なお爺のひとり言

一期一会の出会いを大切に 満89歳の卒寿になった、なお爺 これからも よろしく

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   さいたま・大宮 31
     子宝のシイの大木がある天沼大日堂と天沼神社

   天沼大日堂と天沼神社は隣接し、自治医科大学付属大宮医療センターが
   見沼代用水西縁を挟んで隣接する、さいたま市大宮区天沼町1丁目にある。

     天沼大日堂の板石塔婆

   大日堂は鎌倉時代の創建と伝えられ、戦国期から近世にかけてしばしば焼失し、
   荒廃したものを、江戸時代に村の有力者が再建したと伝えられる。
   鎌倉時代後期・建治2年(1276)の年号が刻まれた、高さ2.07mの板石塔婆は、
   市内でも古く、高さは最も大きい。  
   板石塔婆は供養のために建てられた卒塔婆の一種で、墓標の意味も含め建立された。 
   当時これ程の板石塔婆を建立できる力を持てたのは、有力な武士層に限られので、
   中世の天沼周辺は有力者が住む、開けた地域であったと推測できる。  

   上部に阿弥陀如来を表す梵印、良質の石材、板石塔婆建立初期の風格溢れる、
   優れた歴史資料として、さいたま市指定文化財に指定されている。  
   そのほかに嘉元4年(1306)から明応9年(1500)に至る板石塔婆も残されている。

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     子宝のシイ

   見沼代用水に迫出すように聳えている、樹高14.5m、目通り(幹廻り)3.7m、
   枝張り7−8mのシイノキは、見沼の斜面林の一本であったが、
   周囲の木が減少し目立つようになり、やがてそこに伝説が生まれた。

   それは住職が入寺したとき、シイノキの下で苦しむ地蔵尊の夢を見、
   根元を掘り起こしたところ、顔と手の無い地蔵尊が出たので、住職は丁寧に修復し
   木の下に安置した。 
   現在、樹下に祀られる地蔵尊で、安産のご利益があると、参詣者も多く、
   別名「子宝のシイ」(写真掲載の地蔵尊とシイノキの根元)と呼ばれ親しまれ、
   線香が手向けられている。

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   本堂右に享保14年(1730)奉納の石地蔵尊。  
   青空に聳えるシイノキ、墓地向こうは見沼代用水を挟んで、自治医大・大宮医療センター建物。


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     天沼神社

   大日堂の西隣に、かつて村の鎮守様であった天沼神社がある。  
   百日咳に霊験があるといわれ、治るとしゃもじを納めたところから、
   「おしゃもじ様」と呼ばれるようになった。
   「おしゃもじ様」に納められた、何本かの「しゃもじ」  
   何で「しゃもじが」こんなところに???と思って調べたら!!!
   境内は子供の遊び場になっていて、天沼集会所が建設されている。

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     見事な赤松の大木のある屋敷

   近くの屋敷に立派な赤松の木が聳えていました。  
   ここまで手入れをするには、大変であったと思いますが、やはり自慢の立ち木。 
   盆栽村の象徴ともいえますネ。

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