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秩父34観音霊場巡礼旅 第1日 の2
7月15日(祭日・月曜日)(晴れ)
第1番・誦経山・四萬部寺 で「発願」
一休みし息を整え、本堂に参詣し、持参の「般若心経・写経」1巻を奉納、二人で「般若心経」を唱え、次男の冥福と、これからの遍路旅の無事を祈る。
納経所で、「納経帳」を購入し、御朱印を頂戴する。
境内には、参詣者は、我等だけの静かな雰囲気。
バタバタと本堂の扉が閉じられ、境内の床机が片付けられ、納経所のガラス戸が閉められ、境内には我等2人だけが取り残された。 本堂の後ろの森に日は沈み、本堂は赤い背光に包まれ輝く。
張り詰めた気持ちで、遮二無二に歩き通した脚が、身体
老妻は、一番札所・四萬部寺を参詣したら、家に帰ると決め、バスの時間は控えていたが、この時間では、帰宅は大変と思われた。
「宿が有るので、今日帰らなくとも、明日ゆっくり、帰れば!!」と妻に勧める。
迷った挙句、泊まる事に決定、一人追加の連絡を、宿に電話すると、宿泊は出来るが、追加の夕食は無理とのこと。 四万部寺の縁起には、
播州性空上人が弟子幻通に「秩父の里に佛恩を施し、人々を教化せよ」と
命じ、幻通はこの地で、四万部の仏典を読誦し、供養し、経塚を建て、
秩父第1の霊場としたという。
秩父の名匠・藤田徳左衛門吉久による、本堂は三間四面、表一間向排付の入母屋造り、秩父札所中特に整った建築と言われ、県指定文化財となっている。
内部は江戸浅草講中の寄進で、江戸工匠神田儀助長則が補修している。
構造装飾とも代表的な技法を用いた寺社建築は、秩父地方の模範となった建築で、天井には狩野常徳派が描いているという。
本尊は「聖観世音菩薩立像」一木造りは、江戸時代の作とされる。
本堂正面の左右には、「地獄図、極楽図の彫り物」が目を引く。
本堂脇に「享禄四年(1531)施餓鬼堂」があり、大施餓鬼供養を行うお堂で、関東三大施餓鬼としてのこの堂は、全国でも珍しいという。
萬霊供養の中心「八角輪蔵」を、衆僧読経のうちに回転させるという。
「経塚」に鎮座する「釈迦如来像」、納経堂などがある。
「釈迦如来像」は明治の末、盗難に逢い行方知れず、70年近い星霜が流れたある日、銀座の美術店にお姿を現した。
里人を中心に、釈迦如来を秩父に再びお迎えし、経塚を復元する運動が繰り広げられ、ようやく釈迦如来も帰るべき所に帰り、経塚も復元したと言う(経塚復元の碑より)。
杉の古木の下に、開山端山守的禅師(弘治元年(1555)9月没) 「座禅石」がある。 2m×1m位の、平たい大きな石。 宿まで2km位、
「さて歩くか!」
「モウ、一歩も歩けない」と老妻。
タクシーを呼ぼうにも、聞くところも無い。
「バスでも行けるでしょ! あと30分程でバスの時間よ!!」
「もう少し此処で休むか!!」
午後6時、四萬部寺の「夕時の鐘」が、厳かに鳴り響く。
いよいよ巡礼の旅が始まったのだと実感する。
鐘を衝かれた住職さんに
「バスの時間まで、休ませて頂いております」と挨拶。
「ご苦労様です。 どちらから来られました?
どちらか宿を取っていますか?」
「2番納経所・光明寺さん近くの民宿・弁天橋に取ってあります」
「これから、秩父の町まで用事があるので、送りましょう」と言うことで、送って頂きました。
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
車中、粥新田峠越えで四萬部寺に、
そしてこれから歩き遍路旅をすることを、お話する。
「それは大変でしたね! 無事の結願を祈ります!」と、お別れした。
有難うございました。
これも「佛縁」であると悟った。
宿の近くには、飲食店などは無い様子に、独り分の夕食を、妻と分け合った。
タイムテーブル
粥新田峠地蔵(13時47分)―粥新田峠放牧地(13時53分)― 秩父市 遠望(13時59分)―榛名山神社(14時41分)―湧水所(15時09分)―高原牧場入口(15時22分)―曽根坂一里塚(15時42分)―小野田峠(15時56分)―誦経山・四萬部寺(16時14分)
今日の御朱印
第1番 誦経山四萬部寺
今日の郵便風景印
小川郵便局
埼玉県比企郡小川町青山862−1 〒355-0399
意匠:小川和紙の手漉き加工と少年自然の家の遠景を描く
葉書:通常葉書
使用:昭和47.09.01
今日の万歩計
27,192歩
18.49km (参考距離)
(山道歩行の為、正確な距離では有りません)
今日の会計
納経帳・納経料¥2,300 (1ヶ寺)
交通費 ¥1,240×2名=¥2,480
弁当・飲料水 ¥1,450(コンビニ握り飯・ペットボトル)
本日会計 ¥6,230 |
秩父34観音霊場巡礼旅
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2013/9/19(木) 午後 3:53 [ rc3**92z*6z49 ]