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さいたま・大宮 21 記事ネタ切れになったので、さいたま市都市計画部みどり推進課のパンフ片手に、 チャリンコ(ママチャリ)ギコギコこいで、見沼田圃の散歩道を一巡りしてきました。 これで2・3回の、いや4・5回の記事ネタをゲット!!! 順次掲載します。 野田のさぎ山記念公園 野田のさぎ山記念公園はさいたま市緑区上野田にあり、近所に慶応義塾大学浦和共立キャンパス、 県立浦和東高校と私立浦和学院高校がある。 野田のさぎ山は、江戸時代から昭和の末まで「しらさぎ」が繁殖を続けていて、 幾百いや千を越すほどの数の「しらさぎ」が此処をネグラにしていたが、 ある日忽然と姿を消してしまった。 どこに行ったのか???何が原因なのか???いまだに不明。 新聞にも大きく取り上げられたことを記憶している。 その後、この由緒ある場所をさぎ山記念公園として整備し、地区の歴史であるさぎ山に関する 資料を展示し、市民の憩いの場・学習の場として利用できるようにしたのが記念館である。 記念館の玄関前に実物大の象の彫刻が置かれている。 タイ国チェンマイ西方インタノン山麓のジャングルにあった推定樹齢1500年以上、 原木の直径3m16cmのチーク材を、6年3ヶ月かけて高さ2m74cm、幅1m10cm、 長さ2m40cm、重量1320kgの象の彫刻木像に仕上げたものと表記されている。 さぎ山と象との関係は判らないが、実物大の象は浦和北ライオンズクラブの寄贈。 展示室の正面に大きな絵が飾られている。 「徳川家慶鷺山上覧図」 代山、黒須喜代治氏画 説明によれば「徳川12代将軍家慶の鷺山上覧の模様を推測して描いたもので、 家慶の日光社参は、天保13年(1842)である。 5月中旬頃の通行であるので、鷺山のもっとも賑やかな頃で、天保の頃は、 さぎ山が代山村、寺山村、上野田村の三村に広がっていて、盛んな時代であった」という。 このさぎ山記念公園の入り口の道路は、昔「日光御成道」と呼ばれ、 江戸時代に将軍が日光東照宮へ参拝するときに通行した道で、 江戸本郷追分から王子、岩淵、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻を経て、 幸手で「日光道中」に合流する道で、今でも「日光御成街道」といわれている道。 昭和の頃のさぎ山の様子を撮影した展示写真の一部を掲載。 小学生の課外授業で、見学に来たのであろう。 子供たちのハシャギまわる姿は楽しくなる。 芝生で思い切りカケッコをする、アップダウンの坂道を駆け抜ける。 普段の都会生活の鬱憤を晴らすように、大声で叫び、追いかけ、懸命に疾走する子供たち!!!! こちらでは、釣れもしない池で、釣り糸をたれる中高年。 ただ黙々と、ひたすら糸を垂れていた。 さぎ山記念公園への交通は、 大宮駅東口―浦和学院高校または浦和美園駅 浦和東口駅―さいたま東営業所 東浦和駅―さいたま東営業所 それぞれ「さぎやま記念公園前」下車。 東武野田線大和田駅―さぎ山記念公園(さいたま市コミュニティバス見沼区役所線) さいたま市コミュニティバスは、乗降が此処なので便利。 |
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こんな広々とした公園があるのですね〜
白鷺はいったいどこへ消えてしまったのでしょうね。
自転車こいでのレポート、お疲れ様です♪ ポチッ
2009/6/11(木) 午後 6:29
池は釣れなくは無い(怒)
2013/9/28(土) 午後 7:22 [ あき ]