安永10年(1782)念仏講中の灯篭石があり、塩と水、線香、ろうそく立てが堂前に置かれ 参詣が絶えないようである。 また近くには、「涙橋跡」があり、鴻沼に流れる水路にかかる橋で中之島橋が正式名で、 江戸時代に高台橋の近くにあった刑場へ護送される罪人と、この橋で涙して別れたところから 涙橋と呼ばれた。 南大通り線・通称吉敷町ガードとの交差点は「安藤橋跡」で、「中仙道分間延絵図」に
「大宮宿入口 悪水抜石橋」と記され、欄干石はさいたま市立博物館に展示。 大宮宿大火に御用米・御用金を宿民のために使い、その罪により切腹した安藤弾正の名を とったという。 「塩地蔵尊」近くの中山道沿いにある西橋商事の門は、明治初期に江戸・加賀屋敷から 買受けたもので、鬼瓦に葵紋が付いている。 大宮宿の「宿割り」は寛永5年(1628)新たに造成したとき、中仙道に面する屋敷の間口を 7−8間(12.8m)、奥行き60間(108m)と、整然と地割したその名残が随所に 見られる。 京の町屋に見られるような、間口が狭く、奥行きの長い地割である。 栗原脇本陣・清水脇本陣など脇本陣はビルや駐車場に変わっているが、中山道沿いに狭く、 東西に細長の奥行きが江戸時代の町作りを今に伝えている。 店、倉、住まいと宿割地の利用に、それぞれ知恵を絞って生活していたことを物語っている。 |
散策・さいたま大宮
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