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さいたま・大宮 22 見沼自然公園 見沼自然公園はさいたま市緑区上野田にあり、 近所に慶応義塾大学浦和共立キャンパス(旧共立薬科大学)、大宮共立病院、 県立浦和東高校と私立浦和学院高校がある。 見沼自然公園は、 前回掲載のさぎ山記念公園に隣接して広がる広大な見沼の自然環境を保護する地域と、 市民の憩いの場所・見沼自然公園及びさぎ山記念公園青少年野外活動センターとに整備されている。 見沼自然公園入口の水路は、江戸との往復の舟を通した運河跡。 公園の北東に接して流れる見沼代用水東縁の水路は、村々から江戸とを結ぶ内陸水運が 幕府によって開かれて見沼通船といわれ、年貢米、薪炭、野菜、柿渋、酒などが運ばれ、 江戸からは肥料、塩、雑貨などが運ばれてきた。 見沼通船には、各所に荷積み場の河岸が置かれ、通船会所が設けられた。 公園に隣接する中久喜家は染谷河岸と呼ばれ、河岸と通船会所があり、 居宅庭先までの通船を設け、芝川、加田屋川を経る通船を開き、船荷を効率的に取り扱った。 公園造成にあたり、水路を通船遺跡として残して、近世産業交通の歴史を学ぶ場とした。 見沼代用水路開発の祖 井澤弥惣兵衛為永の銅像 公園に入って野球場より広い程の芝生の一角に、井澤弥惣兵衛為永の銅像がある。 井澤弥惣兵衛為永は見沼代用水路開発の祖といわれる人物で、 紀州溝口村(現和歌山県海南市)に生まれ、幼少より学問、特に算術に秀で、 若くして紀州藩に仕え、水利事業に才能を発揮し、紀ノ川水系の代表施設に現在も留めている。 徳川吉宗が八代将軍になった頃、幕府財政は窮乏、財政改革に乗り出す吉宗は、 紀州藩主当時治水事業に能力を発揮した為永を享保7年江戸に召し出し、紀州流といわれた 土木技術により新田開発をし、財政改革に大きく貢献した。 為永は享保10年(1725)、新田開発のため見沼溜井を視察、 干拓後の水源を見沼に代わって利根川から引水することとし、 享保12年(1727)より工事開始し、元荒川の底を通す伏越、 綾瀬川の上を通す掛渡樋等を構築し翌年春に完成させた。 総延長約60kmに及ぶ見沼代用水路をわずか半年で完成させ、 これにより見沼溜井約1200ヘクタールの新田開発と、八丁堤下流の水源を確保した。 それに伴い見沼代用水の開発は数多くの沼地を開墾し、多くの用水路を作った。 そして閘門式運河としての見沼通船堀という通運施設を開発し、 芝川と東縁・西縁用水路を結ぶ通船堀を享保16年(1731)完成し、舟運を発展させた。 当時の日本の技術レベルからして、世界の通運史からも特筆すべきもので、 見沼通船堀遺跡は国指定史跡になっている。 見沼自然公園の自然 見沼自然公園は付近の里山・田園水田と渾然一体となっていて、 見沼の自然環境を保護する地域は一般の立ち入りが禁止され、自然生態系の復元、保存、保護を 優先する保護地域としている。 自然観察園はさまざまな水辺の植物や生物の生育環境となる湿性植物園、自然観察水路、 水生生物観察池で、沢山の生物が生息できる環境に守り育てていく取り組みをしている。 公園の見所はやはり、池の周りを巡り歩くのが一番、立ち止まったところ、 すべて別の趣があり景色がある。 さぎ山記念公園青少年野外活動センター さぎ山記念公園青少年野外活動センターはさいたま市内に在住、在勤、在学者を対象に 予約申し込みし、中学生以下は指導者、保護者の引率を必要とし、高校生のみの利用は保護者の 承諾書、学校長への書類提出が必要。 利用時間は午前9時から午後4時半までとし、キャンプ宿泊は利用許可を受けて宿泊可能。 キャンプファイヤーは事前申請し、所定の場所にて午後9時までに終了のことなどの注意事項。 自然の中でのキャンプなど、青少年団体の活動には、楽しい計画が立てられると思う。 山小屋風の洗面・トイレの建物、大きな炊事小屋、家族単位のバーベキュー炉、水のみ場など、 親しい人たち、家族での野外パーティーなども楽しくできます。 一組のグループが楽しそうに、バーベキューパーティーをやっていた! |
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見沼自然公園は素敵なところですね〜
水辺でここだけは温度がすこし低そうで夏なんかはいいですね。
2009/6/13(土) 午後 8:36