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さいたま・大宮 35 義経伝説のある神明神社 神明社はさいたま市北区土呂町2丁目にある 土呂神明にあった浄職院持ちの社で、創建は明らかではないが、祭神は天照大神を祭ってあるという。 明治の初めまでは、現在の本殿の南に建てられた小社であったが、 明治6年(1873)土呂村の村社となり、13年に現在のように造営され、神楽殿の造られた。 神楽殿は明治5年の神仏分離令によって廃寺になった浄職院の長屋門を改造したものであった。 その後土呂の4社御岳社・植竹稲荷社・稲荷山稲荷社・八雲社を合祀。 戦前まで、4月の祭日には神楽殿で神楽や源太踊りが奉納され村の年中行事として賑った。 本殿西側には、「源義経の箸立て伝説」で有名な杉の古木があった。 この古木は大正15年埼玉県指定・天然記念物(土呂の大杉)として保護されるも、 樹齢尽き立ち枯れし昭和44年姿を消し、「土呂の大杉」の切り株が残った。 神楽殿も老朽化し戦後取り払われた。 源義経の箸立て伝説=義経が奥州に下るとき、当地で休息・食事をした際に刺した箸が 芽を出し大杉に成ったという伝説 境内には元文6年(1741)奉納の32貫目(120kg)の力石、 日露戦役凱旋記念碑、区画整理記念碑などの地域の江戸時代から昭和に至る歩みを物語る 石碑の数々がある。 鳥居脇には、地区内から移された元文5年(1740)の庚申塔3基がある。 神社西側の阿弥陀堂(旧浄職院)には江戸中期享保年間(1716−36)に 俊長和尚の教えを受けた17名が立てた市内最古の筆子塔がある。 見沼代用水により、舟で江戸と直接結ばれたことが、「読み書きそろばん」の必要性を高めた証。 境内本殿前にある狛犬の台座に「大東亜建設記念」「祈戦勝完遂 昭和18年」とあった。 先の太平洋戦争は「大東亜戦争」といって、当時東アジア全体を大東亜といい、 戦争の大義名分として、この地域の欧米の植民地を開放し、 共に「大東亜共栄圏を建設する」というスローガンで、欧米に戦いを挑んだ。 昭和18年はその運動の頂点にあったが、そのとき国民は何も知らされず、 すでに至る所の戦いは敗色が濃厚になっていたのであった。 この神社に、その戦争の頂点にあって奉納された狛犬に、台座に当時のスローガンが刻み込まれ、 そのまま現在に残った事、昔を知るものにとって、特に「軍国少年」にとっては感慨深いものである。 恐らくこの様なものは、戦後64年経過のうちに、殆どなくなってしまっていると思う。 戦争の愚かさを後世に伝える、貴重な歴史的資料として、 そこに刻まれている意味を深く理解して、このまま残して欲しいと思う次第である。 境内にはシラカシ、クスノキ、スダジーの市指定保存樹が数本あり、大木が空を覆い、
村の鎮守様のようすを表している。 本殿は質素ではあるが、森に囲まれた社は、風格がある。 元文5年の庚申塔3基がひっそりと。 日露戦役凱旋記念碑 本殿前の狛犬とその台座 |
散策・さいたま大宮
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実家の神社も戦争の名残があります。
久々の散歩日記で、うれしいですね。
2009/9/18(金) 午後 7:43