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健康:闘病の記録 その32 9月4・5日を過ぎ、思い切って散歩に出る。 体力テストのつもり。 9月に入り体重も53kgを突破し、52.5―53.5kgを推移するようになった。 回復を確信するなら、多少歩行に息切れし、キツクトモ耐えて、 一歩一歩確実に歩みを伸ばす努力が必要。 そろそろと歩む。 どれだけ耐えられるか? しかしそこには一ヶ月余の外出ブランクに、気候が変わり景色まで変わった風景があった。 新鮮な空気を満喫し、歓びを体いっぱい感じた。 正に生きる勇気、生きる喜びを全身に感じ、与えられた。 日ごとの散歩は、確実に、体力の回復に、病の克服にと、良い結果をもたらし、 確信につながった。 日ごとの散歩は、全身の筋肉の衰えに、苦痛を与えるが、長く続くわけではなく、 それに耐えて悦びとしなければと。 今回のシリーズの始めに、病は気付かないまま、体の奥深くに進入し、 それがちょっとしたキッカケで猛威を振るい、死に至る程の事態を引き起こす。 そのような事態には、人は最早無力であると書いた。 病人は確かに病には無力ではあるが、さりとてその対策に翻弄され、パニックになり、 やたらと行動するのは返って危険である。 冷静に判断し、それに対処することが重要であると痛感する。 特に危機・危険な病であるか、一呼吸置けるような病であるかの判断は、 直接生死に関わる重大事である。 一般的な病について、私は極端な特別な考えを持っている。 病気は医者が治すものではなく、あくまで病人本人が治すもの。 医者は援助者・協力者・支援幇助者である。 確かに手術を施し、治療を施し、投薬の処方を施してくださる。 医者が全面的に病を治すということに対して、敬意を表し、 全面的に治療をお任せすることに対し、それを否定するわけではない。 しかし、あくまでも病を克服し、治す力を持つものは本人であるということである。 病人本人の気力であると信ずる。 だからあらゆる病の障害にも、立ち向かい克服する気力が重要と考える。 ただ病気をして、やはり自分に甘え、楽なこと楽な方法にと、逃げたがる気持ちを、 どのようにコントロールするかが、課題であった。 気力、気力というが、人間はやはり弱いものであると痛感した。 この気力をうまくコントロールできるか出来ないかが、病気を克服できるか、 もっと大きく言えば人間大成するかしないかの分かれ道だと思う。 今朝の大牧桜並木散策路にて
桜の葉の散る季節になりました。 見沼田んぼの稲は色づいてきました。 稲刈りが間もなく始まります。 |
健康・大腸がん闘病の記録
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私も 病気になったら
ゆっくり休養をとって
それから 頑張ろうと 思いました (*´ω`)ノ゙
2009/9/12(土) 午後 7:24