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江戸東京・山手 60 護本山天龍寺 天龍寺は甲州街道と明治通りとの交差点、新宿区新宿4丁目の明治通り沿いにある。 江戸城の裏鬼門鎮護の寺として、格式の高い寺であった。 境内に入ると静寂。 天龍寺の鐘は、元禄13年(1700)牧野備後守成貞により寄進されたもので、 内藤新宿に時刻を告げた「時の鐘」であった。 現在の鐘は、銘文より元禄13年の初鋳、寛保2年(1742)の改鋳に続く、 三代目で明和4年(1767)の鋳造。 東京近郊名所絵図に、 「天龍寺の「時の鐘」は、もとは昼夜鐘をつきて時刻を報せり。この辺は所謂山の手にて 登城の道遠ければ便宜を図り、時刻を少し早めて報ずることとせり。 故に当時は、天龍寺の六つで出るとか、市ヶ谷の六つで出るとか言いあえり。 新宿妓楼の遊客も払暁早起きして袂を分他ざるを得ず。 因って俗に追い出しの鐘と呼べり」 天龍寺の鐘は、内藤新宿で夜通し遊ぶ人々を追い出す合図とされ「追い出しの鐘」と いわれてきた。 また江戸の時の鐘は、ここだけが府外であり、武士の登城する際に時間が掛かかるので、 遅刻しないよう30分早く時刻を告げたという。 大変ご親切に!!! 上野・寛永寺、市ヶ谷八幡と共に「江戸三名鐘」と呼ばれた。 では時刻を何で知り、鐘を衝いたのか??? 牧野備後守成貞は「時の鐘」と共に「やぐら時計」をも寄進した。 この時計をもとに鐘を衝いたという。 時計は高さ103cmの櫓型の台に載っていて、本体は縦24cm、横16cm、奥行き16cmの 箱型に、高さ15cm、直径15cmの鐘が付いていたので、「やぐら時計」と呼ばれた。 文字盤は明治以後24時間制に取り替えられ、明治中頃まで使われていた。 時計のやぐら中央に、牧野家の家紋がついている。 「天龍寺の時の鐘」と「天龍寺のやぐら時計」は共に新宿区指定有形文化財工芸品に 指定されている。 三界萬霊塔、六地蔵があり、更にその横に三基の庚申塔などがあるが、 この庚申塔は何のご利益があるのか、人々に撫ぜられナゼラレ、摩滅して、 何が彫られているのか、判らなくなっている。 内藤新宿に纏わる物語がありそう!! 代々木のNTTドコモビル、槍のように尖って、どこにでも顔を出す、七重の塔と競って!! |
散策・江戸東京・山手
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はじめまして、ランダムで来ました。
大変勉強になります! 東京にいながらも訪れたことがありませんでした。 あの時計の付いているビルも気になっていましたが、NTTのビルだったんですね〜 ポチッ
2009/6/2(火) 午後 3:21
minikoさん ご覧くださり有難うございます。
ファンにまでなって頂き、感謝、恐縮。 さいたまの記事が多く、東京は用事のあるときに、記事にしますので、ボチボチですが、時々用事を作って、のせていきたいと思いますのでよろしく!!
2009/6/2(火) 午後 5:47 [ なおじぃ ]