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江戸東京・都心 07 日比谷公園は野外博物館 その5 松本楼にある「首賭けイチョウ」 松本楼脇にある大イチョウは、日比谷公園開設までは日比谷見附脇にあった。 明治32年頃、道路拡張のため、この大イチョウが伐採されようとしているのを見て、 日比谷公園生みの親・本田静六博士は驚き、東京市参事会・星亨議長に面会を求め、 進言により移植された。 移植不可能とされていたものを、「首に賭けても移植させる」と言い実行された木なので、 「首賭けイチョウ」と呼び名が付いた大銀杏。 増上寺霊廟・御成門の石橋 この石橋は、芝の増上寺霊廟の旧御成門前の桜川にかけてあった石橋の一つで、 市区改正(現在の都市計画事業)の道路構築のとき、ここに移したと伝えられている。 江戸時代の素朴な彫りの深さを、力強く漂わせたものとここに保存したという。 松本楼より雲形池に行くところに。 「馬の水飲み」 ここにも「馬の水のみ」が保存されていました。 公園開設当時は、牛馬が人と一体に、大切にされていた。 雲形池のほとりに。 「京橋の欄干柱」 明治8年(1875)に築造された京橋の欄干柱で、大正11年(1922)架け替えの時に ここに移されたもので、当時は橋名を刻んだ親柱もあったが、 昭和9年(1934)京橋の橋台地が整備されたとき京橋に移され、ここには欄干橋のみ保存された。 雲形池ほとりへ行く道に。 「宮崎・西都原古墳のはにわ」 昭和40年(1965)に東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園となり、 記念に特別史跡・西都原古墳群をはじめ、多数の古墳のある宮崎県から「はにわ」像が 東京都に贈られた。 雲形池のほとりの道に。 「ホセ・リサール博士の像」 日比谷見附石垣・心字池の南端付近にフィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士の像。 「フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士 1888年この地東京ホテルに滞在す」と 銘文に記されている。 「南極の石」 心字池を巡る散策道に、この南極の石が置かれている。 「この石は、南極昭和基地から4kmの地点にある、東オングル島の慎太郎山(標高40m)で、 日本の南極観測隊が採取した、重さ150kgの片麻岩です。 南極観測船「ふじ」が持ち帰り、 昭和41年(1966)4月14日、この公園に設置されました」とあります。 「古代スカンジナビア碑」 「南極の石」の隣に置かれている「古代スカンジナビア碑」 「スカンジナビアの人々が、1957年2月24日ヨーロッパより北極経由で、 日本への空路を開拓した。この碑は、北極航空開設10周年を記念して寄贈されたもので、 スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字碑を模したものです」とあります。 「石の貨幣」 「南極の石」の近くに置かれた「石の貨幣」 「南太平洋ヤップ島(現在ミクロネシア連邦)で、お金として使われていた石の貨幣で、 石貨と呼ばれているもので、直径6cm位から3m位のものまであり、 1直径の大小、2表面が滑らかか粗いか、3形のよしあし、4運搬の難易によって 価値がきめられる。 この石貨は長径1.35m、短径1.00mのほぼ円形で、 大正13年(1924)頃、1000円位で通用していたといわれていた。 大正14年1月 ヤップ島支庁長 寄贈」 大変高価な石貨ですね。 大正14年頃、1000円と言うと、東京で庭付きのコジンマリした家が一軒買えた時代ですよ。 「郷 愁」 |
散策・江戸東京・都心
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都内でも水辺があるところは涼しげに見えますね。
いろんな種類の石がおいてあるのですね〜 面白いです。
ポチッ
2009/6/27(土) 午後 5:17