なお爺のひとり言

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   埼玉:川口 40 上青木氷川神社と宗信寺

   上青木氷川神社

   上青木氷川神社は川口市上青木2丁目に鎮座する。

   境内には、「凱旋兵記念碑 陸軍歩兵一等卒 勲八等 ○○○○   陸軍輜重輸卒 ○○○○
   祝明治廿七八年征清軍之凱旋之記念」  と銘記された、日清戦役の凱旋兵記念碑。 
   その隣に、日露戦役凱旋記念碑がある。

   どちらも明治時代の戦役に、勝利凱旋した上青木部落の若者を称える記念碑として、
   今もこの神社に残されている。 
   明治の頃上青木の里は、ひなびた寒村であったようだ。

   上青木氷川神社は、ひなびたただ住まいだが、手入れが行き届いていた。
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   日清戦役凱旋兵記念碑(明治27・8年(1894・5)
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   日露戦役凱旋記念碑(明治37・8年(1904・5)
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   宗信寺

   宗信寺は上青木氷川神社の道路を挟んで向かい側にある。
   寺のすぐ裏には、コンクリートミキサー工場が芝川土手沿いにあり、ガラガラと音を発てている。
   静寂と騒音、奇妙な関係にはあるが、気になる程でもない。

   日蓮宗・長陽山宗信寺は、
   日蓮宗開祖日蓮の六高弟の一人白蓮阿闍梨日興上人(びゃくれんあじゃりにっこうしょうにん)
   により鎌倉時代の正応4年(1291)に上青木の里に創建され、
   富士山光妙寺を前身とする寺である。
   この富士山光妙寺は川口オートレース場の中心付近にあったという。
   その後江戸前期に、武田信玄の家臣・土屋備前守宗次が
   池上本門寺(東京大田区)19世日豊上人を中興の祖として、現在地に建立した。
   この付近は鎌倉後期から室町時代にかけて、交通交易を伴う生活文化圏が
   形成されていたようである。

   宗信寺には、鎌倉時代に製作された青銅製の磬(けい)が保存されている。
   磬(けい)は仏教の法要儀式に用いられる仏具の一つで、読経の区切りに打ち鳴らされるもの。
   その起源は古代中国の祭礼用打楽器で、仏教と共に日本に伝えられ、普及した。
   宗信寺の磬は、「くじゃく文磬」といわれ、日蓮六高弟の一人日興上人の刻銘がある。
   富士山光妙寺にあった「くじゃく文磬」は、宗信寺の開基とともに、ここに移された。
   鎌倉時代の作で、全国的にも珍しく、貴重なものとして、
   埼玉県指定有形文化財工芸品に指定されている。

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